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金糸の振袖

作者: 丹生庵蜻二

「着物貸してくれたおばさん、亡くなった」

 母に言われたものの、全く感慨が無い。

 成人式の時、それは豪奢な振袖を貸して頂いたのだ。しかし私は貸主に面会しておらず、貸主とのやり取りも祖母や母が行ったため声も知らないのだ。

「あんたのことで世話になったから、葬式に行くわ」

 数日後、朝早く母は喪服に身を包んで出掛け、日が暮れてから帰ってきた。赤い蓋の小瓶に入った食卓塩を私が取ってくると、肩に味付けでもするように小瓶を振った。

「今年、年賀状は出さなくていいからね」

「誰に?」

「おばあちゃんち! 亡くなったの、おばあちゃんのお姉さんでしょ」

 そうだったのか、と私は驚いた。


* * *


 振袖は、明るい橙色である。裾や袖にたっぷりと模様が施され、殊に目を引くのが金糸の刺繍だ。借りた時は若干ほつれていたらしいが、祖母が近所の業者に頼んで安く修繕してもらったようだ。具体的にいくら掛かったのかは知らない。

 成人式当日、空が白み始める辺りで起こされた。自転車で祖母の家までかっ飛ばし荷物を置くやいなや、やはり近所にある、母の知り合いが経営する美容院に連れて行かれた。髪を梳いて結ばれるわ顔に何か塗られて紅を差されるわ。そうしてヘアメイクが完成すると、そのまま祖母の家に戻り着付け開始。よく分からない小道具を大量に使い分けつつ、祖母が私の周りをぐるぐると回っていた。

 そうこうしている内に出発の時間となり、父が運転する車に乗って会場入りすることとなった。空はかなり明るくなっている。

 会場前の広場では既に多くの同級生が集い、互いに写真を撮り服装を褒め合っていた。中には赤子を連れている者もいた。普段と異なる親の姿に、少々戸惑っているように見えた。

 私は僅かに呆れていた。誰も彼も、殆ど同じ姿。上空から撮影した画像を幼稚園児に渡して『仲間分けしましょう』と言ったら全部一塊にするだろうという程に。

『何なんだ、流行りに乗っちゃって』

 私は流行に飛びつくこと、人と被ることが嫌いだ。没個性的だからではない。それで最先端にいると思っているであろう性根が嫌なのだ。その流行は他ならぬメーカーが作っただけだというのに。

『折角の晴れ舞台に、勿体ないよ』

 開場の時間となり、没個性の集団がざわざわと移動を始める。私も流れを阻害しない程度に歩みを進めていく。

「あら? まあ。貴方」

 突如声がした。振り向くと、『着付け直し』との看板を掲げた小さなブース。そこに待機している妙齢の女性が、私を真っ直ぐに見据えていた。

「貴方、何ていいものをお召しになってるの」

 いいもの? この振袖が?

「金糸がこんなに入れられて……まあ、いいものを見たわ。一生ものよ、大切になさい」

 取り敢えず、ありがとうございますと会釈しておいた。後で母に言おう。

 その後の式典は皆様もご存じの通り、著名人が言葉を寄せたり、来賓が喋ったり、ビデオメッセージが公開されたり、要するに『成人に伴う責任感を持って云々』と高弁を垂れられたのであった。

 式が終わると着物も小道具も返し、それで私は解放された。恐らく洗濯や各種支払いがあったと思うのだが、やはり私は知らない。夜、洗髪したが整髪料がなかなか落とせず、何度も櫛を通し爪でこそいだ。


* * *


 自分が成人してからというもの、成人式関係のものが目につくようになった。

 大学にレンタル業者がやって来ては、『卒業式にも使える』とポップを出してカタログを配る。呉服屋が『本当にいいものを』と謳った広告を出す。美容院や理容室が『何処よりも安く』だの『貴方が主役』だのとヘアメイクの写真をガラス一面に貼り付ける。

 カタログを貰って開いてみた。そこには、没個性の集団が着用していたものもちらほら見受けられた。

『レンタルだったの?』

 私は溜息をついた。一生に一度の晴れ舞台を、レンタルで済ますの?

『折角なら買って、将来子供や親戚に貸せばいいのに』

 着物は資産なのだから繰り返し使えるのにと考えた。お陰で私は借りられたのだし、しかも当世の流行りとは異なる『特異な存在』になれたのだと自負している。

 一番安いものに至っては『プリント生地』と書かれていた。

『適当だなあ……』

 節目を大事にしないなんて、と鼻で笑った。


* * *


 大学卒業後、無事に就職して四年目の春。その年に新卒で入ってきた後輩が、成人式に向けて振袖の展示会に行ったと話してきた。展示会が分からなかったので、どういうことをするのか尋ねると、

「レンタルの業者さんが、商品の試着をめっちゃさせてくれるんです」

 と言う。写真を見せてくれた。複数の展示会に行き、一会場につき十数着は試したそうだ。

「凄く綺麗」

 あくまで試着なので軽く羽織って紐で括った程度だが、既に華やかである。

「どれが好みなの?」

「白は珍しくて花模様が映えるんです。でも緑も捨てがたいんですよ。イメージに無いので、珍しいからいいかなあと。あ、この薄い橙色も綺麗だと思いませんか? 朱もパキッとした色で目立ちますよねえ」

「うわあ、どれも似合うなあ。君ほら、色白いから」

 本心から力を込めてそう言うと、彼女はへへへと笑った。

「この色がいいって言って下さいよ」

「決められないよ。でも何だかんだ言って、フィーリングじゃない? 後は帯との組み合わせでもイメージ変わるし」

 知ったような口をきいて先輩風を吹かした私に、しかし彼女は真剣に頷いた。

「そうか、帯」

「帯とか……何だっけ、帯揚げ? あの、帯の上にちょっと出てる紐。その色とも組み合わせて考えてみたら」

 全て、着付けの時に祖母がブツブツ言っていたことの受け売りである。彼女はそれに気付いていない様子で、

「また来週行く予定なんです。そこで見せてもらおうっと」

 そう言ってスマートフォンのメモアプリを立ち上げ、『帯と帯揚げの色』と記入していた。

「で、買うの」

 何気なく聞いた。

「何をですか」

「振袖」

「えぇっ! 買わないですよお、高いですもん」

 彼女は手を千切れる程振った。

「うち、着物着る人いないので、買っても持て余しますよ。仕舞う場所も無いですしレンタルにします」

「そう? いや、一度買えば将来引き継ぐこともできるからさ。それに着物リメイクとか言って、着物を再利用してネクタイとか上着とかに作り変える業者もいるじゃん、最近。買っても後悔はしないと思ったんだけど」

「ええー」

 後輩は笑っている。

「引き継ぐ相手がいる前提じゃないですか」

「まあそうだけど」

「そんな不確定事項を期待して払えるような金額じゃないですよ、着物好きになったら考えます」

 勿体ないなあ、と私は彼女の透明感のある肌を見ながら心中で呟いた。彼女なら着物も着物リメイク品もきっと釣り合うだろうに。


* * *


 貸主が亡くなって数年後、通勤電車の中吊り広告に『成人式の全てが揃う』と書かれた華やかなものがあった。レンタル業者の宣伝だった。

 ふーん、と流しかかったところで、『実際、幾らするんだ?』と思いスマートフォンで検索を始めた。

 漠然と『私の振袖は貴方達と違うから』と特別視していただけで、具体的な費用を知らない。社会人六年目に至ろうとしている今日、自分の労働の対価たる給料も世間の物価も概ね把握している。その中で振袖はどの程度だろう。

 検索で一番上に出た業者のウェブサイトを開く。

『ご購入価格 八十万円』

 ぎょっとした。私の給料の四ヶ月分である。宝飾品の域。レンタルは、と見てみると『三十万円』とある。それでも二ヶ月弱!

『二ヶ月働いて、やっとレンタル一回分……』

 しかもこれは、大卒公務員の中堅の給与である。高卒初任給や、もっと給与の低い仕事だったら、下手をすると給料半年分・一年分と負担が増大する。更に着付けの予約、ヘアメイクの依頼、歩きにくいので会場までタクシー等と考えていくと、飛んでいく福沢諭吉の数や――。

 では最も安いものはとスクロールしていくと、フルセットのレンタルで『三万円』と書いてあった。柄はシンプルで裾に僅かに入っている程度、しかも『プリント生地』。

 あの没個性の集団の大半は大学生だった。一部は高卒で就職していた。アルバイトに勤しみ自分で金を捻出したり、高卒就職者の収入で見繕ったり、親に一部費用を出してもらった者もいただろう。

 さて、私は何か出しただろうか?


 帰宅後、母に聞いた。

 貸主=祖母の姉、即ち私の大伯母は、祖母とは歳が十も離れており仲の良い姉妹だった。戦争の惨禍で父親を早く亡くしており、長女ということもあって大変なしっかり者であった。その抜かりの無さは超絶で「自分が死ぬ時には家のあれこれを全部持っていく」と言い片付けを進め、葬儀・火葬場・墓も決めて話をつけていた。故に死後、誰も段取りに困らなかったという。

 特段血統が良いわけでもなく後ろ盾も無く、戦争で稼ぎ頭もいなくなった家で育った彼女は、一体どうやってあの振袖を得るまでに至ったのだろうか。その機敏な働き振りは、どんな労苦から身についたものなのだろう。女性の活躍の場など、今日よりも余程少ないであろうに。


 成人式で借りて以来「返さなくていい」と言われ、振袖はそのまま祖母の家にある。もう十年近くになる。柄を撫でると、でこでこと凹凸を感じる。僅かに布地が揺れ、金糸がちらりと光る。

 礼を直接言いたい――そう思うのはあまりにも遅い。(終)

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