ひい爺とオレの海賊船
金曜日は、ひいじいの家へ行く。
保育園の先生にバイバイしたオレは、かあちゃんが開けてくれた軽自動車のドアからチャイルドシートによいしょと登った。
ぎゅうと押しこんだシートベルトがカチリと鳴ると、ハンドルを握ったかあちゃんが勢いよくエンジンをかけた。
「さあユウタ、出発するよ!」
「アイアイサー!」
オレはかあちゃんに向かって、右手をあげて返事をした。
窓からぶわっと入ってきた風でほっぺたがくすぐったい。買い物袋もカサカサゆれてる。
「かあちゃん、ひいじいにたのまれたもの、ぜんぶ買えた?」
「バッチリだよ! 買い忘れなし、カンペキ!」
自慢げなかあちゃんに、オレは大事なことをもうひとつ訊いた。
「あとオレのお風呂セット、もってきてくれたよね? どこ!?」
「となり、見て!」
運転に忙しいかあちゃんがアゴでしゃくる。助手席には、オレのプールバッグが置いてあった。
これにはオレの着がえと宝物のチビ人形たちが入ってる。ひいじいの家へ行くときにゼッタイ忘れちゃいけないもの、それはこの「お風呂セット」なんだ。
ひいじいはタンシンフニン中のとうちゃんのじいちゃんで、独り暮らしをしてる。オレとかあちゃんは、ひいじいのセイカツをお手伝いに行く金曜日を楽しみにしてるんだ。オレはひいじいと入るお風呂が大好きだし、かあちゃんは「やっぱ夕飯は賑やかでなくちゃ」とニコニコだ。
車を停めていると、杖をついたひいじいが玄関から出てきて手を振ってくれた。
オレはお風呂セットをしっかりとつかんで、車からピョンと降りた。
「ひいじい~!」
ダッシュしたオレはひいじいの手前で一旦止まって、小さいクラスのお友だちにするみたいにそっと抱きついた。だってひいじいが「このごろ足が弱くなった」と言ってたから。
ひいじいはシワだらけの顔をもっとくしゃくしゃにした。
「待ってたぞユウタ。もう風呂、沸いてるぞ」
「やった!」
両手に買い物袋をさげたかあちゃんが、からからと笑った。
「二人ともお風呂大好きねえ! あとでバスタオル置いといてあげるから、さあ早く入った入った! お風呂から出たら夕飯だよ」
***
すっぱだかになってドアをガチャリ。ふわっとあったかいお湯のいいにおい。白い湯気がもうもうと、広いお風呂場をおよいでる。風呂おけにはお湯がたっぷたぷ。――うわあ、ひいじいのお風呂、わくわくする!
オレがすぐにお湯に入ろうとしたら、ひいじいに首根っこをつかまれた。
「ひいじい、なにすんだよお!」
「風呂場ではひいじいではない。お頭と呼べ」
偉そうに低い声を出してきたひいじいは、いたずらな目つきになって海賊のお頭に成りきってた。
「ユウタ、海賊には掟があっただろう、それを言ってみろ」
これこれ、オレはこの海賊ごっこが大好き! 右手を頭の上へピンと伸ばして、カッコイイ海賊の敬礼をした。
「アイアイサー! 掟その一、乗船前には体を洗うべし!」
「よし! まず、わしの背中を洗え!」
「アイアイサー!」
ひいじいの背中をタオルでこする。
ひいじいの背中は不思議だ。手足はシワシワなのに背中はツルツルで、丸くて小さい背中なのに洗ってると大きく感じるんだ。
交代にひいじいがオレの背中を洗ってくれた。くすぐったいからギャハハと笑って、思わずタオルから逃げちゃった。
体のすみからすみまで洗い終わると、ひいじいはオレの体を指さした。
「体、よーし! では乗船だ」
「アイアイサー!」
ひいじいのお風呂はいつも熱い。だからオレはそろりそろりとお湯に入る。熱くないようにじっと動かないようにしてると、ひいじいも手すりにつかまってそろりそろりと入ってきた。
ひいじいが肩まで浸かると、お湯が大きな波になって外へザザンと流れていった。
ふうと息を吐いたひいじいは、気持ちよさそうにひとこと。
「あ~、極楽極楽」
「ねえお頭。海賊って本当は悪いやつだから、極楽には行けないよね?」
「ふむ、確かにそうだな。ユウタ、おまえ賢くなったなあ」
「へへん、だってオレもうじき保育園卒業だもん。そしたら小学一年生だよ」
オレがチビ人形たちをたぷたぷのお湯にばらまくと、ひいじいが大きな手で波を立ててくれた。波に揺られたチビ人形があちこちへ泳いでいく。
「波の音、……懐かしいなあ。子どもの頃は海の傍に住んどったからな、いつも聞こえてたなあ」
「えっとおとなりの県、カゴシマ……県だっけ? その家こっから近い?」
「うーん、そう近くもないが。……でもまあ、ワシにはずいぶんと遠くなってしまったなあ」
チビ人形たちが泳ぎをやめて、その場でプカプカと浮かびだした。いつのまにかひいじいの手が止まって、波がなくなってた。
オレが波を作ってもらおうと見上げると、ひいじいは湯気の向こうをじっと見つめてた。
「ねえ、ひいじい」と呼ぶと、すぐにお頭の顔に戻ったひいじいは次の命令を下した。
「ユウタ! 大砲の準備をしろ!」
「オレ大砲大好き! アイアイサー!」
オレは、かあちゃんがおにぎりを作るように両手を合わせると、そのままお湯の中にもぐらせた。ブクブクと泡が上がって、手の中にはたっぷりお湯が入ってきた。――大砲準備、完了!
「お頭、かくごしろっ!」
お湯の上に持ち上げた両手を一気にぺちゃんこにさせる。お湯が手の隙間から発射されてお頭の顔にかかった。
「やったなあ、ほれお返しだ!」
何発もの大砲がオレとひいじいの間を行き交った。けれどもひいじいの大きな手は威力満点だ。あっという間にオレの顔も髪の毛もずぶぬれになった。
ぬれた顔をぬぐって「大人はテカゲンしてくださーい!」って叫んだら、お頭のはずのひいじいが「アイアイサー!」て言ったから、オレはおかしくって吹きだしちゃった。ひいじいもお風呂場に響く大声で笑ってた。
「それじゃあ海賊の掟その二、言ってみろ!」
「掟その二、あったまったら、頭をあらうべし!」
「よし! ほら、あそこに島が見える。野郎ども、上陸だ!」
「アイアイサー!」
椅子に腰かけて目を固くつぶって待つと、頭からシャワーをかけられてガシガシと洗われる。オレはこれが嫌いなのだけれど、海賊だからぐっとガマンだ。
「終わったぞ」というひいじいの声がやっと聞こえて、ほっとして目を開けたら、目の前にはひいじいのお腹。そこには白いクレヨンで思いきり書いたような、一本の線があった。
「お頭、これなに?」
「ああ、これはな、お腹を切ったときの傷だぞ、盲腸だ」
「おなか切ったの!? もう超いたかったの?」
びっくりして返すオレの言葉に、なんだか知らないけれどお頭はぷっと吹きだした。
「針と糸で縫ったんだ、超痛かったんだぞ。ほらよく見てみろ」
「すんごいキズ、……ほんものの海賊のお頭みたいだ。ひいじいってさ、やっぱカッコイイね!」
「フッフッフ、そうだろうとも」
胸を張って腕組みをしたカッコイイお頭が、また命令した。
「それじゃあ海賊の掟その三、言ってみろ!」
「掟その三、さいごはゆっくり温まるべし!」
「よし! もう一度海賊船に乗り込むぞ!」
二人一緒に肩まで浸かると、お湯が右に左に大きく揺れてあふれ出し、外へと流れていった。ザザン、ザザンとお風呂場に波の音が響く。
ひいじいはチビ人形が流れないようにかき集めてオレに渡すと、白い湯気の向こうに目をやって話しだした。
「……ひいじいの鹿児島の家からな、ナガサキバナっていうところが見えたんだ。ナガサキバナはなあ、そりゃあ奇麗なところなんだぞ」
――ナガサキバナ。
いつもひいじいはこの話をする。
ナガサキバナってどんなところなのかなあ。
ひいじいがこんなにも話すのだから、きっといいところなんだろうな。……象の鼻みたいに長い島ってことなのかな? その長い島の先っぽに花がいっぱいさいてるのかな? あれ、でもカゴシマなのに、なんでナガサキって名前なんだろう。
オレもひいじいの真似をして白い湯気の向こうを見てみた。もしかするとオレにもナガサキバナが見えるかもしれない。
「ユウタにナガサキバナを見せたいなあ」
「じゃあお頭がつれてってくれよ」
「……お頭はもう行けないな」
「どうして? おとなりの県でしょ、近くじゃん」
「……お頭はもうあまり歩けないからなあ。お湯の中だと、まだこんなに元気に動くんだがなあ」
と、ひいじいはオレに手足を動かしてみせた。口元は笑ってたけど、その目はさびしそうだった。
「ユウタ、いつか見に行ってくれよ。すごくいいところなんだ」
元気がなくなったひいじいをなんとかしたくて、オレはチビ人形をさわりながら一生懸命考えて、いいことを思いついた。
「じゃあさ、オレが大きくなったらつれてってあげるよ、ナガサキバナに!」
「そうか! それはひいじい、とても嬉しいなあ」
ひいじいが目を細めて笑顔になってくれたから、オレも嬉しくなった。
「……あったまったか? よし、じゃあそろそろ港に上陸だ!」
「アイアイサー!」
***
かあちゃんが置いてくれていたバスタオルで、ぽっかぽかになった体を拭いていると、ひいじいが冷え冷えのアイスキャンディーをくれた。大きく口を開けてかじろうとして、はっと気がついた。
「かあちゃんが、ご飯の前はダメって」
「海賊が小さいこと気にするな、堂々としとけ」
ニヤリと笑うひいじいに、オレもニヤリ。
「そっか。オレたち海賊だもんね」
カッコよく腰に片手をあてて「うまいうまい」とアイスキャンディーをガリゴリかじっていたら、後ろからひんやりとした声が聞こえた。
「見、つ、け、た、わ、よ~? ご飯の前でしょ~?」
振り返ると怖い顔のかあちゃんが仁王立ちになってたから、オレたちはあわてた。
「ナ、ナルミさんのも、あるぞ」
さっきまで偉そうだったひいじいが、しどろもどろになってアイスキャンディーを差し出すと、かあちゃんはニヤリと笑ってそれを受け取った。
「仕方ない。よし、今日は許す!」
かあちゃんはすぐにアイスキャンディーの袋を破ると、かぶりつきながら喋った。
「ユウタの春休みに、三人で出かけよっか」
「「え? どこに?」」
かあちゃんの急な話に、ぽかんとするオレとひいじい。
かあちゃんはいたずらな目つきをオレたちに向けた。
「ナ、ガ、サ、キ、バ、ナ!」
驚いたオレとひいじいは顔を見合わせた。
「行くわよ! ナガサキバナ!」
ニヤリと笑ったかあちゃんは、ゆっくりと片手を腰にあて、アイスキャンディ―を天井につくほど高くかかげた。
「野郎ども! アタシについてこーい!」
ひいじいの顏がぱあっと輝く。
オレも飛び上がって喜んだ。
アイスキャンディーを持った手をピンと伸ばして、ウキウキした胸に大きく息を吸い込んで、オレとひいじいは力いっぱい叫んだ。
「「アイアイサー!!」」
(了)
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童話にも純文学要素があるという趣旨から、企画参加中は純文学ジャンルに置いています。
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