8 ディスタンス
佐倉の勤め先が取引先だというのに僕は担当にもなれずにいた。上司にお願いして担当にしてもらいたかったが、それを佐倉にとめられた。それは佐倉が我が社のセール品を購入するために訪れた日のことだった。担当者のチーフが出張で不在だったので僕が対応することになったのだ。佐倉は必要な商品を猛スピードで選び「これを店に送って」と言ってショールームのソファーに腰かけた。
「こらこら、蒲田君、お客様にお茶をお出ししなさい」と佐倉に言われて僕は麦茶を用意した。自らお茶を催促するなど佐倉以外にはいなかった。しかし、お茶の用意もしない営業は僕しかいなかった。
「君も座りたまえ」と佐倉は言って店の売れ筋などをあれこれ教えてくれた。僕は佐倉に佐倉が勤める店の担当を希望していることを告げた。すると佐倉は「君ではいかんよ」と言った。
「なんでだよ」と僕は強い口調で言った。
「だって蒲田じゃうちの店にアドバイスなんかできないよ。うちの店はハイセンスなんだぞ。それに気が利かないからね。他の営業なんか週に三回もくるんだぞ。君の上司だって週に一回は訪ねてくるけど君じゃ電話だって週に一回あるかどうか怪しいよ。マメさがないんだよね。それからさぁ」
「まだあるのか?」
「あるある。アパレルの営業がそんな当たり前の恰好をしてちゃダメだよ。ジャッケットにしてもパンツにしてもまるで公務員だぞ」
「そうか?」
「そんなことを言ってるようじゃ営業成績あがらないぞ。もっとお洒落に気を使ってくれなきゃ店の従業員に嫌われちゃうよ。お洒落で給料もらっている業界なんだぞ」佐倉はうるさい母親よりシャープに僕の弱点を責め立てた。その日の佐倉は確かに洒落ていた。男物のストライプのシャツにAラインのスカート。サマーダークで統一したコーディネイトはさり気なく夏を演出していた。
「それからさぁ」佐倉は何かを言いかけた。
「なんだよ」
「うちのマネージャーは君のところのチーフに惚れちゃっているんだよね」
「そうなのか!それで婚約破棄したのか」
「そうじゃないよ、婚約破棄したのは婚約者が暴力ばかり振るうからなんだよ。そんな時にチーフが店に来て親切だったからクラッときちゃったんだなぁ」
「それでチーフに惚れたのか?」
「そうなんだよ。だからチーフがうちの担当をしてくれているとうちのスタッフも助かるんだよ」
「なんで?」
「それはマネージャーのご機嫌がよいからだよ」
「なんだそりゃ」
「それが大事なんだよ」
「そうなのか」
「蒲田に言ってもわからないかなぁ」
「よくわからん」僕は正直に言った。
「まぁいいさ。蒲田はお洒落に気を使って今の取引先を精いっぱい面倒見なよ」佐倉は言いたいことを言うと麦茶を飲み干して出ていった。佐倉と次に会ったのは彼女が遠い場所へ旅立つ決意をした後のことだった。