第1話 そのキャラは厳しいと思うよ、朝貝さん
春も過ぎて夏を感じさせる暑さが衣替えを急かす頃、僕らのクラスでは席替えが行われることとなった。
実はこのクラスで席替えが行われるのは初めてだ。別のクラスでは既に2回目の席替えが行われるというのに、ようやくの一回目。まったくもって時流に反する少なさだが、これには理由がある。担任がものぐさなのだ。何度かHRでも席替えを訴えきたが、覚え直すのが面倒という理由で却下されてきたという歴史がある。この先生、まさか顔と名前を席順で覚えているのかと不安になったのは僕だけではあるまい。
それはさておき、待ちに待った席替えである。形式はよくあるくじ引き。くじを引いて、黒板に書かれた番号へ移動するわけだ。
張り切った委員長によって、なぜか中心から渦を巻くように番号が付けられていて、どうにも位置がわかりにくい。が、頑張ってくれたことはわかるから誰からも文句は出ない。
これはもしかしたら、善意によって不条理がまかり通るいい例なんじゃないだろうか。
一喜一憂するクラスメイトに紛れ、僕が引いたのは38番。窓から2列目の一番後ろだ。先生から最も遠い、いわゆる人気席。個人的にはそこにメリットを感じるほど不真面目ではないから、配布物が回ってくるのが遅いのと、多く配られて返すときに戻すのが手間なんだよなと思う。
この席のデメリットはもう一つある。片側にしか隣人がいないから、教科書とか忘れたときに、お隣さん次第でめんどくさいことになることだ。忘れっぽいやつだと逆に延々見せ続けることにもなる。左右にいれば負担し合える、もとい押しつけられるんだけど。
ガタガタと机の足が床とぶつかって耳障りな音がする。それが一斉に教室中に響くのだから、下の階の人たちにはいい迷惑だなと思う。遠慮する気はないけども。
一番後ろだから非常に位置決めがやりやすい。元々窓際後ろの席だったから、移動距離もさほどではない。さっさと椅子に腰掛け周りの右往左往を高見の見物だ。とはいえ誰が隣に来るかってことだけが気がかりだ。できれば仲のいい友人、あるいは人となりを知った顔であることを祈る。
はてさて祈りは届かなかったようで、隣に机を置いたのは友達でもなく、人となりもよく知らない女の子が机を重そうに運んできた。
名前は確か・・・・・・朝貝さんだ。
色白な肌に黒縁メガネがよく似合っている、文学系女子。なんて言うとまとめ過ぎか。肩より少し長めの髪を後ろでひとまとめにしている。ちょっと地味目だから、男子の間で彼女の名前を聞いたことはない。同じクラスでもいろんな意味で距離があったから、授業中に指された時の答え、そのくらいでしか朝貝さんの声を聞く機会はなかった。当然、ろくに覚えているわけもない。
まあそれは浅貝さんから見た僕についても同じことが言えるだろう。地味目の目立たない男子とは僕のことでもあるので。
しかし、改めて机を運ぶ姿を見ると、なんとなくペンギンに似ている。一歩ごとに右足左足とえっちらおっちら歩く姿が実にそれっぽい。制服の色に引きずられ過ぎている気もするけど。
新学期の始まりは大抵あいうえお順に並ぶことになる。僕の名前は三島悠だから、あいうえお順だと基本的に後ろから数える方が早い位置。朝貝さんについては論じるまでもない。きっと前から一番か二番目。二桁になったことなどないに違いない。
同じクラスでもグループが遠すぎると話すこともほとんどない。実際教室の対角線に位置するわけだから、まるで接する機会が無かったのだ。
そう考えると異文化交流みたいだ。浅貝さんのイメージに従って言うなら、北極のペンギンと南極のペンギンが顔を合わせたというわけだ。一体どんな話をするだろうか。きっとはじめは全く話が通じないに違いない。
うちのクラスは別にクラス内カーストみたいなものはないはずだけど、棲み分けってものはあるっぽい。今まではあいうえお順で固まっていたいくつものグループが、これから席替えでどう変わっていくか。
攪拌された人間関係は僕達にどんな化学反応を起こさせるのか。きっとこれから思いもよらない交流が始まるはずだ。同じペンギンとして泳ぎ方で意気投合するかもしれない。
未だ席替えの終わりは見えず、座ってのんびりできているのは僕たち二人だけ。なら、この異文化交流の一番手、ファーストペンギンは僕が務めたい。
「朝貝さん、お隣さんとしてこれからよろしく」
できる限り気さく(なつもり)で話しかける。当たり障りのない、きっかけ作りくらいの軽い会話だ。我ながら面白みのない会話だ。
「ふ、ふうん? 別に仲良くしてあげてもよろしくってよ?!」
・・・・・・よろしくってよ? あまりに想定外な返答に唖然とする。大海原に飛び込んだと思ったら、全然浅瀬だった、みたいな。
え、朝貝さんってそんな感じなの? そりゃ話したことはなかったけど、そりゃないんじゃない?
だってどちらかと言えば物静かで穏やかな人ってイメージがあった。僕らみたいに馬鹿笑いをすることもなく、口元を隠して笑うような。
活発な元気少女よりはお嬢様の方が近いことは認める。認めるけど、さすがにこんな高飛車な感じのお嬢様はベクトルが違いすぎるでしょう。
何か、僕の知らないところでそういうのがはやりなのかな? 思わずカメラでもないか目線を周囲に飛ばしてしまう。もしくは罰ゲームか何か。もちろんカメラなんてないし、関係ない人を巻き込んだ罰ゲームを始めるような人だとは思っていない。
・・・・・・だからこそ困惑するんだけども。
この間1秒。多分だけど、僕の頭は今日一番働いていたはず。そしてその一秒で僕は決断した。
「・・・・・・えっと、じゃあ仲良くして頂けると助かります」
おとなしく頭を下げて、口調にはスルー。いいのか、この返答で? なんとなく取り返しがつかないことをしてしまった気分だ。なにせ、突っ込まなかったことで、僕は朝貝さんの奇っ怪な話し方を受け入れてしまったことになる。
やってしまったなぁと考えながらも朝貝さんの様子をうかがう。しかしこれまた予想外なことに、浅貝さんの白い肌は赤く染まっている。え、どういう反応なの? まさか今はジョーク? 僕がスルーしたせいで滑った感じになっているのか、これ?
今ならまだ間に合う。僕がその口調に突っ込むか、朝貝さんがスルーしないでよって言うそれだけでいい。当分は隣に座り続ける人と、こんな意味の分からない緊張感のままに接したくはない。
だから僕がやるしかない。一度スルーしたボケを改めて拾い直すのはとてもつらい。でもやらないとならないんだ!
ぷるぷると体を震わせている朝貝さんへ情けない突っ込みをいれようとしたその瞬間、突然朝貝さんが背筋を伸ばした。そして僕に向かい右手を出してくる。
「握手くらい、してあげてもよくってよ?」
・・・・・・はい。もう覚悟決めちゃった感じですね。
でもボキャブラリーが貧弱じゃない? さっきと語尾一緒だけど?
まだまだ座席位置が定まらずにうろうろとする周囲は騒がしい。なのにこの一角だけが妙に静かで、異様な緊張感が漂っている。
放っておくとまた変に覚悟を決められそうなので僕も握手に応じる。小さくて柔らかくて、暖かい手だ。三回ほど上下に振ってから離す。はっきり言って女の子の手を握ったのなんて小学校のマイムマイム以来だ。だからちょっとびっくりしている。朝貝さんも、不思議そうな顔で自分の手のひらを見つめている。でも僕の視線に気づくとあっという間にすまし顔。お嬢様顔というべきかな。気取った風にふふんと鼻で笑って見せた。
・・・・・・これはあれかな、これからそのキャラでいくのかな。でも、ちょっとそのキャラは厳しいと思うよ、朝貝さん。