12:沈黙の騎士
12:沈黙の騎士
魔王城の廊下は、夜になると静まり返る。
昼間は魔族たちの喧騒で満ちているが、夜の城はまるで別の世界のように冷たく、暗い。
ゼラはその廊下を、ひとり歩いていた。
(……怖い)
スライムの身体は魔力に敏感だ。
夜の魔王城は、昼よりも魔力が濃く、まるで“何か”が潜んでいるように感じられる。
ゼラは震えながら歩き続けた。
今日の任務は、サルヴァンからの命令で“黒騎士ダリオンの巡回に同行すること”だった。
(……なんで俺が……)
ダリオンは六幹部の中でも最も謎が多い。
ほとんど喋らず、感情も見せず、ただ淡々と任務をこなす“沈黙の騎士”。
ゼラは彼が苦手だった。
(……絶対、俺のこと嫌ってるよな)
そんなことを考えていると――背後から、重い足音が響いた。
「……!」
ゼラが振り返ると、黒い鎧に身を包んだ巨躯が立っていた。
黒騎士ダリオン=グレイヴ。
その姿は、夜の闇と同化しているかのようだった。
「……ダリオンさん……?」
ダリオンは何も言わない。
ただ、ゼラの横を通り過ぎ、歩き出した。
ゼラは慌てて後を追う。
「えっと……今日の任務、よろしくお願いします……」
沈黙。
「……あの、俺、足手まといかもしれないですけど……」
沈黙。
「……無視しないでくださいよ……」
沈黙。
ゼラは泣きそうになった。
(……やっぱり嫌われてる……)
* * *
巡回は淡々と進んだ。
ダリオンは無駄な動きが一切ない。
歩く速度も一定で、まるで機械のように正確だった。
ゼラは必死にその後ろをついていく。
(……この人、何考えてるんだろ)
そんなことを思っていると――突然、廊下の奥から悲鳴が聞こえた。
「ぎゃああああああああ!」
ゼラは飛び上がった。
「な、なに!?」
ダリオンは即座に剣を抜き、音のした方向へ走り出した。
ゼラも慌てて追いかける。
廊下の角を曲がると、そこには魔族兵が倒れていた。
その上に――異形の影が覆いかぶさっている。
「……魔族?でもなんで……?」
魔族と言えど、一枚岩ではない。サルヴァンに敵対するものもいる。
この魔族もそんなものたちが送り込んできた刺客であった。
魔族はゼラに気づき、咆哮を上げて飛びかかってきた。
手には焼いて艶を消した短剣が握られている。毒らしき粘液がぬらりと光った。
「ひっ……!」
ゼラは反射的に目を閉じた。
だが――衝撃は来なかった。
代わりに、金属がぶつかる音が響いた。
ゼラが目を開けると、ダリオンがゼラの前に立っていた。
巨大な魔族の爪を、片手で受け止めている。
ゼラは息を呑んだ。
「だ、ダリオンさん……!」
ダリオンは何も言わない。
ただ、剣を振るった。
一閃。
刺客の首が飛んだ。
ゼラは呆然とした。
(……強すぎる……)
倒れた魔族兵の状態を確認する。
「あの……大丈夫ですか……?」
ゼラが尋ねると、ダリオンは剣を収め、わずかに頷いた。
その仕草は、ゼラに向けられた初めての反応だった。
* * *
刺客の死体を処理し、巡回を再開した。
魔族兵の毒はゼラが吸い出した。処理が迅速に行われたため、命に別状はないとのことだった。
ゼラは勇気を出して話しかけた。
「……さっき、助けてくれて……ありがとう」
ダリオンは沈黙したままだった。
だが――ほんのわずかに、ゼラの方へ視線を向けた。
それは、“承認”の合図だと感じた。
ゼラはその意味を理解した。
(……仲間として、認めてくれたんだ)
ダリオンは背を向け、歩き出した。
ゼラはその背中を見つめながら、静かに呟いた。
「……これからも、よろしくお願いします」
ダリオンは振り返らず、何も語らない。
* * *
魔王城の一角に、幹部たちが集う小広間があった。
正式な円卓の間ではない。夕食後、気が向いたときに誰かが集まる、非公式の場だ。
ゼラがそこに呼ばれたのは、ダリオンとの夜巡回から数日後のことだった。
「ゼラ、来い」
廊下でヴェルゼに腕を引かれ、ゼラは半ば強引に連れ込まれた。
「な、なんですか急に!」
「飲み会だよ。たまには混ざれ」
部屋の中では、ガルドが大ジョッキを傾け、グラズが腕を組み、バル=サンガが錫杖を壁に立てかけ、リュゼリアが黙って窓の外を眺めていた。
ダリオンだけが、扉の脇に立ったまま動かない。
「……え、全員いるじゃないですか」
「そうだよ。問題でも?」
ヴェルゼはゼラを椅子に押し込み、杯を押しつけた。
「スライムが酒を飲めるかどうか知らないけど、まあ付き合え」
「あの……これ、なんで俺なんですか?」
ゼラが恐る恐る訊くと、ガルドがぐびりと一口飲んで答えた。
「お前が幹部に認められてから、サルヴァン様が機嫌よくなったんだよな。ヴェルゼが言い出したんだ。"ゼラに何かが起こるとサルヴァン様の気配が変わる"ってよ」
「そんなこと、俺には関係――」
「大アリだ」
バル=サンガが低い声で遮った。
「御方の機嫌は、軍の士気に直結する。おぬしは知らずしらずのうちに、御方の安定に貢献しておるということじゃ」
ゼラは少し考えた。
(……サルヴァン様が、俺のことを気にしてくれてるから……?)
思い当たることはある。
ゼラが幹部に認められるたびに、サルヴァンは嬉しそうに微笑んだ。
まるで自分のことのように。
「……なんか、変な感じですね」
「変じゃない」
リュゼリアが窓から目を離さずに言った。
「サルヴァン様は……ずっと一人だったのよ。魔族の中でも、人間族の中でも。あの方の孤独を本当に理解できるのは……」
リュゼリアは途中で口を閉じた。
続きを言うつもりはないらしかった。
しかし、ゼラにはその続きが何となくわかった。
(……サルヴァン様にとって、俺は……昔の友人の代わりじゃなくて……俺自身として、必要とされてるのか)
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
グラズが杯を持ち上げた。
「ゼラ」
「はい」
「おぬしは弱い。だが、折れぬ。そして――御方の心を、明るくする」
グラズは珍しく、わずかに表情を和らげた。
「それは、武の強さとは別の、おぬしにしかできぬ仕事だ」
ゼラは黙って頷いた。
ガルドが豪快に笑った。
「よし、飲め! 今日はゼラを認める会だ!」
「急に名前つけないでください!」
ヴェルゼがくすりと笑い、バル=サンガが静かに杯を傾けた。
ダリオンは何も言わなかった。
しかし、ほんの少しだけ扉から離れ、輪の端に近い場所へ移動していた。
その夜、ゼラは初めて"幹部の輪の中"で笑った。
それを、廊下で遠くから見ていたサルヴァンが、一人静かに微笑んでいたことを、ゼラは知らなかった。




