第10話
朝。昨晩、母から預かった桜色のリボンがかかった紙袋が、デスクの上に置かれていた。望月蓮はそれを眺めていた。
(本当に、渡さないとなのか……)
花咲ひより。あの母の一瞬の違和感、そして遠い過去の記憶、あの人と同じ苗字。
かれんがお世話になったとはいえ学校でお礼を渡すのに接触するのはどこか気まづくて気が進まない。
そのとき、リビングから小さな声が聞こえてきた。かれんが母に話している声だ。
「お母さん、ひよりお姉ちゃん、また遊びに来ないかな〜?」
「さあ、どうかしらね」という母の柔らかな返事。
蓮は、そっと目を閉じた。
すっかりかれんはお気に入りのようだ
(かれんが助けられたのは事実)
蓮はため息をつくと、重い気持ちで紙袋を手に持った。
まだ慣れない新しいクラス。廊下にはざわめきが満ちている。
蓮は、登校中も頭の中で今日のシミュレーションを繰り返していた。いつ、どこで渡すのが最も自然で、かつ目立たないか。ホームルーム前か? それとも放課後、人目を避けて?
そこまで考えていたとき、目の前の景色が急に変わった。
「あっ」
誰かとぶつかった。体がよろめき、手に持っていた紙袋が、滑り落ちそうになる。
「危ない!」
素早く伸びてきた手が、宙に浮いた紙袋の下を支えた。ぶつかった相手は、水無瀬文音だった。
彼女は紙袋を両手でそっと包み込むように持ち、安堵の息をつく。
「ごめんなさい、望月くん。私がぼーっとしてた」
「いや、俺も前を見てなかった」
蓮は少し冷たい声で返したが、水無瀬は気に留めた様子もなく、紙袋を蓮に戻そうとした。
そのとき、紙袋の口が少し開き、中に入っている桜色のリボンがかかった箱がちらりと見えた。
「わあ、可愛らしいパッケージだね」
文音は目を丸くして言った。だがすぐに、「あっ、ごめんなさい。中が見えちゃって!」と慌てる
「別に大丈夫」
蓮は水無瀬の慌てぶりに、少し調子が狂う。
「うちの母さんの会社のやつなんだ。ちょっとした手土産みたいなもんだ」
「そうなんだね。美味しそう」
水無瀬はふんわりと微笑んだ。
「あ、そういえば!」
水無瀬は急に何かを思い出したように、バッグから一冊の文庫本を取り出した。
「この間、望月くんに言ってたおすすめの本、今日持ってきたの」
文庫本は少し使い込まれていて、文音が熱心に読んでいたことがうかがえた。
「ありがとう」
蓮は素直に感謝を伝え、本を受け取る。
「その本、主人公が最後に選ぶ道がすごく意外で。望月くんはどんな感想を持つかな」
水無瀬は熱心に本の概要を話し始めた。蓮はその解説を聞きながら、再び歩き出す。
教室の扉の前に着いたちょうどそのとき――
廊下の角から、明るい笑い声とともに二人の生徒が現れた。
花咲ひよりと、その隣に立つ若葉学海だった。
教室の入り口で、四人はぴたりと鉢合わせになった。
ひよりの太陽のような笑顔が、一瞬で消える。蓮とひよりの視線が、真正面からぶつかり合った。少し気まづい
蓮は手に持った焼き菓子の紙袋を隠すように、無意識に本で覆い隠す。
「望月くん、どうかしたの?」
不思議そうに水無瀬が尋ねた。
蓮は、水無瀬にもひよりにも背中を向けたまま、低い声で答えた。
「いや、なんでも」
四人の沈黙は長く続かず、蓮はそのまま教室へと入る。その後を追うように水無瀬も教室に入ってきた。




