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第3話

弓道場を出ると、外の空気はもう少し柔らかくなっていた。

 朝練を終えた望月蓮は、弓と矢筒を片づけ、ゆっくりと教室へ向かう。

 いつも通りの廊下。いつも通りの時間。

 だが教室の前に近づくにつれて、中からざわざわとした声が聞こえてきた。


「転校生、今日来るらしいよ」

 「どんな子だろうな〜」

 特に興味はなかった。

 ただ、いつもより少し騒がしいクラスの空気を横目に、

 蓮は何事もなかったように教室へ入る。


 「おはよう、望月くん」

 隣の席の水無瀬文音が、穏やかな声で声をかけてきた。

 蓮は小さく視線を文音に向け、「ああ、おはよう」と短く返す。

 それから椅子を引き、静かに席についた。

 背もたれに軽くもたれながら、窓の外へ視線を向ける。

 春の光に照らされた校庭を眺めながら、

 ふと頭に浮かんだのは妹のことだった。

 ――かれん、今日帰るの早いって言ってたな。

 大丈夫だろうか。


 心の中でつぶやいたそのとき、教室の扉が勢いよく開いた。

 ガラガラ、と軽快な音。

 「全員、席につけ」

 担任の綾瀬聡が入ってきた。白衣を羽織ったままの姿は、どこか理科室の延長みたいだ。

 眠そうに目を細めて、やる気のなさそうな声だった。

 その穏やかな声に、教室のざわめきがぴたりと止まる。

 「さて、今日はみんなに紹介したい人がいる」

 その一言で、再びざわめきが戻った。


 蓮は視線を机に落としたまま、心のどこかで“やっぱり転校生か”と呟く。

 「入ってきなさい」

 綾瀬の声とともに、教室の扉が再び開いた。

 春の光が差し込み、そこに一人の少女が立っていた。

 「花咲ひよりです! よろしくお願いします!」

 明るく澄んだ声が響いた。

 その瞬間、教室の空気がぱっと明るくなったように感じる。


 初めて見るはずの笑顔なのに、どこか懐かしい――そんな錯覚。

 「花咲……?」

 蓮はわずかに眉をひそめた。

 名前を頭の中で繰り返す。

 花咲、ひより。

 その響きに、なぜか遠い日の声が重なった。

 ――“妹がいてね、あの子はきっと、綺麗な花を咲かせるんだ。”

 ふと、昔聞いた誰かの言葉が脳裏をよぎる。

 思い出そうとしたが、すぐに教室の喧騒にかき消され、ただの遠い日の風の音として胸に留まる。

 ただの偶然か。


 「転校初日なのに、明るい子だね〜」

 「なんかいい感じの子じゃん!」

 周囲の声が飛び交う中、ひよりは少し照れながら笑っていた。

 綾瀬が軽く頷く。

 「じゃあ、花咲はあそこの空いてる席に座ってくれ」

 その指先が示したのは――蓮の斜め前。

 ひよりは「はいっ」と返事をして、軽やかに席へ向かう。

 髪が揺れ、春の光を反射した。

 蓮はその様子をぼんやりと見ていた。

 “元気なやつだな”

 それが最初の印象。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 窓の外を吹き抜ける風が、カーテンをふわりと揺らした。

 「まあ、クラスが少し騒がしくなるくらいなら、悪くないか」


 そんなことを考えたのは、ほんの一瞬だけだった。

 彼の中では、いつも通りの一日がまた始まる――はずだった。

 けれど、この“いつも通り”が、

あの笑顔によって揺らぎ始めることを、

蓮は、まだ知る由もない。

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