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赤錆の輪

この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。

 ホモ・サピエンスの顔が赤黒く変色する光景を見たことのある方はいらっしゃるだろうか。未だに経験のないという方は幸いである。機会がなければ一生見ない方が良い。そういった感情の激発は概ね怒りによって生じるものであるから、近くで見ているとひょんなことから火の粉が飛んでこないとも限らないものだ。


 但し、怒りの矛先が自分に向っているのであればご愁傷様と言わざるを得ない。贖罪の供犠として捧げられる羊の如く大人しく嵐の去るのを待つより他にやり過ごす術はありはしないのである。……ちなみに、今の私はまさにその哀れな仔羊であった。


 私の目の前でこめかみに青筋を浮かべてわなわなと震えている人物、大城戸公一郎(おおきどこういちろう)はロマンスグレーという言葉が実によく似合う白皙(はくせき)の老紳士だ。城南大学文学部史学科にその人ありと言われる民俗学の大家である。主著は名著と名高い『大和エルフの民俗学~弓箭の技法を手掛かりに~』。

 と同時に、私の彼女である大城戸沙耶(おおきどさや)の実父でもあった。


「――志野村(しのむら)昌之(まさゆき)くん。残念だ、非常に残念だ。君を指導室に呼びつけなければいけないというのは、実に残念なことだ」


 二重の意味で逆らうことの出来ない私は今、教授と一対一で対面していた。孤立無援とはまさにこのことだ。

 温厚な教授の鶴のように細い喉から絞り出されるような声音は、言葉とは裏腹に言い表し難い怒気を含んでいる。原因は大城戸教授が手に持っている一枚の紙にあった。つまりは前期期末考査の答案である。


「ああ、えっと、その、(かんば)しくない結果だったのでしょうか?」

「芳しい、芳しくないという高尚な次元の話をする為には、これよりも幾らかマシな答案を作成して貰いたいものだね、志野村くん」

「それはつまり、“優”は難しい、と」

「難しいね。実に難しい。“優”どころか“良”、或いは“可”に達するかどうかの心配をして然るべきだと君には忠告しておこう」


 予想外というほどのことはない。完璧主義者であるこの老教授は遅くして生まれた愛娘の沙耶を必要以上に溺愛しており、常に最良のモノを周囲に揃えるように腐心している人物である。それが生き甲斐と言っても過言ではない。高校卒業までは私立(わたくしりつ)のお嬢様学校で英才教育を施したが、大学はどうしても目の届くところでという親心で城南大学への入学を無理矢理に娘に押し付けた。

 そこに登場したのが、私だ。


 性格良しルックス良し頭も良しと三拍子揃った大城戸沙耶嬢がどこをどう間違ったのかこの私の彼女などに収まってしまったことにこの教授は大激怒しており、関係改善の糸口はまるで見えない。そして事あるごとにこうやって私を呼び出しては恫喝を加え、鬱憤を晴らしているのである。


「だが私とて鬼ではない。沙耶の友人(・・)である君の成績を不必要に下げることは私人としても、また公人としても望ましいことではないと考えている。将来有望な君のような学生が、“可山優三”(かやまゆうぞう)という訳にもいかないからね」


 就職難のこの御時勢、自分の娘の将来の伴侶になるかもしれない私の成績表に“可”の文字が並ぶことに将来の岳父になるかもしれない教授は素朴な危惧も抱いてくれているらしい。まことに有難い配慮というよりほかない。このプレッシャーに鍛えられたお陰で、三年生の前期に到るまで、ほとんど全ての科目でまぁ満足のいく成績を収めることが出来ているのは素直に感謝すべきであろう。


「そこで、だ。志野村くんには特別課題を一つ提出して貰いたい。簡単なレポートだ」

「……レポート、ですか」


 私が問うと大城戸教授は机の抽斗(ひきだし)から何やら古びた桐の箱を取り出した。大きさはちょうどティッシュ箱くらいか。


「この中身について調べ、その結果をまとめて提出して貰おう」



 ○



「それで、その箱の中には何が入ってたんですか?」


 学食でB定食をつつきながら、沙耶は桐の箱を興味深そうに見つめていた。

 テスト期間もほぼ終わりを迎え、学食は閑散としている。普段なら座席確保に奔走しなければならないのだが、今は気楽なものだった。


「――赤錆の塊だよ。なんか、輪っかになってる」

「赤錆ですかぁ」


 言いながら()めつ(すが)めつ箱を眺める沙耶は堪らなく愛らしい。小動物とかたんぽぽの綿毛とか、そういう種類の愛くるしさだ。

 私の彼女であるところの大城戸沙耶は一見とろんとした雰囲気に見えるが、その実、とろんとしている。隣にいると自然とほっこりとした気分になるタイプの美人だ。春の陽気を思わせる雰囲気を纏った才色兼備の沙耶が何故私を彼氏として選んだのかは真夏の炬燵事件と並んで城南大学文学部の九番目の七不思議として人口に膾炙(かいしゃ)していた。


 私自身、どうして沙耶が私なんかと付き合う気を起こしたのかがさっぱり分からないでいる。何とか努力してそこそこの点を取っている私と引き換え、受講全科目で“優”を取り続け、料理も裁縫もスポーツも茶道も華道も全部こなせる沙耶に引け目を感じていないと言えば嘘になるだろう。

 結局のところ、私自身が自分に自信が持てないでいるのだ。


「んー 昌之くん、ここ、何か書いてますねぇ」

「え、どこ?」


 赤錆の塊に手掛かりがない以上、私も桐の箱は隅々まで確認した。見落としがあったとは思いにくいのだが、沙耶の指差したところを見ると確かに薄れかけた墨の跡が見える。言われなければ気が付かない、本当に微かな痕跡だ。流石は沙耶と感心する。


「あ、ほんとだ。えーっと、これは木曜日の“木”と……成長促進の“促”か、保護フィルムの“保”かな? その後の字はかすれて見えないか」

“俣”(また)という字にも見えますねぇ。秀吉の墨俣(すのまた)一夜城の“俣”」

「ああ、確かに。そっちっぽいな。……“木俣”(きまた)? “木俣”(このまた)


 鞄からiPADを取り出し、google先生で検索してみる。IT化というと既に古臭い言葉になってしまったが、いつでもどこでも情報と接続することが出来るのは実に便利だ。


「名字、だな。有名人もいるみたいだ。読みは……“木俣”(きまた)か」

「地名にもあるみたいですねぇ。茨城県つくば市に。こっちは読みが“木俣”(このまた)みたいですけど」


 沙耶は手早く地名の検索なんかを終えたらしい。この地名がどれくらい古いものなのかは分からなかったが、難読地名として挙げられるような場所だ。恐らく、相当古いのだろう。“木俣神”(きのまたのかみ)という神様も『古事記』に登場するらしいが、関連性があるのかないのかすら分からない。


「パパはこれをどこで手に入れたって言ってましたか?」

「大江戸骨董市で買ったって話だ。その線から洗うのは難しいだろうな」


 大江戸骨董市は代々木で行われるアンティークの市で、開催回数も参加者も多い。その中から有力な手掛かりを探すのはほとんど不可能だろう。


“木俣”(きまた)の名字と、赤錆自体を調べていくしかなさそうだな」


 私が呟くと、沙耶は微笑みながら頷いた。この沙耶との明るい未来の為にも、将来の岳父候補こと大城戸教授の鼻を明かしてやらねばなるまい。



 ○



 城南大学工学部に附属している物性研究センターに試料としてこの赤錆を捻じ込めたのは私の人徳による。一般教養科目で無意味に人脈を広げておいた甲斐があったというものだ。本当は自主休講した時にノートを見せて貰う為だったのだが、人生なにが役に立つか分からないものである。


「結論から先に言うと、これは(はがね)の錆だね」


 引き受けてくれた工学部の友人はあっという間に結果を教えてくれた。テスト期間明けでタイミングよく順番が空いていたらしい。


「鋼の? 鉄と違うのか?」

「文系に理解を求めようとは思わないけど、こんなもの持ち込むくらいだからその辺くらいは抑えておいて欲しいな。鉄に含まれる炭素含有量が0.3%から2.0%までのものを鋼と呼称する」

「へぇ、そいつは一つ賢くなった」

「ま、ややこしいことはこの際措いておくとして、だ。こいつは多分、“ドワーフ(こう)”だね。それも、とびきり古い時代の」

「ドワーフ鋼……?」


 ドワーフというのは、日本に暮らす二つの異種族の内の一つだ。

 大和のエルフと飛騨のドワーフ。遥かに昔、遠く海を渡ってやって来たとされる来訪者。その鍛冶や細工の腕は現代日本の工業社会を支える上で欠くべからざる要素を成している。


「なんで、ドワーフ鋼の輪っかが……?」

「何に使うものなのかは知らんぜ。石から生まれる連中のことは分からんからな」


 そう。ドワーフは石から生まれるのだ。人と交わることの出来るエルフとも異なり、その生殖方法は生物学上の大きな疑問とされている。雄しか存在しないドワーフは、“気に入った石と交わって”子を作る。これは古くから知られたことで、静岡県掛川市に残る“孕石”(はらみいし)という地名はドワーフの大規模な集落(コミューン)があったことで有名だ。


 山地や地中で暮らすことを好む彼らの生活や民俗、歴史については二十一世紀の今でさえ不明な点が多い。これはひょっとすると単なるレポートで済まなくなるかもしれなかった。


「とにかく、ありがとう。助かった!」

「この礼はいずれよろしく頼むぜ」

「代返でもノートでも任せとけ!」


 言いながら、私は大学図書館に駈け出していた。そこで沙耶が木俣家について調べてくれているはずだ。



 ○



 クーラーのよく効いた大学図書館の自習スペースで、私と沙耶は互いの調べた情報を突き合わせた。この短い時間で、沙耶はよく調べている。


「木俣の名字で有名な家は代々、井伊家の筆頭家老として仕えた家柄ですねぇ」

「井伊って言うと、桜田門外の変で殺された?」

「はい。徳川四天王と名高い井伊直政から連綿と続く彦根藩三十五万石の井伊家です。後に減封されてますけど」


 井伊家といえば、ひこにゃんで有名な彦根城の主だ。全身の具足を赤一色で統一した“井伊の赤備え”といえば精鋭部隊として高名で、徳川家の最先鋒として幾多の戦いで先陣を務めている。

 その筆頭家老である木俣家とこの赤錆の輪っか、何か関係があるのだろうか。

 最初は言われるがままにはじめた調査だったのが、だんだん楽しくなってきている。


「有名な“赤備え”を井伊家が召し抱えることが出来たのも、木俣家初代の木俣守勝の功績が大きかったようですねぇ」

「え? 赤備えって、井伊家が作ったんじゃないの? 真田の赤備えとか、色々な家が勝手に赤備えを作ってるんだと思ってた」

「昌之君はもうちょっと戦国時代も勉強した方がいいですよ。面白いですから。元々の赤備えは武田家臣の飯富虎昌が発足させて、血縁の山県昌景が引き継ぎ、武田家滅亡後に徳川家臣団に吸収されたんです」

「へぇ、沙耶は何でもよく知ってるんだな」


 ちくり、と胸が痛む。僻みともいえない僻み。沙耶は多分気付かないだろうし、気付いても受け流してくれるだろう。それでも、こんな僻みを抱いた自分自身が情けない。


「へへ、昌之くんが何に興味を持っても大丈夫なように、アンテナ張ってるんです」

「そっか」


 こういうことをさらりと言える沙耶は、本当に強いと思う。私は、沙耶に本当に相応しい男なんだろうか。今そうでないとしても、いずれ相応しい男になることが出来るんだろうか。

 今は、目の前のことを片付けよう。折角興味も湧いてきたんだ。一歩一歩、着実にやるしかない。


「しかし、ドワーフと“赤備え”か。何か関わりがあるのかな、沙耶?」

「仮説を立てるのは大事ですけど、あまり情報が集まらない内に考えを固めてしまわない方がいいですよ。今はもう少し情報を集めた方がいいと思います」

「それもそうだな。じゃあ、沙耶は戦国時代好きだし、“赤備え”を調べてくれるか? こっちはドワーフについて調べてみる」

「まかせてください」


 とは言ったものの、ドワーフについて何を調べればいいんだろうか。専門のエルフのことは少し分かるものの、ドワーフについての学部生の知識なんてほとんど無いに等しい。途方に暮れながら、私はオーソドックスな資料から当たってみることにした。



 ○



「――むかし斐太の国にもりあより小さき人来たり。みずから“土和夫”(どわうふ)と名乗りけりか」


 現存する最古のドワーフに関する史料だ。散逸した『飛騨国風土記(ひだのくにふどき)』の抜粋とされ、『釈日本記』などと同時代の複数の史料に見られる。

 斐太とは飛騨の旧表記で、現在の岐阜県飛騨高山地方に当たる。“大和のエルフ”と並ぶ“飛騨のドワーフ”として有名なのは、この地方が貧しかったことに起因する。

 布製品も特産品も期待できない飛騨の国に対して時の朝廷は租庸調の税の内、庸と調とを免除し、代わりに飛騨工(ひだのたくみ)として都に大工を派遣させた。この中に加わった土和夫(どわうふ)の力量が広く認められ、飛騨大工(ひだだいく)という言葉が現在まで残っている、という。


 ここで素朴な疑問が一つ。

 飛騨の国は言わずと知れた内陸国である。ここにドワーフたちは“もりあより来たり”というように“もりあ”という何処かからやって来たのだ。つまり、それまでに日本国内の何処かに拠点を持っていた、ということは考えられないだろうか。

 『風土記』は日本各地それぞれの気候や特産品を記した貴重な資料だが、現存しているのはほんの数カ国分に限られる。つまり、『風土記』の残っていない何処かの国に、ドワーフが既に根を張っていた可能性は否定できない。“もりあより来たり”という表現が、“もりあ”という海外のどこかから日本列島に来訪したという最初の記述ではなく、単に列島内での根拠地の移動について記述しているのかもしれないのだ。


 それと、もう一つ大きな疑問がある。

 現在、日本国内におけるドワーフの居住地(コミューン)の最大のものは大阪府東大阪市にある。次いで愛知県豊田市を中心とした地域と静岡県浜松市。北九州の玄界灘沿岸と関東の京葉工業地帯にも多くのドワーフが集住しているようだ。

 だが、飛騨はどうか。飛騨大工という言葉があり、実際にそこに居住しているドワーフもいなくはないのだが、それほど多いわけではない。


 何だろう、この不自然さは。

 史料を見る限り、室町時代の中頃まではドワーフの飛騨大工が各地で活躍しているのが分かる。西国の大内氏が現在の山口県に造らせた小京都の町並みには、ドワーフ大工の技前が遺憾なく発揮されているのが見て取れるのだが、それ以降、飛騨の国のドワーフが活躍したという史料は質、量ともに激減する。


 その時私はふと壁を見上げた。そこには伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』が貼ってある。飛騨は、岐阜県の右上。北は越中、西は美濃。そして、東には。


「信濃か。……武田家?」


 武田と言うと“赤備え”に代表される騎馬隊や風林火山、そして甲斐の金山なんかが有名だったような気がする。いくら戦国時代に疎いとはいえ、それくらいは私でも知っている。


 “赤備え”の武田家と、ドワーフ鋼の輪。この間に、何か関わりがあるのだろうか。



 ○



 初夏の長い陽も沈み始めたので、私は沙耶を誘って近くのファミレスに飯を食いに行くことにした。沙耶とは直接関係のないレポートの調べものを手伝って貰っているお礼も兼ねている。本当はもう少し奮発したいのだが、生憎と給料日前でバイト代が入るのはもう少し先だった。


「“赤備え”の具足をドワーフが作ったかもしれないって?」


 ドリンクバーのメロンソーダを美味そうに飲みながら沙耶は史料のコピーを取り出した。


「そうなんですよねぇ。具足に使われた赤色は辰砂(しんしゃ)、或いは()と呼ばれていた硫化水銀で、これ自体は邪馬台国の時代から使用されていたんですけど、どうもこういう鉱産資源は流通の段階からドワーフが深く関わっていたみたいなんです。それと、鎧師。これも専門性の高い仕事で、刀鍛冶と並んでドワーフがしっかり利権と技術を抱え込んでいたみたいです」

「つまり、信濃や甲斐にもドワーフがいた、と?」


 尋ねながらハンバーグを口に運ぶ。行儀は悪いが、ファミレスのメニューだ。冷める前に片付けてしまいたい。


「飛騨と信濃は山で隔てられているとはいえお隣ですし、ドワーフは山登りも苦にしませんからね。可能性は大いにあるんじゃないですか。甲斐の金山なんてドワーフが関わっていない方がおかしい気もしますし」

「その辺りは史料に残ってないの?」

「甲斐の金掘り衆にドワーフが混じっていたかどうか、という史料は今日調べた範囲では見つかりませんでしたね」


 佐渡も石見も、金山銀山と言えばドワーフだ。三井三池炭鉱や夕張炭鉱も彼ら無しには運営できなかったという。言わば日本という国において、鉱山技術はドワーフに半ば独占されてきたのだ。

 もちろん、甲斐の金山が例外だという可能性もある。決めてかかるわけにはいかないが、やはり武田家とドワーフの間には何らかの関わりがあったのではないかという気もする。


「武田家とドワーフに関わりがあり、そのドワーフから武田家を通してドワーフ鋼の輪が木俣家に伝わった?」

「その可能性はありますね、でも」

「でも?」

「そもそも、その輪っかって何なんですかねぇ」

「鋼の輪っか、ね。何に使うんだろ」


 沙耶がオムライスを頬張るのを横目に、私はiPADで“鋼の輪”と検索を掛けてみた。関係のありそうな記事にはヒットしない。次に、“鉄の輪”でも挑戦してみる。


「ん? 何じゃこりゃ」

「何か見つかりました?」


 ヒットしたのは、日本神話やファンタジーの神具を扱っているサイトだ。それも一つだけではない。ひょっとして私が知らないだけで、“鉄の輪”というのはポピュラーな神具なんだろうか。


「えーっと、“鉄の輪”ってのは信濃の諏訪地方にいる守矢神の武器なのか…… 守矢(もりや)?」


 何か引っかかる。何だろう。守矢、守矢……


「あ。“もりあより来たり”か」


 てっきり語感から“モリア”という海外の地名かと思い込んでいた。信濃の守矢から、飛騨にドワーフが移住してきた。何も不思議なことはない。遥か海の彼方からやってきた、というよりもよほど筋が通っている。


「え、昌之さん、何か分かったんですか?」

「ああ、つまり、ドワーフは元々信濃の諏訪地方、守矢にもいたんだよ」


 一度は諏訪から移住したドワーフが守矢に戻ったのか、そもそも守矢にも残っていたドワーフがいたのかは分からない。とにかく、守矢のドワーフが武田家に力を貸し、その過程で神具としての“鉄の輪”が木俣家に譲渡された。細かい部分は措くとして、著しい不自然さは、ない。

 ひょっとするとドワーフの神具を武田家が奪って、それを盾にドワーフに労働を強いた可能性もあるが、その点については今後の調査次第だろう。


 自分で考えても穴のある推理だと思うが、一夏かけてじっくりと問題点を潰していけば中々面白いレポートに仕上がるのではないか。特に“もりあより来たり”を守矢と解釈している先行研究なんかがないかを調べなければならない。


 最初は教授を見返すつもりで始めたレポートだったが、調べれば調べるほどのめり込んでいく。これはうれしい誤算だ。

 いま思いついたことを忘れないようにメモする私を、沙耶がにこにこしながら見つめている。


「ん、何か顔に付いてる?」

「んーん。昌之くん、楽しそうだなって思って。こんなに楽しそうな昌之くん見るのは久しぶりだから」

「……そうかな?」

「うん。何かに打ち込んでるところ見るのが好きなんだ。昌之くんはいつか何か成し遂げる人だって、私はずっと思ってるよ」


 そう言う沙耶の顔は、ほんのりと赤く染まっていた。つられて私も顔が熱くなる。

 沙耶に感じていた僻みはどこかに消え、今は満たされた気分だった。




 この後、私の提出したレポートが引き金となって、ドワーフ日本列島先住民説が俄かに盛り上がり学会を揺るがす大騒動になるのだが、それはまた別のお話である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公と一緒に謎を解いていく快感と、ハッタリのきいた設定に琴線が触れました。
2017/05/20 00:21 退会済み
管理
[良い点] 嘘の紛れ込ませ方が上手くて自然に話の中に入っていけました。 魔法少女の短編二つも読みましたが、特有の温かい世界観を作者様が持っておられるように感じました。読んでいてとても心地良かったです。…
[良い点] ドワーフ・エルフと日本史、そして馴染みの地名の融合。この一見カオスとも取れる要素を 綺麗にまとめて、爽やかに進行し「ぶった切った」この構成はお見事の一言。 作中の昌之同様、ワクワクしながら…
2013/01/16 01:14 退会済み
管理
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