20 背中合わせの距離 (2)
「それ」は突然………と言うか衝撃の始まりだった。
私のクラスは英語のオーラルのために、愛子と一緒に視聴覚室に移動している途中で、耕大くんのクラスの前を通り過ぎようとしている時だった。
「耕大くーん、居ますかぁ?」
突如、E組の入口で甘えるような声が彼の名前を呼んだ。
耕大くんが、女子に呼ばれている。
珍しい事が起きている、とその時は思った。
今までは、周りに密かな協定でもあるのかと、疑うくらいに彼が周りの女子に呼び出されたり、囲まれたりすることは皆無に近かった。
愛子は彼のオーラと言うか、まとっている空気が女子を怯えさせるんだと言い張るけど、私はそんなこと一度も感じたことはないのでいつも不思議に思う。
だから目の前で起こっている事に、私も愛子も一瞬驚いて、互いに声の方へ顔を向けて足を止めていた。
そこに居たのは、私よりもちょっとだけ背が低くて、ショートボブをキレイにカールした女子生徒だった。
活発そうなのにどこか繊細そうな女の子らしい印象だ。
「何」
入口に立った耕大くんは、どこか不機嫌そうにその子に返事をした。
「あ、耕大くん! あのねー、英語の教科書忘れちゃってー。貸してー?」
可愛らしくねだるように、指を組み上目遣いで耕大くんを見つめて言った。
「マジ、小菅ちゃん可愛いよなー」
周りで二人を野次馬観察していた男子が、羨まし気にため息を吐きながら呟いていた。
「翠田の奴も隅に置けねーよなー」
「あんな可愛い子に言い寄られてさー。まんざらじゃないんじゃね?」
「かもな! 良いよなぁ。モテるヤツは」
私と愛子の後ろに三人の男子生徒が話をしているのをただ耳をそばだてて聞いていた。
その話を耳にして、何だか重たいものが肩にかかった様な気になる。
「……」
「お願ぁい! ね?」
いくら仲良くしていても私のものじゃ無い。
知らない耕大くんはたくさんいる。今目の前で起こっている様に。だから解っている。落ち込むのは筋違いだって事も。
「良いでしょぉ?」
肯定する言葉を催促するように待つ彼女に、彼が面倒事抱えてしまったと表す態度でため息をついて、それから面倒くさそうに助けを求めるように視線が周りに巡らされた。
そしてようやく廊下で立ち止まっていた私たちに気付いて、こちらへは何とも無しに軽く右手を上げて挨拶をして来た。
私もただ片手を軽く上げて挨拶をし返すと、入口に立っている女の子は一瞬だけ鋭い眼差しをこちらに向けて、すぐににこやかな顔に戻して耕大くんに向き直った。
「おー。恐っ!」
ボソリと愛子が寒気をアピールするジェスチャーを入れながら呟き、「行こう」と袖を引っ張られ、後ろ髪を引かれつつも授業のためにその場をあとにした。
後ろの方ではまだやり取りが続いてるのか、男子の盛り上がる声が上がったのが聴こえた。
「あれぇ? A組の小菅ちゃんじゃん! 教科書忘れたの? 俺の貸すよー」
「あ、えっと……」
「お前はお呼びじゃない」と言う心の声を殺しつつ、遠慮がちの態度を見せて愛想笑いでも浮かべているのだろうか。
「よろしく」
「おお!」
何か彼女と関係でもしているのかなと一人気持ちが重くなる私とは反対に、気持ち良いくらい軽々と彼が短く一言で返し、耕大くんは後から来た男子にその場を任せてさっさと退散していった。
「え……? ちょっと!?」
その女子生徒は予想外の事を言われたからか、一瞬呆気を取られたような顔をして茫然としていた。
「小菅ちゃん! 教科書これ使って!」
すぐに取りに行ったのだろうもう一人の男子が活き活きとした声で英語の教科書を持ってきて手渡すと、
「……いらないわよっ!」
「小菅……ちゃん?」
先ほど耕大くんに向けて発していた甘い声とは真逆の刺々しい言葉に誰もが呆気をとられて固まった。
「……あっはは。ごめーん。そう言えば今朝かばんにちゃんと入れていたんだったぁー。あたし、忘れっぽいんだよね」
「そっかぁー。俺、吉永って言うんだけど、良かったらアド交換……」
「わざわざごめんねー? じゃあ!」
まるで嵐が去ったような静けさだけがその場に残っていた、と後からクラスの人が噂していた。
*****
「ついに梓桜にライバル登場かと思ったのに、全然、身もへったくれも無いわね」
教室に着いた後、私は項垂れるようにして不安と戦っていた。
「やっぱり……ライバル、だよねぇ?」
項を上げて愛子を見るとそこには、嬉々とした笑顔を浮かべた彼女が私に詰め寄るようにして隣に身体を寄せて座った。
「ほおー? 梓桜さんもさすがの翠田耕大には不安ですかぁ?」
「や、えっとですね」
「大丈夫じゃない? だってアイツ一言もA組の小菅と話して無いじゃん」
あたしと同じようにね! と所々刺々しくも彼女なりに励ましている言葉に、私に自信を持たせてくれている事に心は簡単に浮上していた。
「てか、小菅を黙らせるのは実際簡単なことよ? 梓桜がちゃんと休日の試合に翠田耕大を応援に来れば良いんだもん」
「それ、いつも言ってるけど、どういう事?」
さっきの光景と本日二度目になる言葉に、私はさすがに愛子の言葉を聞き流せなくなっていた。
「つまり、あのA組の小菅ってサッカー部のマネージャーやってるんだけど、結構てか練習から試合まですべてって言うのかな、翠田耕大贔屓にしてる訳よ」
ドクリ
「まあ、翠田自身はマネに頼んないし、タオルとか渡されても嫌な顔して渡部君とか他の人に渡してるから、小菅の思惑はハズレに外れまくってて愉快だけどね!」
「それでも諦めないって事でしょ?」
「そうなんだけど、何ていうか目的のためには手段を選ばない事でも有名な子だから、逆に梓桜が試合見にきたら危険か」
後ろの言葉は愛子が独り言をいうような感じになってしまって聞き取れなかったけれど、彼女が懸念する裏側で私は一度も公式試合を見に行っていない事で問題が解決されるんだとその時は単純に考えてしまった。
一度出来た溝は簡単には埋められない事を後から知る事になったとしても。