21 背中合わせの距離 (3)
うだるような暑さにはまだ遠い頃。
雲は見上げた限り、見当たらないほどの青々しい快晴の日。
初めてサッカー部の試合を観に来た。
ジリジリと肌を焼くようなやんわりと照りつける太陽が眩しかった。
「梓桜ぉー! ゴメン、待った?」
「あ、ううん。こっちこそ急にゴメン」
愛子は先に別の友達と観戦に来ていて、私の場合は思い立っての言葉が似合うほど、当日試合開始二時間前に愛子に連絡をした。
「道迷ってなくて良かった」
「迷いそうだったけどね」
互いに笑いを交えながら、試合会場へと足を運んだ。
さすがに決勝リーグ目前の予選リーグ決勝。
うちの学校もそれなりに注目されているからか、小さな会場とは言えど、親や他の学校の偵察だったりとかで前の方の観客席はすでに埋まっていた。
「あー。やっぱ席どこも埋まってるなぁ」
「どうする? 私達移動してこようか?」
「いや、大丈夫だよ。適当に席探して観るよ」
「そう? ならいいけど。変な人もたまに居るから、ヤバいって思ったらこっち来てね?」
「うん、わかった」
愛子と手を振って別れると、フィールドの角度と席を見比べて移動した。
ほぼ全体が見渡せる高さまで階段を登って、センターラインと直線上で繋がるような位置に空いている席があった。
席に座ると丁度選手が出てきて、腕に蛍光カラーの腕章みたいなのを付けた人が、指示を出してアップを開始していた。
前の方の席では、選手が出てきた時から、太鼓を叩いたりメガホンで声援の練習をしたり気合いを入れていた。
その中にこの前廊下で見た子も混じっていたのが見えた。
愛子はどの辺に座っているのかなと辺りを見回した時だった。
太陽の光で眩しいはずの場所に急に影が射した。
何だ、と思って見上げると男性が一人立っていた。
「隣、空いてる?」
逆光で顔の確認が全く出来なくて手をかざして見ると、この前サッカー部の練習を見ていた時に声を掛けてきた男性だった。
「……あ」
「やぁ」
「どうも」
相変わらずというか、この場にはなんか似合わない派手だけれど彼に非常に似合っている雰囲気を纏っていた。
「どうも」
挨拶を返すとにっこりと彼が笑って「よっこらせっと」さり気なく隣に腰をかけた。
「今日も暑くなりそうだよねー」
「……そうですね」
男性は手から下げていたコンビニの袋からコーラとオレンジジュースを取り出して、オレンジジュースを私に渡してきた。
「あの……?」
「あ、オレンジ嫌い?」
「いや、そうじゃなくて」
渡されたオレンジジュースを持て余して彼と交互に見比べていると、「変なものは入ってないよ」と笑顔を浮かべられた。
「それあげる。暑くなるっていってるし、水分補給ね」
「え。……どうも?」
人懐こい顔をされると、どうしても無碍に出来ないというか、二回しか会った事がない人から、物を貰うとは思っていなかった。
「どう致しまして」
彼はそう言いながら、自分が持っていたコーラのキャップを回して一口飲んだ。
「それにしても、『スミダコウタ』は今日試合に出るのか知ってる?」
「……どうでしょう? 私、監督じゃないんで」
「だよねー」
私が答えると、男性は非常に残念そうな顔をして後ろに手を突き溜息をついた。
周りを見渡せば、試合開始も間近に迫っているためか、殆どの人が前方の席へと詰め寄っていた。
ガランとした観客席の中にぽつんと、二人だけで座ってることに何だか気まずく思って、慌てて会話の話題を考えていた。
「……今日は弟さんか、どなたかの応援にいらっしゃったんですか?」
無意識に口を付いて出た言葉は「何言ってるんだ、コイツ」と思われそうな当たり前の事で、口をついた瞬間に後悔に襲われていた。
「うん。息子のね」
本当は思いついた質問を口に出すつもりはなった。
ただ初めて男性と会った時、ある意味格式張っている学園に用も無く、オーラをまとった派手な人物が来るはずが無いと思ったからだ。
でも、当然のような質問なのにも関わらず、彼は嬉しそうに目を細めて軽やかに返事をしていた。
「……息子さん?」
ただ彼の答えに違和感を覚えた。
「そうそう。年頃のせいか『試合は観に来なくていい』ってさー、寂しいこと言われたパパなんだよね、僕」
苦笑しながら言う男性の言葉に思わず耳を疑った。
「息子……?」
「そう、息子。居るように見えない?」
再度答えが合っているか、尋ねると彼は変わらず首を是と縦に振る。
息子がいると変わらず答えるのならば、いるのだろう。でも私が予想する彼の見た目と、彼が言う息子さんの年齢が合致しないのだ。
派手だ派手だと思う彼は、20代後半にしか見えない。仮に20代後半だとしても、やっぱり高校生のサッカーの試合会場に居るのは不自然でしかない。
「と言うか、試合会場を間違えていないかが心配です」
「ん? ここ、これから成聖学園の試合あるよね? 僕の息子、高校生なんだけど」
「全然、高校生の息子さんがいるとは思えません……。むしろ、弟とか従兄弟とかその辺かと」
「ええ~?? ひどいなー。こう見えて僕もう四十だよ」
眉をハの字にまげて男性は笑って答えた。
男性の年齢を瞬時に頭が計算をすると、見た目からは到底思いつかないほど若く精錬されているようにも思えた。
「お若い」
「え? 嬉しい事言ってくれるね。食事に行ってみる?」
茶化されているように思えるけれど、この男性が発する言葉の端々に揺るがない何かを私は感じ取った。
それは―――
「息子さん、すごく愛していらっしゃるんですね」
真っ直ぐ見て言うと、彼は一瞬驚いたように目を見開いた。
けれど、すぐにニコリと笑顔に戻って何度も何度も縦に首を振って見せた。
「そうそう。そうだね。溺愛するほど! だって、僕と妻のタカラだからね!」
「宝ですか……」
興奮を抑えるためか、男性は一度立ち上がって深呼吸を何度か繰り返した後、拳を握り再び座り直した。
そして、私の方を一度振り返ると何かを思い出すように視線をどこかに向けた。
「そう。ちょうど、君の年頃に妻と出逢って恋をした。すごくね、短い時間だったけれど、すごく愛し合ってね。高校卒業と同時に結婚した」
「え? それって」
「ああ、息子が出来たからじゃない。どうしてもね、傍に居たくて。傍に居て欲しくて。…僕の隣は妻以外考えられなくてね。独占欲強すぎて、若い子に聞かせるには恥ずかしい話だけれど」
「すごく、素敵な事だと私は思います」
「ははは。六年、子供が出来なくてやっと授かって、息子が出来ると解った瞬間はとても嬉しかった。手放しで飛び上がるくらい」
この世に愛の証が出来る喜びにね、と彼は見えない何かを愛惜しむような表情を浮かべていた。
好きな人から愛されている奥さんが羨ましいと思った。
父親に愛されている息子さんがとても羨ましいと思った。
「家族で愛し愛されるって、とても羨ましい」
フィールドに居る選手を目に入れながらも、私には無いものを持っている誰かへ羨望の眼差しを向ける。
私も互いに存在を認め合って誰かを愛し、誰かから愛されたいと願ってしまう。
その中でも一番に目に入ったのは、やっぱり耕大くんだったけれど。