敏腕教師といじめ
「残念ですが奥さん、貴方のお子さんはいじめをしています」
夕暮れも近い教室の中、普段は優しい顔の先生が真剣な面持ちで親子に告げた。
「なっ…!?うちの子がそんな事する訳ないじゃない!!名誉毀損ですわ!!この事は報告させて……」
怒り立とうとした母親の目の前に教師はスマホの画面を差し出した。
流されていた動画には、紛れもなく彼女の子供が、ある子に跨って顔を何度も殴っていた。
周りには複数人の足が見える。
「………!?」
母親の顔は一気に青ざめた。
「〜〜ケンちゃ……!?」
子供を怒鳴ろうとする母親の口は、教師によって塞がれていた。
「これはお子さんを怒鳴りつけて叱ったところで無意味な行為なんです」
教師は手で母親を座るように促す。
母親は渋々座る。
「いじめというものは、近年において性質が変化してきているものなんです」
「昔は、あるリーダーの意思に基づき、相手を決めていました」
「しかし近年では、どうにも不可思議な事になっています」
「いじめをする集団は居ても、いじめられる子も複数人居るのです」
「更には、いじめっ子集団の中でいじめを受ける子が、ランダムに回っているようなのです」
「これが質の悪い事に、いじめはいじめなんですが、その程度は古典的なものに比べて遥かに軽い」
「軽いなら良し、では済まされないんです」
「それこそ、その行動を当たり前と思ったまま育ち、いつかどこかで、人間関係を間違える」
「……あまり言い難いのですが、近年での重度のいじめ……つまり古典的ないじめはいじめられっ子にも何らかの欠点があり、そこを突いて痛がる様を愉しむものでした」
「だからこそ、いじめっ子の人数はそこまで多くないのです。精々、4人も居なかったでしょう」
「実は私も、泣き虫だった事を理由にいじめを受けていました。いえ、いじめに到達する前に済んでいたのでしょうか。何せ、すぐ泣くもんで気が咎めるたか、満足したのか」
親子共々、その言葉に呆気にとられた。
「しかし、現在のいじめは、いじめられっ子の反応を愉しむのではなく、周りの反応を伺うような傾向にあるんです」
「それはつまり、子供たちなんですから、リーダーの不在を示す事に他ならないです」
「第三者視点で自分を見る真似事、とでも言いましょうか。自分がリーダーになる訳でもなく、ただ、周りが面白そうな反応を示しているか、それを見て、自分の立場を確立したいが為にいじめを行うんです」
「そこに相手を考える隙間はありません。破綻しているでしょう?相手を一切見ないいじめなんですから」
「だからこそ、相手を選ばず、かつ皆が飽きればすぐ終わるのが、いじめの現状です」
「このままだと、健人くんにその矛先が向けられる日がいつか来ます」
健人くんの顔に、どうしようもない後悔が滲んだ。
「大人の真似事、結構。しかし、大人を誤解している節もある……というか、子供は見た一側面しか知れないのですから、それはやはり大人の責任なのでしょう」
「そこで1つ、健人くんにお願いがあります」
急に指名され、生徒の子は驚いた。
「君に、リーダーになって欲しい。無論、いじめの、じゃない奴ね」
突飛なお願い、もとい提案に、子供はなにがなんだか、といった様子だ。
「要するに、皆はリーダーが居れば楽なんだ。そいつに従うだけで済むからね。逆に、リーダーは皆からの期待が常に付き纏う」
「でも、それは大人なんだ。大人の世界と全く一緒なんだ。リーダーが居て、それに従い、時には支える皆が居て、社会が成り立っているんだ」
「子供たちの時は周りが支えてくれない事もあるだろうけど、それでも、リーダーになる事は立派な事なんだ」
「だから、責任もあるし、考えないといけない事もある」
健人くんは、少し嫌そうな顔をしている。
「でも、僕には分かる。君には、リーダーになる素質がある。いや、なるべきだ」
それを聞いて少し嬉しそうにしたのは、母親もだった。
「無敵って言うのはね、誰も勝てないくらい強い事じゃないんだ。誰も敵が居ない、友達だらけの奴の事を無敵っていうんだ」
「何もかも、誰も届かない才能を持っていると、孤独だろう?そんなのは嫌だろう?だから隠している子もいるのさ」
健人くんは納得したように頭を上下に振る。
「君には、そんな子を見つけ出して、友達にして欲しいんだ。無敵になるために、ね」
「誰でも、友達にしておいて損は無いさ。友達だよねを押し付けるような奴じゃない限り、ね」
「リーダーは友達を作るのに最適な場所だ。要するに、君には友達を作る才能がある」
「だから、いじめを止めてくれないか?」
健人くんの今までのうっすらと喜んだような笑顔が消えた。
「遼くんは、確かに成績は悪い。けれども、あの子はとても手先が器用だ。とても」
「無敵の君の仲間に、何か物を作れる天才がいるとしたら、とても素敵じゃないか。そう思う?」
健人は小さく頷いた。
「うん。それじゃあ、遼くんに謝りに行こうか。大丈夫、先生も一緒に謝ってあげるよ」
それに驚いたのは健人くんの母親だった。
「そんな……!先生が頭を下げる必要は無いんです!私たちの問題なんですから!」
「それを言ってしまっては!」
穏やかな口調だった教師が急に大きな声を出した。
そして、驚き静まった教室の中で、教師はまた穏やかな口調で続ける。
「寂しい…じゃないですか。『お前には関係の無いことだ』なんて。子供の時に聞かされて、どう思いましたか」
「お節介でも良いんです。教師は、お節介の為に生きている。少なくとも僕はそう思っています」
「生きるだけなら、学ぶだけなら、教師なんて本当は必要無いんです」
少し寂しそうな顔で、健人くんの頭を撫でながら先生は言った。
「さて、遼くん。入ってきて良いですよ」
教室の扉を開き、遼くんと、その母親が入ってきた。
健人とその母親は驚いた。
そして、犯罪現場を見られたような心持がした。
「遼くんのお母さん。今までの話を聞いていて、何か言いたい事はありますか?」
遼くんの母親は、健人くんの母親を睨むように見て黙っている。
そして、口を開けた。
「……普通に考えて、自分の息子を虐げていた子の母親となんて、仲良くなれるはずがないじゃないですか」
冷たく放たれたその言葉は、健人くんの母親に、どうしようもないほど深く突き刺さった。
「………でも、私が許す事で、あなたの子も私の子も救われるなら、大人として、そうしない訳にはいかないわね」
遼くんの母親は健人くんの母親に近寄り、手を差し出した。
「〜〜!うちの子がすいませんでした!!」
健人くんの母親はその手を握り、泣き伏した。
「よし、それじゃあ、僕達も仲直りしよっか」
「「ごめんなさい。今度は一緒に遊ぼうね」」
「……うん、いいよ!」
ーー子供とは、かく無邪気である。
教師になって20年、どれほど横行したいじめをこうして解決させてきただろうか。
解決とは言っても、自分の受け持つ教室だけだが。
「凄いですね、先生!またいじめ問題を解決なさったそうじゃないですか!」
新任の……名前は何だったか、かわい子ちゃんがそう言ってくる。
可愛いけど、正直、可愛いだけの子は好みじゃない。
どうしようもなく汚れててこその人間だ。
実を言えば、俺はいじめられっ子に寄り添うよりもいじめっ子といじめを考える方が好きだ。
教師として最低だろう?
「解決方法、私にも教えて下さいよ!」
教えるかバーカ。
教えたら俺だけの特権じゃなくなるだろうが。
多分、こんな奴だから俺は独身なのだと、自覚している。
いや、多分っつーか、絶対だ。
なら、ここで一人くらい候補を作っておくべきかな。
「それじゃあ、今夜、飲みにでも行きますか?」
「教師としてあまり飲みに行くのは…」
暗くなった外で、独り煙草を吸った。
このお話は勿論フィクションなのです。