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流海の城  作者: 双鶴


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1話

霞ヶ浦の南東、外浪逆浦の水辺に、小舟が一艘、葦の間を縫うように進んでいた。舟を操るのは、鹿島神宮の神職の家に生まれた娘・沙夜。十八の春を迎えたばかりの彼女は、戦火により家を焼かれ、父母を失い、この流海に流れ着いた。


水門の開閉を見極め、湿地の深浅を読み、風の向きを感じながら、沙夜は迷いなく櫂を操る。舟の揺れ、鳥の鳴き声、葦のざわめき――それらすべてが地形の変化を告げる手がかりだった。かつて神宮の祭礼で舟に乗り、湖を渡った経験が、今の彼女を支えていた。


舟の先には、焼け残った社の跡があった。柱は朽ち、屋根は落ち、祈りの場は形を失っていた。沙夜は舟を岸に寄せ、静かに降り立つ。足元は湿地で、踏みしめるたびに水が滲む。彼女は社の前に立ち、懐から小さな香を取り出して火を灯した。煙が細く立ち上り、風に流れて水面へと消えていく。


社の周辺には、戦火を逃れた民が仮の住まいを築いていた。葦を束ねて屋根とし、舟を伏せて壁とする。農民、職人、商人、宗教者、芸能者――身分も出自も異なる者たちが、領主の庇護を失い、流海に集まっていた。沙夜はその中で、舟を操れるという一点で重宝されていた。


ある日、舟大工の源蔵が沙夜を訪ねてきた。彼はかつて香取神宮の舟を造っていた職人で、戦で工房を焼かれ、流海に流れ着いた者だった。


「西の水門が詰まりかけておる。見てきてくれんか」


沙夜は頷き、舟を出した。水門は流海の命脈であり、開閉の具合によって水位が変わる。詰まれば湿地が干上がり、開きすぎれば村が浸かる。水門の管理は、かつては領主の役目だったが、今は誰も責任を持たぬ。


舟を進めると、水門の木組みに流木が挟まっていた。沙夜は舟を岸に寄せ、水に入った。腰まで浸かりながら、流木を引き抜く。冷たい水が肌を刺すが、彼女は黙々と作業を続けた。やがて水門が音を立てて動き、水が勢いよく流れ始めた。舟が揺れ、葦がざわめく。


沙夜は舟に戻り、源蔵のもとへ報告に向かった。


「流木が挟まっておりました。今は流れが戻っております」


源蔵は深く頷き、手を合わせた。


「おぬしがいてくれて、助かった」


その言葉に、沙夜は小さく微笑んだ。誰かの役に立つことが、彼女にとって生きる意味だった。


流海の民は、互いに助け合いながら暮らしていた。鍛冶職人は農具を打ち直し、商人は塩を集めて交易を試み、宗教者は祭礼を復活させようとしていた。舟を操れる者は少なく、沙夜は水門の調整や物資の運搬に奔走した。


ある夕暮れ、沙夜は舟で塩村へ向かった。湖岸に点在する塩の生産地では、戦火を逃れた漁師たちが細々と製塩を続けていた。塩は保存食の要であり、交易の再開には欠かせない。舟に積まれた塩俵を受け取り、沙夜は水路を戻る。


途中、湿地に沈みかけた舟を見つけた。舟には老いた漁師が乗っていた。櫂が折れ、舟は流れに翻弄されていた。沙夜は自らの舟を寄せ、縄を投げて引き寄せた。


「助かった……流れが急で、操れんかった」


沙夜は黙って櫂を渡し、舟を並べて進んだ。水門を越え、村に着くと、漁師は深く頭を下げた。


「おぬしのような者がいてくれて、流海はまだ生きておる」


その言葉に、沙夜は何も答えなかった。ただ、舟を繋ぎ、塩俵を下ろし、次の水門へと向かった。


流海は、誰もが通り過ぎるはずだった場所だった。だが、沙夜は留まった。舟を操り、水門を守り、民の暮らしを支える。彼女の姿は、流海に集う者たちにとって、確かな存在となっていた。


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