25 背中合わせの距離 (7)
「ねーねー。コウター? ディナーは何食べたい? 和食? フレンチ? それとも、わ、た、…痛ッ!」
「激キモい」
歩きながら逆に勢いが付いたのか、強烈なキックをケイトさんの裏太腿にお見舞いしてよろめかせると、そのまま耕大くんが突っ込みを入れた。
「イターイ! 最後まで言わせてよ。それが息子ってもんだろう?」
「それどういう決まりだよ……」
「え、コネル家の家訓だよ?」
「んなの、知らねーよ」
「今決めたからね!」
「なお更知らねえよ……」
私と渡部君は前を歩く二人の掛け合いを見ながら、必死に笑いを堪えていた。
でも、いつもより言葉数の多い耕大くんを見ているのも新鮮で、新しい彼の一面を知れる事に嬉しさが込み上げてくる。
隣を歩く渡部君も同じような気持ちなのか、笑いを堪える反面和やかな笑みを零して二人を見ていた。
「何だか懐かしいなー」
「え?」
「あぁ、成聖に来る前にケイトさんが地元にいる時は大抵このやり取りを見ていたから」
「へー」
さすがに幼なじみなだけあって、良く分かっていると思う。要らない嫉妬を妬かせて少し憎らしいくらい。
渡部君が二人を指差して私に言うと、何かを感じたのか耕大くんがこちらの方へ顔を向けた。
「ノリ、学校一旦帰る?」
「んー。どうしようかな?」
「俺、このまま寮に直行で帰って、着替えようと思うんだけど」
耕大くんが腕時計を見て時間を確認し、渡部君に伝えるとケイトさんが耕大くんと肩組みをして「ノリもディナー来るー?」と聞いてきた。
流石に血を引いてるだけあってか、耕大くんとケイトさんの身長にそれほど差がない。二人とも良いボディバランスで立っていると様になる。
つまり二人が前を歩いているだけで、周りからの注目がすごいのだ。
「いや、たぶん今日試合に出れなかった先輩たちがGでゲームしてると思うんで、そっちに顔出します」
渡部君は気付いていながらも、彼も同様に周りからの注目に慣れているのか、平然と伝え「そうか」と耕大くんは頷いて返事をした。
「ちょっと寮寄って行くから遠回りになるけど」
耕大くんが私に向かって断りを入れてただそれに頷いて返事をした。
実は学園の寮の話を以前耕大くんたちから聞いて以来、合宿や行事以外に集団で寝食を共にする生活に少し……いやかなり興味を持っていた。
どんなところに住んでるんだろう? ちょっとストーカーめいたミーハー心が燻っていた。
電車に乗って最寄駅に到着するとサッカー部の寮が、意外と私の家から十分程度の近いところにあったと知って逆に驚いた。
勝手に一人で広い学園の敷地とかに建っているとばかり思い込んでいたからだ。
だから、入学式の日に学園前の桜並木を通っていたのかと今更になって納得している自分がいた。
それから五分ほどたわいもない話をして、ある曲がり角に差し掛かると渡部君が「じゃあ、俺こっちだから」と一人手を振って私たちと別れた。
私たちは、右手の方へ曲がって間もなくすると門の横に『成聖学園サッカー部寮』と銘板が掲げてある大きな建物に辿り着いた。
およそ四階建のマンションの外観。門をくぐるとバスが二台くらい駐車出来るようなコンクリートの敷地があり、あの合宿行事の時のように毎晩耕大くんがここでリフティングをしてボールに触れているのかと、容易に想像出来て笑みが浮き上がってくる。
耕大くんが「着替えてくる」と先に棟の中に入っていき、私とケイトさんの二人は入り口でキョロキョロしながら彼の戻りを静かに待っていた。
先ほどと打って変わって、静かになってしまったケイトさんを見ると、彼はボーッと耕大くんが消えてしまった方へ視線を向けたままだった。
何だか哀愁漂うと言うか、寂しそうと言うか。その空気をまとっているケイトさんは、やっぱり耕大くんと瓜二つで似ていて、この時になってやっと二人が親子なんだと言うことをきちんと認識出来た。
「コウタも知らない間にどんどんと大きくなってるんだな……」
現在進行形で子供の成長を喜ぶ親の発言に、不思議な感覚がした。
私には子供の成長に感慨耽る親が居ないから。
その心情を知りたくて、何かをケイトさんに言おうとした時、耕大くんが着替えを済ませて帰ってきたのが見えた。
*****
あぁ。
今の今まで忘れてた。
『耕大の親って、デザイナーなんだよ。服の』――
そう言っていたのは、学校近くで別れた今頃ミニゲームに参加してるはずの渡部君だったか。
服のセンスが良いと風の噂で聞いていただけあって、覚悟は決めて居たけど、制服とユニフォームを脱いだ耕大くんは自分に似合うものを選んで着ているのが本当に見て分かった。
どこか大人っぽい感じもあり、ドキドキする。私、場違い?
気が遠くなるのを必死に耐えながら、緊張を無理やりどこかへ押しやろうと別のことを考える。
でも、すごく緊張してしまってすでに着て来たワンピースの裾がシワシワになりそうだ。
思い出してみれば、『コネル』というブランドに聞き覚えがあった。
二十代の女性をターゲットにした『大人可愛い』をテーマに様々なラベルをワールドワイドに展開しているブランドだ。
だから招待こそされたものの、高校生には似使わない門構えから、高級感溢れる老舗の料亭を目の前にして、気後れしてしまうのも致し方ないと思うんだよね。
そこは、ひっそりよりもどっしりと佇むと言う言葉の方が何とも似合う雰囲気を醸し出していた。
何の躊躇もなくケイトさんが足を進めていき、言葉を失くしていた耕大くんと私は、顔を互いに見合わせると覚悟を決めるかのように頷いてその背中に付いていった。
「さぁ、好きなもの頼んじゃって!」
案内された部屋について、てっきりコースか何かが来るものと思っていたけれど、ケイトさんは何も気にせずメニューを私たちに手渡してテーブルを挟んで向かい側に座った。
私は上座下座などと考えていたけれど、耕大くんが適当に座ったので、私もそれに従って彼の隣に座った。
そして彼らは性格が真反対な二人だけれど、やっぱり親子だと思った――……
敢えて、決まりきったコースではなくて自分の好きなものを自分の好きなときにする事とか。
『得体の知れないものに挑戦する事』とか。
「俺、刺身定食と爆弾イクラ皿と爆弾うに皿」
「え、何それ? ドコドコ? バクダン・トロトロ皿とかあるのかな!?」
「大トロな、トロトロじゃなくて」
本当に仲がいい親子だなと思った。見ていてこちらが楽しい気持ちになれる。親子っていいなと羨ましくなる。
「俺までベッタリみたいな見られ方、やだ」
心の声がどうやら自身の体からはみ出して外に漏れていたらしい。
耕大くんには、それには心底嫌そうな表情を浮かべて相変わらずの一言で返した。でも―――
「尊敬はしてるけど…」
ボソリと呟いた一言は、隣にいた私だけに聞こえた。
早速注文をして待っている頃、私はこっそり彼らの家族の事に付いて質問をした。
「さっき会場で奥さんのお話をしていらっしゃったんですけど、奥さんはフランスにいらっしゃるんですか?」
何も知らなかった私の疑問に急に二人の纏っている空気が変わる。
重暗く、哀愁漂うような悲壮を帯びて。
「キョウカ、あ。妻のことなんだけど、キョウカはコウタが十歳のときに他界したんだ」
「あの……すみません」
「日本人は何だか人の大切な人がいないと分かるとすぐに謝るよね」
何だかその言葉が皮肉を言っているような気がして更に首が縮こまる。
「だって、思い出す事は辛い事ではありませんか?」
私がそう聞くと、勢い良くケイトさんが首を横に振って否定を示す。
「僕は別に気にしていないし、責めてもいないんだよ!?」
「確かにそうかもしれませんが」
今、傍に居ないのに――。
口から小さく漏らすと、耕大くんがじっとこちらを見てそして右手で頭を撫でた。
びっくりして彼の方へ向き直すと「気にしなくていいから」と優しい顔をして慰められた。
それを見てケイトさんが浮かべたのは、耕大くんと似た寂しげな笑顔――
「妻が無くなった当初は、仕事も付かないくらいに辛かった。廃人になりかけた。でも、」
ゆっくりと語る口調にキョウカさんを思い出しているのかもしれない。
だって、傍に居たいと思って十八歳という若さで結婚したのだ。
すごく好きだったに決まっている。すごく愛しているに決まっている。
心の中の隙間を覗き見たような気分になって、心の安寧の中の慟哭に顔が固まった。
「彼女はコウタを僕に残してくれた。コウタから彼女の一部が受け継がれているのが分かる。もちろん、妻は今でも愛しているし、妻のことを人から聞かれる度に大切な人を思い出せる。それってある意味、幸せなことだと思わない?」
曇天の中から一筋の光が差し込むような言葉だ。
失礼な事をしたと落ちかけた気持ちが浮上してくる。
無意識に右手に温かみを感じて、ふと目線を移すと耕大くんの手に包まれていた。
2014年5月4日活報
★小話GWスペシャルを活報に掲載しております★