07:疫鼠の贈り物
07:疫鼠の贈り物
魔王城の地下ごみ集積場。
今日もゼラは、生ごみの山を前に触手を揺らしていた。
「……はぁ。今日もいっぱいだなぁ」
生ごみ、壊れた武具、薬品の残滓、魔獣の死骸。
魔王軍の“裏側”はすべてここに押し込まれる。
ゼラはその処理を一手に担う、最底辺のスライムだ。
だが最近は、魔王軍の生活改善に貢献したことで、ゼラの評価はほんの少しだけ上がっていた。
そんな折――。
「やあ、スライム!」
甘い声が響いた。
振り向くと、悪魔王ヴェルゼの、大きな布包みを担いで立っていた。
「今日の“ごみ”だ。さっさと処理しとけよ」
「え、今日のって……それ?」
白い布でグルグル巻きにされた包みは人間の形をしており、中身がもぞもぞと動いている。
(ミイラパッケージ……)
ゼラは嫌な予感がした。
「な、なにこれ……?」
「なあに気にすることはない。ただの魔王軍の“厄介者”よ」
ヴェルゼは鼻で笑い、布包みを乱暴に投げ捨てた。
「くそ!せっかく楽しい玩具が手に入ったと思ったのに!仕方がない。サルヴァン様のご命令だ。今後はここで処理することになったからな。じゃあな。」
ヴェルゼは、ひらひらと背後に手を振りながら去っていった。
ゼラは布包みを見つめ、触手を震わせた。
(……厄介者って、まさか……)
だが、魔王軍では珍しいことではない。
裏切り者、規律違反者、暴走した魔物――“処理”が必要な存在は、時折現れる。
ゼラは深く息を吸い込むように粘体を震わせた。
「……やるしかないか」
ゼラは体を広げ、強酸の海を形成した。
布包みをそっと押し込み、ゆっくりと溶かしていく。
――じゅわ……。
布が溶け始め、中身が露わになる。
「……え?」
ゼラは思わず声を漏らした。
布の中にいたのは――人型の魔族ではなかった。
無数の小さな影が、布の隙間から飛び出した。
「チチチチチッ!」
「うわっ!? ね、ネズミ!?」
いや、ただのネズミではない。
魔力を帯び、異様に素早く、しかも――分裂している。
一匹が二匹に、二匹が四匹に、四匹が八匹に。
「ちょ、ちょっと待って!? 増えてるじゃん!」
ゼラは慌てて触手を伸ばし、逃げ出したネズミを捕まえては溶かしていく。
だが、溶かした瞬間にまた増える。
「なんで!? これ、どうなってんの!?」
ネズミたちはゼラの体に噛みつき、毒のような魔力を流し込んでくる。
「うわっ……なんか、体が熱い……!」
ゼラの粘体がざわつき、内部の空間がぐらりと揺れた。
ネズミたちの魔力が、ゼラの体内に吸い込まれていく。
(やばい……このままじゃ……!)
ゼラは体を大きく膨らませ、強酸の海を一気に広げた。
「うおおおおおっ!」
酸の波がネズミたちを飲み込み、次々と溶かしていく。
だが――。
「チチチチチッ!」
溶けたはずのネズミが、ゼラの体内で再び形を成し始めた。
「えっ……!? なんで俺の中で増えてんの!?」
ゼラは混乱した。
だが、次の瞬間――ゼラの体内空間が“変質”した。
ネズミたちの魔力が、ゼラの粘体に吸収され、ゼラ自身の魔力へと変換されていく。
そして――。
「……あれ? この感覚って……」
ゼラは直感した。
ネズミたちの能力が、自分の中に取り込まれている。
ひとつは――分裂。
ゼラは触手を伸ばし、自分の体の一部をちぎってみた。
――ぽとん。
落ちた粘体が、ぷるんと震え、小さなスライムの形を作った。
「うわっ!? 俺、増えた!?」
もうひとつは――疫病。
ゼラの体から、微弱な“病魔の霧”が漂い始めた。
もちろんゼラ自身には害はない。
だが、魔力を持つ存在に触れれば、その魔力を乱し、弱体化させる効果がある。
「……これ、すごい能力じゃん……」
ゼラは驚きと恐怖の入り混じった声を漏らした。
ネズミたちの魔力は完全に吸収され、強酸の海は静けさを取り戻した。
ゼラはぐったりと体を縮めた。
「……つ、疲れた……」
そのとき――。
「ゼラ」
静かな声が響いた。
振り向くと、サルヴァンが立っていた。
「サルヴァンサマー……」
ゼラはへたり込みながら答えた。
「見事だったよ。あれは“疫鼠”と呼ばれる魔族だ。分裂と疫病を操る厄介な存在だった」
「え、疫病……?」
「君はそれを取り込み、制御した。普通のスライムにはできないことだ」
サルヴァンはゼラの肩に手を置いた。
「ゼラ。君は確実に強くなっている。魔王軍にとって、ますます重要な存在になるよ」
ゼラは胸の奥が熱くなるのを感じた。
(……俺、本当に強くなってるんだ)
ごみ処理係として始まった日々。
だが、今日またひとつ、ゼラは“進化”した。
分裂と疫病――新たな力を手に入れたゼラは、静かに体を揺らした。
「……もっと、強くなりたい」
その小さな呟きは、誰よりもサルヴァンの胸に響いていた。
* * *
魔王城の訓練場は、朝から騒がしかった。
獣王ガルドが、魔獣軍団の調練を行っているからだ。
「おらァ! もっと吠えろ、雑魚ども! その程度の咆哮じゃ、帝国の兵士どころか、子犬にも負けるぞ!」
ガルドの怒号が響くたび、魔獣たちが一斉に身を震わせる。
その中心に立つガルドは、黒い鬣を揺らし、獣のような鋭い眼光で軍団を睨みつけていた。
そんな中、ゼラは訓練場の隅で、ひっそりと見学していた。
サルヴァンの命令で、魔獣軍団の訓練見学を指示されたのだが、ガルドはゼラを見るなり鼻で笑った。
「なんだその面。お前みてぇな弱っちいスライムが、俺の軍団に近づくんじゃねぇよ」
ゼラは肩をすくめた。
「……サルヴァン様の命令だから」
「命令だぁ? だったら仕方ねぇな。だがなぁ、俺は弱ぇ奴が嫌いだ。弱ぇ奴は、群れの足を引っ張るだけだからな」
ガルドの言葉は容赦がない。
だが、ゼラは反論できなかった。
自分が弱いことは、誰よりも自覚している。
そのときだった。
「ガルド様! 魔獣たちが……!」
魔獣軍団の一部が暴走を始めた。
魔力の乱れに反応したのか、数体の魔獣が牙を剥き、仲間に襲いかかっている。
「チッ……またかよ。おいスライム、下がってろ。お前じゃ死ぬだけだ」
ガルドはそう言い捨て、暴走した魔獣たちの一匹を殴り倒した。
だが――ゼラは下がらなかった。
ガルドから離れた場所にいる魔獣が、ガルドの部下に飛びかかるのが見えたからだ。
ガルドがいくら強かろうが、一度に相手取ることができる数には限りがある。
襲われた部下は、ゼラにいつも優しく声をかけてくれた魔獣兵だった。
「危ない!」
ゼラは咄嗟に飛び出し、魔獣の牙を受け止めた。
粘体の身体が裂け、魔力が散る。
「ゼラァ!?」
ガルドの怒声が響いた。
ゼラは必死に魔獣を押し返し、触手を伸ばして拘束する。
魔獣は暴れ、ゼラの身体を噛み砕こうとするが、ゼラは離さなかった。
「……大丈夫……だから……逃げて……!」
部下の魔獣兵を庇いながら、ゼラは必死に耐えた。
ガルドはその光景を見て、目を見開いた。
「……なんだぁ、あいつ……」
ゼラは弱い。
それは事実だ。
だが――弱いくせに、仲間を守ろうとしている。
ガルドの胸に、獣としての本能がざわついた。
「……群れを守るために、命を張る……か」
ガルドは吠えた。
「おらァ! 暴走ども、全員ぶっ飛ばすぞ!」
獣化が進み、ガルドの身体が巨大化する。
黒い毛並みが逆立ち、牙が伸び、魔力が爆発する。
「ガルド様が本気だ……!」
暴走魔獣たちは、急激に膨れ上がった魔力に、ガルドを脅威として反応し、その体に次々と嚙みついた。
魔獣兵たちが息を呑む中、ガルドはものともせず、自らに噛みつく魔獣たちを次々と叩き伏せた。
その動きは速すぎて、ゼラにはほとんど見えなかった。
数分後、暴走は完全に鎮圧された。
ガルドはゼラの前に立ち、腕を組んだ。
「……おい、スライム」
ゼラは痛みに耐えながら顔を上げた。
「……ごめん……勝手に動いて……」
「バカか、お前は」
ガルドはゼラの頭を軽く小突いた。
「弱いくせに、仲間を守るために飛び出すとはなぁ。……群れの掟を知ってるじゃねぇか」
ゼラは目を瞬いた。
「掟……?」
「群れの一員は、仲間を守る。弱かろうが強かろうが、それができる奴は……」
ガルドは鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。
「――群れの一員だ」
ゼラの胸が熱くなった。
「……俺、仲間……?」
「当たり前だろ。お前はもう“弱いだけの子狼”じゃねぇ。今日からは、一端の戦力だ」
ガルドはゼラを掴み、ぐっと引き寄せた。
ゼラは震える声で答えた。
「……うん。ありがとう、ガルドさん」
ガルドは照れ隠しのように顔をそむけた。
「礼なんかいらねぇよ。仲間なんだからな」
その言葉は、ゼラの心に深く刻まれた。
弱いスライムだった自分が、初めて“仲間”として認められた瞬間だった。




