19 背中合わせの距離 (1)
中間テストは無事に終わって六月、季節は夏。
目の前では予選突破を狙う、頂点を目指した攻防の嵐が息を潜めていた。
「いやー! 昨日の試合、凄まじかったね! 超興奮しちゃったあ!」
月曜日。
朝、登校してすぐに愛子は席に向かうもすぐに興奮した面持ちで口を開いた。
日曜は今年度シード権を持つ成聖の初めての予選試合があった。
全ての試合がインターハイと国立に繋がっていて、当然ながら一戦一戦に気を抜く事が出来ない上、高校生活を部活に捧げているスポーツ推薦の生徒ならば、ある意味で死活問題にも繋がっていく事になる。
さらに言えば、今まで耕大くんが参加してきただろう、国際試合アンダーエイジのレベルの高い試合にまで絡み合っているからチャンスは全てものにしていかないとならない、という訳だ。
中間テストの勉強が終わったあの日、私は何も知らないことをひとり憂いていて、それを見ていた耕大くんが教えてくれた。
ちなみに昨日の試合に耕大くんは出場していない。いや、まだ出来る状況じゃなかった。
ヒビが入るほどの怪我は、慎重に治していかないといけなくて、動けなかった分体力の減少もある。基礎体力のトレーニング調整に時間が掛かってしまっていた事も理由だからだ。
教室から練習風景を見下ろした時の耕大くんは、ずっと悔しそうにゲームを見ながら、ベンチで筋力トレーニングを黙々とこなしていた。
相手を威圧するような視線と噛みしめた唇が、彼の内側に溜まっていくフラストレーションを表していたのを思い出していた。
『俺が試合に出るのは、決勝リーグからだ。それからは快進撃を佐倉に魅せてやるよ』
春から続けていた練習メニューが急に変わって、チームの調整も慌ただしい事は、昨日の試合を事細かに話してくれる愛子の言葉で容易に伝わってきた。
耕大くんだけを応援する。私の決意は揺らがない。
それを『スミダコウタ』と言う人物が判った時点で、耕大くん自身に告げた。
彼は呆れたような照れたような微妙な顔をしていたけど、ありがとうと頼むな、と短く応えた。
「……で、昨日は三年の鷺沼さんが決勝弾を放って、それからゲームセット! 超感動しちゃったよね!」
頬を緩ませながら愛子が報告する横で、私はただ頷いて試合に出ていなかった彼の状況を思い出していた。
「そうなんだ。良かったね」
寒熱の差が激しいと思われる二人の反応に周りはどう感じているのか、非常に疑問だと自分でも思うけれど、この私と愛子のやり取りは普通かつ心地のいい距離だなと一方では思っていた。
二人が二人して同じ場所にいるのに、なんだか違う風景を見ている感じ。
遠慮をしない距離。
私の人生の中で数少ない、距離感を持ち合わせた大切で稀有な存在だ。
「だからさ、今度は梓桜も一緒に試合観に行こうね」
練習試合の時も予選が始まる前も愛子は変わらずに私を誘ってくれる。
「じゃないと、悔しいから」
そして、意味不明な一言も必ず添える。
「試合勝ったんだよね? その、何が悔しいのか分かんないから」
苦笑を交えて愛子に言えば、彼女は「来れば分かる」と全く理由を話してくれない。
私はいつも「そっか」と言うだけで、だいたいこの手の話は終わってしまうのだ。私は早い段階で、愛子の悔しさの意味を理解しようとすれば良かったのかも知れない。
*****
『キャー! 翠田くーん!』
『鷺沼センパーイ!』
放課後の蝶々たちは、暑さを感じさせない黄色い声をまだまだ上げている。
私は何となく、そこから距離を取って耕大くんの練習を眺めていた。
「相変わらずの人気ぶり……」
「んー。ありゃ、本人は鬱陶しそうだけとねー」
ボツりと一人溢すと、返ってくるはずのない声があった。
びっくりして思わず、声の方向へ顔を向けると、そこには成聖の中で浮いて見える格好をした男性が一人立っていた。
顔はサングラスを掛けているためよくわからない。
でも雰囲気はにやついた顔を押さえられないほどに弛んで見えた。
「しかも超不満気。ガキ丸出しじゃん。あ、まだガキだったな、アイツは」
「あの……?」
「ん? ……あー。ごめん、ごめん。お邪魔しちゃって」
「あぁ、別に。構いません。あの、何か用なのでは?」
「そうそう、お嬢さんにちょっと職員室への行き方を尋ねようと思って」
ハハハ、と軽く笑ったその人にきちんと向き直ると意外な事を発見した。
一見、軽そうな雰囲気を纏っているのに対して、自分の体のラインに合った服を着こなし、かつ思ったよりも上背がある。
どことなく知っている人物に似ている気がしたけど、パッと誰かと思い付かなかった。
「えっと、このグラウンドに面している校舎からまた一個奥に別の校舎のがあります。その校舎の二階に第一職員室がありますが」
「一個奥の二階ね。了解」
「ただ、教科室にいらっしゃる先生もいるので……」
「あぁ、それは大丈夫だよ。もし違ったら、その時に聞けば良いからねー」
だだっ広い成聖を闇雲に歩くのは、初心者に取って危険なため注意を込めて言うと、男性は私に後ろ手で手を振りながら、すでに歩き始めていた。
妙に軽やかな背中は、サッカー部の練習を横目に映しているだけで、幸せそうな空気を発していた。