01 出逢い (高校1年:春)
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春。
桜の季節。
キミと出会った季節。
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サクラは春に花を咲かせ散りゆく。
人が花を見て綺麗だと褒めるか、散って悲しむかなど気にしていない。
しかし、春の陽気に人はどこか心を躍らされる。
その陽気に中てられた私、佐倉梓桜は、地元の同年代から可愛いと評判の制服を身に纏い、全国屈指の有名進学校に続く道中の桜並木を歩いていた。
世間で社会問題になっている少子化と言えど、親の期待という名の古き学力主義の残骸か、将又、さとり世代ゆえの実力主義志向か、有名進学校の受験倍率は例年通りに高い。
中学ではそれなりに優秀な成績を修めていたこともあり、進路希望調査の時は、迷わずこれから入学式を迎える成聖高校を選んだ。
高校へ続く桜並木の中でも入学前から間近で見たいと思っていた樹齢数百年の『噂の桜』は、今にも折れそうなほど枝を垂らし、花が咲き乱れている姿にすぐに魅了された。
早起きをして、人気の無い時間を見計らって桜をベストポジションで観賞しようと思って急いで来てみれば読みは的中し、人ひとり見当たらない。誰もいないことを良いことに、私は程近い河原の草の上に寝そべって桜を仰ぎ見た。
やっぱり桜は仰ぎ見上げるのが一番良い。キラキラと眩しい青空と暖かな陽気、そよ風に踊らされる淡いピンクの花びらが舞い上がっては都度感動していた。
感動と心地良さに、たびたび目を閉じては場面を焼き付けて……を繰り返している内に、いつの間にか桜を映していたはずの私の瞳は閉じていた。
「……ぅゎっ! ……ぃ、……ーぃ。 ……ーい。もしもーし」
何か、聞こえる。
待って、もう少し。このまま。
無意識の中で誰かが私を呼ぶ声がして、眠りを妨げようとしていた。
けど、私はこの心地のいい場所を離れたくなくて、邪魔する声を払い退けた。
小さく吐く息が聞こえたかと思うと、それから呼ぶ声の代わりに右側にある気配に違和感を覚えて、重くなった瞼を無理やり持ち上げた。
さっきまで通行人すら居なかったはずなのに、片腕一本分ほどの距離を置いて、同年代くらいの男の子がUMBROと印字されたエナメルのリュックに頭を乗せて同じように目を閉じていた。
凝視しながら上半身を上げると、その子は鼻筋がスッと通って精悍な顔をして、さらに彼の色素が薄いのか、それとも染めているのか区別は付かなかったけれど、きれいな栗色の髪が日に照らされて輝いていて別の意味でまた見惚れてしまった。
(茶色とピンクのきれいなコントラスト……)
本人の許可無しに、まじまじと観察していると
「あ、起きたんだ」
急に声がしてそちらへ目を向けると、隣で寝ていたはずの彼が私を見ていた。
「え?」
「河原で誰か死んでるやつがいると思って、」
驚いた。彼は苦笑しながら、上体を起こしてそう告げた。
「……死んでる?」
まだ寝ぼけて思考が上手く機能していなくて、言葉の意味を理解出来ずにぼーっと反芻していた。
「そう」
言葉の意味を理解すると急に恥ずかしくなってきて、「うわっ!」と思わず赤面した顔を膝の間に隠したくなった。
「まぁ、こんなに桜がきれいだったら、寝そべって見上げたくもなるよな」
彼は気にしてない風に笑みを浮かべるだけで、小脇に抱えていたサッカーボールを抱え直して、胡坐をかいたまま背後に広がる桜を反り返って見上げた。
「……まだ八時半……」
「え?」
顔を振り向けると、ポケットから出したのか、スマホに映し出された画面をこちらへ向けていた。
「まだまだ余裕だから」
一瞬何のことやらと頭を巡らせたけど、ふと入学式の時間を思い出して彼の横顔を見つめた。
「……?」
「…よく分かりましたね? 私の考えてること」
彼は首を横に振ると「俺も寝てたし、入学早々遅刻はまずいと思って」と今度は苦笑いを浮かべた。
「成聖の新入生?」
「ええ。あなたも?」
「……一年何組かはわからないけど」
よろしく、と彼はよく顔を見なければ判らないくらい、ふっと微かな笑みで答えた。それが無愛想に聴こえる声の印象を一変させるくらいの柔らかい笑みだった。
「うん。よろしくね」
彼の言葉を聞いて安堵し手を差し出しながら言うと、彼は意味が分からないという顔を瞬間だけ浮かべた後、アーモンド形の瞳に弧を描き「ああ」と、私の手を取って握手を交わした。
その時握られた男の子の力強さにびっくりした。私は驚きを表に出すことはせず、しばらく二人での花見を再開した。
風に吹かれて、花びらが彼の抱えていたサッカーボールの上に舞い落ちる。
「サッカー部に入るの?」
「え?」
彼は私の話が聞こえなかったのか、目線を合わせて質問を聞き返した。
「えっと、ボール。大事そうに抱えてるから。サッカーするのかなって」
普段から男の子と会話する機会が無かった私は、聞き返された事に焦り気味になって言うと、彼は再度目線を桜の木に移して、どこか固い決意の篭った眼差しを持って強く頷いた。
「まぁ、そうだな。サッカーするために、ここに来たようなものだから」
彼のその姿は、とても印象的に思えた。
人生の中で、夢に向かって努力している人物を初めて見たからだ。
間違っても出会ったばかりの彼をバカにしているのでは無い。
私たちがこれから通う成聖高校は、全国屈指の進学校であると同時に、インターハイなどの全国大会でも名を馳せる文武両道の高校だ。
学力に自信のあるツワモノが大勢集まるよりも、自分の体を資本とするようなスポーツに賭けて来る者の方が珍しくかつ相当な覚悟が必要だからだ。
「すごい……ね。『自分のやりたいこと』を高校生活に賭けるって」
ただ聞いただけでは皮肉に聞こえるような言葉だが、私はただ純粋に彼の言葉に感激していた。
「どうしてもやめられないからな、」
――これだけは。
最後の言葉だけは、声に出ずとも無意識に伝わってきた。
サッカーボールを大事そうに抱え直した彼は、どこか寂莫さも感じるとともに、奥に秘めるものを見つめるようにボールを親指で撫でながら呟いた。
「そっか。……それなら私、キミのサッカーファン第一号になりたいな」
「え?」
あまりにも突然過ぎて、彼は私が何を話し出したのかを急には理解できなかったみたいだ。
唐突な提案に若干眉間に皺を寄せたけれど、言われたことを理解すると今度は目を見開いて驚きを露わにした。
「あー、でも私、全然サッカーのルールって知らないんだよね。けど、応援する人がいた方がやりがいとか、やる気って出るものでしょ?」
「あ、あぁ、……まぁ」
名案だと思って口に出して言ってみたけれど、彼は少し圧され気味になりながら、何となく嬉しそうに目を細めてくれたのが分かった。
「せっかくこうして『うたた寝同盟』を組めるんだから、仲間を大事にしなくっちゃね」
「え?……うたた寝同盟?」
何言ってんだコイツ、と少し睨まれてしまったけれど、私はただ笑ってその場を流して勢いよく立ちあがった。私はただ、「あなたが私を偶然見つけたのも、入学式に遅刻させないためね。きっと」と自信満々に頷いて見せ、無理やりどこか噛み合っていない会話を続けた。
「なんだ、それ」
「まぁ~、なんでもいいじゃない。うたた寝同盟は結構適当なネーミングだけど、ファン一号になるって言ったのは嘘じゃないよ?」
自信満々な言葉に互いを見つめ合うと、今度は彼が噴き出して笑い始めた。
先ほどの寂しそうな彼の様子が霧散したことに僅かに安堵した。
「あなたの寂しそうな横顔見たくないもの」とはさすがに面と向かって言わないけれども。
一通り笑い終えた彼は「よいせっ」と声を出して、枕代わりにしていたアンブロのリュックを肩にかけ直して立ち上がった。
一八〇センチはあるか……。思ったよりも高い位置にある彼の顔を見上げていた。
私が目算しているうちに彼は手にしていた携帯を見て、「九時か。そろそろ行った方がいいかもな」と声をかけた。
気がつけば桜並木にも人の影が増えて、道の向こうの門に向ってざわざわとし始めていた。
「そうね」
参列者らしい真新しい制服を来ている同級生らしい人影を眺めてから、私も枕代わりにしていたバックを手に取ると、一緒に校門まで歩いて行きクラス分けの掲示板のところで別れた。
別れて数歩進んだ場所から私は足を止めて、反対方向に足を運んでいく彼の後姿を見つめた。
アンブロのバックが揺れるのを目に映して。
心のどこかで、彼が私に振り返ることを願いながら……