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酩歩する男

作者: 萬道アダム

 駅前の大通り、月曜日の通勤ラッシュが落ち着いた時間帯には道を歩く人は少なく、いても土日を働き終えたサービス業であろう市民や、月曜の朝に講義を取っていない大学生らしき若者が数人軽やかな足取りで道を行くのみだった。

 しかし、月曜日が休みの彼らの視界の端には一人の例外が映っていた。

 スーツに身を包んだ壮年の男。皺のないシャツにはシミひとつなく、黒光りする革靴を鳴らす彼の右手には、ハイボールのロング缶がぶら下げられていた。

 ワックスで固められた黒髪の下、剃り残しのない整った頬は赤く染まっていた。

 男は一歩一歩重心を揺らすように歩きながら、時折右手に光る金色の缶を口元に運んでいた。

 道を行く数少ない人々はせっかくの休みに厄介ごとを持ち込まぬ為に、過剰に目を逸らして僅かな関わりをも持たないように努めた。スマホを取り出して視界を狭める人、突如路地裏へと方向転換し男とのすれ違いを避ける人。

 露骨なまでの関係の排除に、しかし酩酊した男は気づきようもなかった。彼の意識は右手の缶にあとどれくらいの酒が残っているか、それのみに向けられていた。

 作られた無関心に見届けられた男は駅前のロータリーを通り過ぎ、ビル街へとその足を踏み入れた。


 林木のように並び立つビル群の足元には、スーツ姿の人間が捕食者から逃げる小動物のように足早に駆け回っていた。

 弱肉強食のルールに支配された生態系の中を酩酊の男は悠々と闊歩する。

 資本主義の小動物たちは生態系に紛れ込んだ異物に目を止める暇もなく右往左往に駆け回る。

 缶の握られた右手を肉食獣の尻尾のようにゆらゆらと揺らし、男はシラフのサラリーマンたちを睥睨(へいげい)した。刹那的な優越感に満たされた男は右手の缶を垂直に呷り、軽くなったそれを握りつぶした。

 アルミニウムのゴミと化した缶をとあるビルの生垣に投げ込むと、男は苛立たしい記憶を呼び起こす文字列が銘記された石塊を黒い革靴で足蹴にした。

 目の前のビルに向かっていくつかの言葉を吐き捨てた男は、一息つくと再び道を歩き始めた。


 ビル街を過ぎ商店街に入った男は端のコンビニでハイボールの缶を補充して、よろめく足でレンガ敷の道を進んだ。

 半数ほどがシャッターを下ろしているが、平日の朝にしては人口密度は高く、男を異物扱いする目は多かった。

 店の奥から観察する金物屋や本屋の主人、窓越しにチラ見する飲食店のアルバイト、服飾店で品出しをする婦人は男を中心視野に捉えて井戸端会議のネタとするために隅々まで観察していた。

 無言の排斥に晒された男は、缶を一口傾けるとむしろ自身の破滅的な優位性を見せつけるように堂々と労働者たちの間を通り抜けていった。

 商店街の住民たちは不敵な男の行進を怪訝(けげん)に見送る。しかし誰も彼と関わろうとはせずに、いつも通りの日常が一秒も早く戻るのを祈ってただただ嵐が通り過ぎるのを待った。


 ふらつく足の男が商店街の中腹に位置する薬局に差し掛かったそのとき、男が来た反対の方角から同じようなスーツ姿の男がもう一人歩いてきた。その手には缶ビール。やはり足元はふらついている。異物と異物の衝突。いったい何が起きてしまうのか、商店街の人々は固唾を飲んでその衝撃の瞬間を見守った。

 二人の男の距離は十メートル。ここに来てお互いの存在を認知した男たちは変わらぬ足取りでお互いの距離を縮める。

 八メートル。歩幅が僅かに大きくなったように見えた。

 五メートル。示し合わせたように同じタイミングで缶を呷る二人。

 三メートル。まっすぐ道の真ん中を歩く二人。お互い道を譲る様子はない。

 一メートル。衝突は避けられない。周囲で見守る観衆は衝撃波に備える。


 しかし、衝突の瞬間、聞こえてきたのは嗚咽だった。

 商店街の中央、人々の視線の先にあったのは、二人の酔っぱらいが抱き合い泣き崩れる哀れな光景だった。

 男たちの嗚咽に紛れたいくつかの言葉から、商店街の人々は察した。

 猛獣の暴走に怯え距離を置いていた住民たちは、子供のように泣きじゃくる二人の離職者に自ずと寄り添っていった。

 ある者は暖かい言葉と共に肩を擦り、ある者は暖かいお茶を差し出した。


 理不尽な離職に見舞われた二人の男が商店街を後にする頃には、その顔に残った赤みは頬ではなく目元へと移っていた。

 商店街の人々に見送られる二人の手には既にアルミニウムの缶はなく、その足取りは健全さを取り戻していた。

 二人の男は商店街を振り返ることなく、新たな日常へと歩みを進めた。

※本作はX(旧Twitter)にも掲載しています。

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