穴に落ちて殺し屋の悪魔に魅入られた
ある日、家の小さな中庭に穴が開いているのを見つけた。
なんだろうと思って窓を開けて、サンダル履いて穴を覗き込んでみる。
大きさは大人一人が入って行けるほど広い。
覗き込んだ先は水とかも溜まってはおらず底が見えない。
「本当、なんだこれ……」
「にぃちゃん!」
後ろから小さい弟が勢いよく抱き付いてくる。
その反動でバランスが崩れて穴に落ちてしまった。
「うわぁぁぁ!」
地面は滑り台の様になっていてずっと滑っていく。
暗いからどんな状況で滑っているのかわからない。
というか、弟までしがみついて叫びながら滑り降りていた。
真っ暗が続く穴はどこまで続くのかどんどんスピードが上がっている気がした。
突然、曲がったと思ったら光がパッと現れて外に投げ出された。
「う、嘘だろ……!」
「うぎゃあぁぁぁぁ! にぃちゃぁぁぁん!」
「下を見るな!」
出口は空にあって、空中に投げ出された。
パラシュートも布すら何もない状況で助かることはないだろう。
死を覚悟した。
その瞬間、隣に人がいることに気が付いた。
「助けようか?」
「ああ、誰だ!?」
「まぁ、良い。助けようか?」
「助かるんなら助けて欲しいよ!」
「フッ、承知」
地面まで数センチで体が止まった。
俺は顔面近くにあった岩石が突き刺さると思ったほどだ。
でも、中が浮いていたのも数秒。
その岩石に頭をぶつけた。
助かったのはいいが、顔面は痛いよ。
「さて、助けたぞ。汝は我に何をしてくれる?」
「いててて、悪魔に何もやれはしないよ」
「これは異なことを」
「助けてもらった命だが、なんでここにいる。宙を浮いている。ここは何処だ? 聞きたいことが山ほどある」
「よし、答えよう。ただし、交換条件だがな」
「やっぱり悪魔だ……」
目の前にいる宙に浮いた男、若々しくも見えるが年に合わない言葉遣い、年齢不詳の悪魔。
こいつは俺たちに何かをさせたいことは言葉の流れから見えてくるが、何させられるかはたまったもんじゃない。
「特別にこれだけは言っておこう」
「ん?」
「ようこそ、幸福の世界へ」
「へ? 幸福の世界?」
「そう」
幸福の世界ってなんだ?
一体全体、どんな世界なんだよ。
「疑問はもっとも、で、君は我に助けられた。恩を返すべきと思うがね」
「ちっ、またかよ」
そう言いつつ弟の方を見る。さっきのダイブのせいで気絶している。
打撲、ケガとかはないらしい。
それだけでもホッとする。
「恩を返さないのか……では、仕方ない」
変な呪文を唱え始めると弟の額に紋章が浮かび上がり苦しみ始めた。
「おい! 何しやがる!」
「そこな者は我が呪術をかけさせてもらった。協力せねば、殺す」
「ちっ、悪魔め」
「はは、悪魔か。そいつはいい響きだ。これからは悪魔“ビ・ゴール”とでも名乗るか」
ケラケラと笑う悪魔ビ・ゴール。
俺はその悪魔めがけて拳で殴った。
姿は捉えることができずに拳は空を切る。
「無駄なり。我は蜃気楼の如き存在、ダメージを負わせることなど皆無だ」
「ちっ……とことん悪魔だ」
「では、協力するか? 我の謀りごとに」
「ここまで脅しておいて、協力させない気はないのだろう?」
「そうそう。最初からそういう風に素直に言っておけばよかったのに」
「いちいち言葉遣いとか変えなくていい。さっさと本題に入れ」
「よろしい。初めにやってもらうことを達成したらそこな者の呪術を一部解こう。失敗すれば死ぬ。期限はあの太陽が沈むまでだ」
「わかった。で、内容は?」
「この近くに村がある。その村、唯一の神職者。名を“キゴ・メール”という。その者を殺せ。手段は択ばずともよい。息の根を止め、その魂を我に捧げよ」
人殺しかよ……。
ちっ、なんで穴に落ちただけなのにこんな目に合わなきゃならんのだ……。
だが、弟のため、殺しもしなければならないのか。
くっ、今は何の手段もない。
ここは従うしかない。
「いいだろう。そこまでの道案内とかはしてくれるんだろう?」
「良いぞ良いぞ! 道案内程度良いぞ!」
悪魔は心底、喜んでいる様子だった。
俺は弟を抱えながら、人を殺しに一歩を踏み出した。