第八章 終焉
美咲は決めた。逃げない。記録する。彩花に届いた最後の一行を、目を逸らさずに受け止める。
深夜零時、彼女は机にスマホを置き、ライトだけを点けてインスタライブを始めた。顔は出さない。映すのは部屋と窓と、手元の画面。
視聴者数は少ない。知っている名前がふたつ、知らない名前が幾つか。
〇時一三分、通知音。
私、メリーさん。今、あなたの部屋の前にいるの。
ドアの向こうが息を吸うように沈黙する。コメント欄が揺れる。
〇時一七分、もう一度。
私、メリーさん。今、あなたの部屋の中にいるの。
ライトの輪の外、空気が微かに歪む。見えない何かが境目を跨いだ気配。
〇時二一分、最後の一文が滑り込む。
私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの。
美咲はカメラを自分に向けない。ただ、机の上のスマホに手を置き、震えを止める。
画面の端、影が伸びる。コメント欄が「やめろ」「逃げて」で埋まる。
美咲はそっと、声にならない声で呟いた。「彩花」
配信が切れ、ライトが落ち、部屋は元の暗さに戻った。
翌朝、彼女は姿を消していた。机の上には電源の落ちたスマホと、画面保護シートの間に挟まった細い紙片だけが残る。白地に青いインクで、丸く幼い文字。
見つけた。
その日から、学校では新しい噂が始まる。
──メリーさんの通知は、もうメッセージアプリには来ない。
──画面を見なくても、届く。
──目を閉じていても、届く。
もし、あなたの手の中のスマホが、今、理由もなく震えたなら。
それは通信ではない。呼吸だ。あなたと世界の境目に、誰かが耳を当てている。