表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロリポップ×グリーンティー  作者: ミツアナグマ
1/1

綿野 虹 には友達がいない

大変お待たせいたしました。プロットから組み直し再編集版です。

前よりボリューム倍増でお送りします。

教室の大きな黒板の上に高々と掲げられたアナログ時計が、ちょうどその2つの針を15時44分から45分に切り替えたのと同時に、私立夢の坂女子高等学校の校舎内に終業のベルが鳴り響く。


「起立」


1年1組のクラス委員長である飴屋(あめや) 蒼椎(あおい)が凛とした声で号令をかけ、教室内の学生がばらばらと立ち上がる。

教壇に立つ担任が、ぐるりと教室内を見わたし全員が立ち上がったのを確認した後。


「じゃあ皆さん気を付けて。さようなら」


担任がそう言うと、大小様々の声の「さようなら」が教室に響いた。


その一連の起立からさようならの流れを、担任から見て左側の隅っこにいた綿野(わたの) (こう)は、ひっそりと機械的にすませていた。


ホームルームの静けさから一転「今日の部活やだなぁ」とか「勉強会終わったら、あそこのクレープ食べに行かない?」とか話しながら周りのクラスメイトが帰り支度をするのに合わせ、私も机の横にかけてあったリュックサックを机の上に乗せ、小さいポケットにしまってあるBOSE(ボーズ)製の黒くて無骨なワイヤレスヘッドホンを取出して、自分の持っているスマートフォンとペアリングをした。

液晶に指を走らせ、いつも使っている音楽再生アプリを起動する。普段は、その日の気分で帰りながら聞くバンドや歌を決めてから教室を出るけれど、今日は特に聞きたい曲もバンドもすぐに思いつかなかったので、ヘッドホンを首にかけ自分の席のすぐ真横にある引き戸を開けて教室を出た。


綿野が教室を出るとき、挨拶をしたりそれを気にする人もいなかった。けれどそれは綿野にとってのいつもの日常でもあった。

高校での新生活が始まりそろそろひと月が立とうとしている。周りの生徒はすでに友人を作り限りある青春を少しでも楽しいものにしようと努力しているが、あえて綿野はその努力をしていなかった。


学生生活初日から、授業中以外のほとんどを、まるで人を遠ざけるようにその小さく人形のような顔に比べるととても大きなヘッドホンを着け、誰とも話さず目線すら合わせずに日々を送りっていた。

その頃は周りも『無口な子がいる』などと綿野を評価していたが……1週間が経ち、綿野がまだ(しわ)一つない新しい制服の下に、私物のオーバーサイズのパーカーを着て登校し始めたころから『無口な子』という評価から『変わった奴』という評価へ、だんだんと変化していった。


ただ、綿野がパーカーを着ること自体は決して校則違反ではない。というより、綿野たちが通うこの高校の校則は決して厳しくないので、制服を着崩す生徒は実際多い。ただそれは、2年生以降の上級生の人たちに限られていく。

ほかの一年生がまだ周りの目を気にし学制服をきっちり着こなす中、上級生のような着崩し方をしていたその姿は、制服の胸あたりに学年ごとに色分けされた校章がなければ、背の小さい上級生が1年生のフロアに遊びに来ているようにも見えて、異質だった。


そして、その異質物にわざわざ触れに行くものもおらず……結果的に、綿野には友達が一人もいなかった。




なるべく人の邪魔にならないように階段の端っこの方を下りて行きながら、スマホの画面に表示されたバンドのアー写たちとにらめっこする。

1年生のフロアになっている4階と、2年生のフロアになっている3階をつないでいる踊り場に下りたタイミングで、なんとなく聞きたいバンドが決まり、踊り場の端で足を止める。

曲を再生してから、制服の下に着ているパーカーのポケットにスマホをしまい、首から下げていたヘッドホンを装着しようとした。


「綿野さん!」


耳をふさぐかふさがないかというタイミングで、もう聞きなれた凛とした声が頭上から降ってきた。

振り返って見上げると、階段の一番上の段に飴屋さんが立っていた。

シャカシャカと音を出すヘッドホンはそのまま首に戻し、プリントの束を片手に下りてくる飴屋さんに向き直った。


「いつの間にか教室からいなくなってるから、びっくりしちゃったよ」


飴屋さんがそう言って笑う。

「あぁ……うん」と微妙な返事しか出来なかったが、飴屋さんは気にも留めずに「そうそうそれで……」と話を本題に移した。


「綿野さん、部活か勉強会って入るか決めた?参加届とかのプリントの提出日今日までで……綿野さんだけまだ出てないみたいだから、もしかしてプリントもってるかなって」


飴屋さんは事務的な様子でそう尋ねた。

この学校が部活動もしくは放課後行われている勉強会に『特別な事情』に当てはまらない限り絶対参加なのは知っていたし、私がそれに当てはまる事は担任にも説明してあったはずだけど、どうやら伝わっていないみたいだった。

なるべく相手が嫌な気持ちにならないように言葉を選び、少し考えてから答えた。


「あのーごめん、私バイトしてるからどっちもやらないんだ」


念のため、バイト先のことは言わなかった。

私がそう答えると、飴屋さんは驚いた様子で口に手を当てた。


「そうだったの!?ごめんね知らなくて……もしかして悪い事聞いちゃった?」


そう聞かれたので、首を横に振って答える。

それと同時に、バイトの話にあまり触れてこなかったことにホッとする。


「なら良かった。プリント出せない事は私から先生に伝えておくね」


「また明日ね!」と手を振って、飴屋さんが私たちの教室へと帰っていった。

何も言えずにとりあえず胸の辺りまで挙げていた手を、飴屋さんが見えなくなった頃あいでその緊張を解き、だらんとぶら下げる。

今までそういう事をしてこなかった自分が悪いけれど、相変わらず人づきあいは苦手なままだ。さっきも飴屋さんに気を遣わせて『悪い事』なんて言わせたし――


綿野も知ってのとおり、この高校は校則が緩いかわりに学問と部活動が盛んで、在学中の生徒は部活動もしくは、先生主催で行われる居残り勉強会への参加が強制されている。

ただし、綿野のように片親であったりその他家庭などに『特別な事情』がある少数の生徒は、その強制から外れてもよいこととなっている。


――正直言って私は、片親であることは気にしていないから『悪いこと』では全然ないけれど……自分のせいだし。まあしょうがない。バイトに遅れてもいけないし、反省会もほどほどにして、また歩きだすことにした。着け直したヘッドホンからは『climbgrow(クライムグロウ)』の『ラスガノ』が流れていて、タイムリーな選曲に少しだけ笑えた。


人波の隙間を縫うように進み、昇降口で靴を履き替えた。

そのまま、グラウンドの方に見える私とはとても縁のない世界を横目に見ながら、足早に学校の敷地の外へ出て行った。




学校を出て駅の方へと歩きながら5分としないうちに、街は姿を変えていき、2、3階建ての建物たちは立派な高層ビルになり、街を歩く人の数もそれに比例するようにだんだんと増えていく。

109と大きく看板を掲げたビルが目印の交差点で曲がると、少し遠くに大きなスクランブル交差点とJRの渋谷駅が見えてきた。

別に広告の音とか人が話す声が聞こえてくるわけじゃないけれど、視界に入る情報がうるさくて、ヘッドホンの音量を1段階上げる。


ハチ公像のそばを通り、JRではなく京王井の頭線の渋谷駅へ向かい改札を抜ける。ちょうど電車が来ていたので、そのままそれに乗り込んだ。


車内もそこそこ人が多いけれど、街を歩く人の数と比べるとやっぱり少なく、やっと一息つけた。


昔から渋谷はあまり好きじゃない。人ごみが嫌いなのもあるし、ほとんどを引きこもって生活していた自分にとっては、あの街は煌びやかすぎる。

まぁ、ちょっと前まではタワレコに行く以外の用事はなかったから、渋谷に行くとしても月1程度だし、高校に入ってもうしばらくたったから、あの嫌な感じの騒がしさにも多少慣れたけど。


そんなことを考えているうちに、綿野の乗る電車は目的地へとたどり着いた。

渋谷駅から数分、古着とかアート……そして、綿野が大好きな邦ロックなんかで有名な街、下北沢に。




家とバイト先は、それぞれ正反対の場所にあるので、今日はバイト先に近い方の東口の改札から外へ出た。

目の前に広がる景色を見ると、帰ってきたなーという感じがする。


この街で生まれて、この街に育てられてきた。特に、この街の特徴の1つでもある『ロックンロール』には、ずっとずっと支えられてきた。

小学生の頃、お母さんの知り合いで、今の私のバイト先のマスターの家に預けられていたときに、初めてロックを聴いたとき、とても衝撃をうけたのを今でも覚えている。それから私は、すっかりロックのとりこになった。

中学生になって、預けられることも少なった代わりにスマホを買ってもらってからは、起きているうちはほぼほぼずっと『YouTube』で、有名な物から全然知られていないようなものまで、色々な曲を探しては聴いて……という毎日を過ごしていた。くだらない理由でいじめられ、私自身もくだらないプライドで学校に行かずの、不登校生活だったから時間だけは無駄にたくさんあった。


ただまぁ、私がプライドだと思っていたものはただの怠惰で、不登校だったせいで唯一の肉親に迷惑をかけていた事を今は知っているから、ちょっといい高校に通ったり、アルバイトをしたり頑張っているけれど。


そうして気が付くと、もうすでにバイト先の前まで来ていた。




下北沢駅から、商店街を通り歩くこと10分もしないうちに、そこへとたどり着ける。

繁華街のはずれにある、キャパシティ200人程度の小さなライブハウス、その名も『ブルーハーツ』

そこが今の綿野のバイト先で、昔からライブを見に来たりでお世話になっている場所だ。


ヘッドホンを外し、地下へと続く階段下りていく。年期の入ったこげ茶の防音扉を前に深呼吸を1度してから、その重い扉を開けた。


「おはようざいまーす」


と、綿野がぼそぼそした声で挨拶しながら中へ入ると、真正面に置いてある長机の足元の方で入口に背を向けしゃがみながら作業していた、ブルーハーツの従業員の一人である鈴奈(すずな) 希望(のぞみ)が綿野の声に反応し、振り向きながらすくっと立ち上がった。その勢いで、彼女のパーマがかかったポニーテールが揺れる。


「おー!(こう)ちゃん!学校お疲れ―」


人当りのよさそうな笑顔をしながら彼女は優しい声色でそう言った。


希望(のぞみ)さんもお疲れ様です」


「ごめんね、なんかこの机がたがたしててさー、今なおしてる所なのよ」


希望さんはそう言って机に手を置き、がたがた揺らして見せた。


「そうなんですね……あ、何か手伝いますか?」


「いやいや!大丈夫、ありがとね!それより着替えて来ちゃいな、せっかくの新しい制服なのに汚れちゃう」


いひひと笑う彼女の言葉に従い、そのまま作業の邪魔をしないように横を通りすぎ、入口の奥に見えている事務所の扉を開けた。


さっきと同じく、ぼそぼそと挨拶しながら綿野が中へ入ったが、帰ってくる声はなかった。

どうやら誰もいないんだと判断して、真ん中に置いてある大きなテーブルの右側へ回り込み、そのまま壁沿いに更衣室に向かう。


「おはよう」


「おわっ!」


背後から野太い声が飛んできたことに驚き、綿野が変な声を出して恨めしそうに後ろを振り返る。


「おじ……オーナー、いるなら声掛けてくださいよ……」


綿野の訴えに対して、ここ『ブルーハーツ』の主である(ふじ) 広海(ひろみ)は悪びれもせずに


「いやー、声が小さくて誰かわからなかったから。あと、何度も言うけどおじさんで大丈夫だって」


そう言って、椅子に座りながら首の骨を鳴らしたり肩をぐるぐる回した。どうやら、背後のデスクに置いてあるPCで作業をしていたらしい。


「学校どうだった?」


ひとしきりストレッチをした後で、まるで父親のような口ぶりでそう聞いてきた。

実際、父親のいない綿野にとって昔から面倒を見ていた藤は、血の繋がっていない父親のようなものではあるけれど。


「いつも通りです」


綿野がそっけなく返し、彼が「まぁそれなりに気張らず頑張りな」というのを聞いた後、そのまま更衣室の札がかかったドアに入っていった。


『綿野 虹』のネームプレートが挟んである、金属製の長細いロッカーを開ける。

制服を脱ぎ、いつもハンガーにかけてある『STAFF(スタッフ)』と、背中に大きく青色の文字が印字されている、黒のトレーナーに着替え、下は安物のスキニ―ジーンズを履いた後でスカートを脱ぎ、それぞれロッカーの中にしまった。


背負ってるものが違うなんてよく言うけれど、このトレーナーなんかはまさしくそれだと思う。

特に私は、マスターに無理を言って『特別に』ここで働かせてもらっているから、余計に背負ったロゴが重い。


綿野は、先ほどのマスターと同じように軽くストレッチをした後、愛用のスマホだけを持って更衣室の外へ出た。




もちろん、ブルーハーツの中で綿野が一番の年下なので、基本的に綿野が雑用係をしている。

というより、これは『ブルーハーツ』に限った話ではないのだけれど、基本的にライブハウスが高校生のアルバイトを雇うことはまずない。理由はいろいろあれど、夜遅くまで働かなければいけないだというのは、多くのライブハウスで共通している事だろう。


綿野は、そういった特殊なところで働いている。ほかの道は当然あるけれど、あえて綿野はそこで働かせてもらっていた。

ロックが好きで、なおかつ外の世界に対してあまり良い印象がなかった綿野にとって、知り合いが経営しているこのライブハウスは天職だった。それに、中学時代によく、ライブのチケット代を割引してくれた事への恩返しをしたいという気持ちもあった。


ただまぁ、綿野の保護者の1人でもありここのオーナーの藤にとっては、初めその願いを聞き入れる事は出来なかった。「夜遅くに女の子一人は危ない」というのと「ライブを『楽しむ』事と『作り上げる』事とは、似ていても違う」という二つの意味で。


けれど綿野は折れずに何度も頼み込み……5度目にして綿野が母親を連れてきたときに、とうとう藤の方が折れた。

その判断が世間的に正しいかと問われたら、批判する者も少なからずいるだろう。ただ、フロアのモップがけすらも丁寧に、そして楽しそうに行う綿野を批判するような人は、この『ブルーハーツ』には誰一人としていなかった。


いつも通り掃除を終えたタイミングで、フロアの扉が勢いよく開く。


「すんません!おくれました!」


とフロアに響く大声で、綿野と同じアルバイトの長谷部(はせべ) 健太(けんた)が息を切らしながらフロアに入ってきた。


ほんの一瞬だけ、フロアにいた全員の動きが止まり、長谷部へと視線が注がれる。

そして「なんだ長谷部か……びっくりした」と、誰かの声がした後でまた動き始める。


「先輩、声大きすぎです」


あきれた様子で綿野が言った。


「だってもう16時半じゃん。30分遅刻したからわりぃなーって思っただけじゃん」


それに対して、口をとがらせて長谷部が反論する。


「確かに遅刻なのはそうですけど、声が大きいんですよ。びっくりしますよ」


「別にそんなに言う事なくねぇ?」


と、2人がいつもの様子で軽い口げんかをしていると、藤がフロアの扉から顔だけ覗かせて


「若いお2人さんで盛り上がってる所悪いけど、もうそろそろオープンの時間ですよー」


と、言ってきた。


「はーい」


2人同時に返事し、フロアから出ていく。


基本ここでも、綿野が受付の長机に居てチケットの半券もぎりをし、長谷部は外で整理番号順に客を呼んだり、交通整理をする。といった具合に、だいたいの役割分担は決まっていた。

今日もいつも通り、長谷部はメガホンを持って外へ、綿野は受付に置いてあるパイプ椅子に座り客が来るのを待っていた。机は既に鈴奈の手によって直されているようで、全然揺れる気配がない。


しばらくして、チケットを片手に持った客たちがぞろぞろと入ってきて、綿野はそれらを慣れた手つきでさばいていく。

半券を回収してドリンクチケットを渡し……の動作を機械のように繰り返しながら数十分が経過し、最後の客にドリンクチケットを渡した後で、外にいた長谷部が帰ってきた。

防音扉を丁寧に閉め、長谷部は遅れてくる客を待つために綿野と場所を入れ替わり、綿野は半券が入った箱を片手に事務所へと戻っていく。


事務所の扉から見て左の壁の裏は、アーティストの待機室を挟んで、ステージの後ろ側になっている。部屋1つを挟んでいるものの、スピーカーから出る凄まじい音圧は部屋を通りぬけて、こちらまで演奏が聞こえてくる。どうやら今はリハをしているらしい。

その音に包まれながら、さっきもぎった半券の数を数える。こうすることで、チケットが売れた数と、実際に今ライブハウスに来ている数……いわゆる着券率というものの数がわかる。

とはいえ、綿野が働いて1月の間での話になるが、着券率は基本10割、低くても9割だ。


大して時間がかかることもなく、半券を数え終える。今日もいつも通り、着券率は100%だった。

なんにせよもう人は来ないので、受付でぼーっとしている長谷部先輩を事務所へ呼び戻す。


「着券率どうだった?」


事務所に戻ってきた長谷部は、開口一番に綿野に尋ねた。


「いつも通り、100%でしたよ」


「まぁ、インディーズのライブならそうだよなぁ」


そう言って、ちょうど私から斜め前のとこにある、長机の周りに並べられた椅子にドカッと腰掛ける。


ライブもちょうど盛り上がってるようで、丁寧にコードを刻むエレキギターの音や、高い声のボーカルの歌がこちらまで、私の正面の壁を貫通して聞こえてきた。


その音を聞いていたのか、先輩がボソッと「ライブしてぇなぁ……」と呟いた。


話しかけられたのか一人言なのか分からなかったので、話しかけるべきかどうか、少し戸惑った。

私の記憶が正しければ、長谷部先輩は大学でバンドをやってて、担当はドラムと話していたのを思い出したので、その話題を振ってみる。


「先輩、今バンドやってるんじゃなかったんでしたっけ?」


「辞めてきた、今日」


あっけらかんといった具合に先輩が言い放ったので、色々考えていた次の言葉が出なかった。

先輩は、そんな私をちらっと見て、そのまま話し続ける。


「いやさ、大した理由じゃないんだけど、こっちは本気でバンドやろうと思ってたのに、向こうはただ遊びでやれたら良いよななんて言うからさ。ちょっとその行き違いで言い争ったら『お前は意識高すぎんだよ、毎日合わせんの疲れるから辞めろよ』だから言うとおり辞めてやった」


その丁寧な説明を聞き終えて「そうだったんですね」と返した。


「『大学入って、


たかがまだひと月ですよね』とか思ってる?」


先輩がそんな事を聞いてきたので、首をぶんぶん横に振りすぐに否定する。


「いや思ってないですよ。それに……合わない人と無理やり付き合うのは……互いに大変だと、思いますし」


どう返すか考えていなかったので、最後の方の歯切れが悪くなった。

少しの間どちらも話さず、事務所に気まずい空気が流れ始める。


「はぁ~~~!」


急に長谷部が大きな声で、大げさにため息をついて天井を見上げる。


「なんですか急に、てか声デカいんですって!」


あまりに驚いたので、綿野まで声が大きくなる。

くっくと含み笑いをしながら、長谷部が綿野の方を見る。


「いやーわりぃ、ついね。俺もさサークルバンドから売れるなんて『ヤバT』じゃないんだし無理だとは正直わかってんだよ。だから、今バンドできてるんだしそれで良かったのかなーとか考えてたんだよ……でもさ、やっぱバンドで売れるのって俺の目標だし、そこ目指すなら綿野が言ってたみたいに、合わないやつと続けてたら無理だよなって思って」


少し早口で、まくしたてるように長谷部が言い切った。


「それは、いいですけど……大声出すことなくないですか」


呆れた様子でいう綿野に「声がデカいのは生まれつきだよ!」と長谷部が突っ込みを入れた。




その後、基本的に長谷部の方から綿野に話しかける形で、最近ハマってるバンドや、長谷部が今のバンドをやめて今後どうするか……そんな他愛ない話をしている内に、その日のライブは終わりを迎えた。

綿野はいつも通り、ライブ後の片付けをしてから、更衣室で制服に着替えその日の仕事は終わった。


「お疲れ様でーす」


と、声を投げてから『ブルーハーツ』の扉を閉めた。


スマホの液晶に表示された時刻は21時30分。今日は比較的早めに終わったけど、それでも外はすっかり暗くなっている。


さっき先輩と、古いバンドの話で盛り上がったので、帰り道に聞くバンドはもう決まっていた。

学校から帰る時と同じように、ヘッドホンを着けてアプリを開く。アーティスト欄を下へ下へとスワイプしていき、目的のバンドを見つけ、再生する。


銀杏BOYZ(ぎんなんボーイズ)』ちょうど私が生まれる数年前に結成し、今はメンバーが減ってしまってソロ活動をしているけど、ロックが好きでその名前を知らない人は多分いない……って、私は思う。


耳元で、ボーカルの峯田さんが青春を歌う。正直人を選びそうではあるけれど、私はこの人の『がなり』を通り越して怒鳴るような歌い方も、耳に残るちょっとねちっこい歌い方も好きだ。

もちろん、書きなぐったような情報量の少ない歌詞も好き、もちろんいい意味で。


来た道とは違い、ちょっと人通りの少ない方へ向かう。


実は、バイトを始めてから新しい習慣ができた。まだ誰にも言ってないし、これからも言うつもりのない私だけの秘密。


裏通りへ続く曲り道にたどり着き、厳重にあたりを確認する。誰もいない事を確認してから「あー、あー」と小さい声で軽い発声練習をする。


そして、ちょうど今ヘッドホンから流れている『援助交際』を、小さい声で歌いながら歩き出す。


別に、カラオケで歌うほどの音量ではないしシャウトもしないけど、なぜか街中で歌う行為が私にとってはとても心地よかった。

ただ、バレると死にたくなるほどはずかしくなるのは容易に想像できるので、人通りもない道をわざわざ通るし、誰にも言いたくはない。




そして今日も、誰にも見つからずに帰れる予定だった。


けれど悲しいことに、その想定は無残に砕かれた。




帰り道の通り沿いにそびえたつ、怪しい光を放つラブホテル。

そのエントランスから、スーツを着た男と仲良く手を繋ぎながら出てきた、飴屋 蒼椎と目が合った事により。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ