第九十六話 大賢者への推薦
「そういえば、ケーナやテテムはどうした?」
話が一段落付いたところで、メルクはふと気になってアスタードに尋ねた。この家からメルクとアスタード以外の気配が感じられないのだ。
アスタードはメルクが持ち帰ったフォナン伯爵に関する書類を熱心に黙読していたが、その言葉に少しだけ間を置いてから顔を上げる。
「ああ、ケーナたちは少し買い物に出かけています。テテムは君がいない間に目を覚ましたんですが、よほどショックだったのか一言も喋ろうとしなくて……」
「目の前でグローデル博士が連れ去られるところを見ているはずだしな、無理もないことだろう。それで? その息抜きにケーナがテテムを外に連れ出したんだな?」
「ええ。テテムは嫌がっていましたが、こんなしみったれた家にいるよりかはいくらもマシでしょうしね」
「お前、自分の家に何て言い草だ……」
自分の家をぞんざいに扱い、アスタードは再び視線を紙面に落とす。そんな彼に、メルクはまだ聞きたいことがあったので問いかけた。
「けど、二人を外に出してよかったのか? 伯爵の手下に拉致される可能性もあるぞ?」
「問題ないでしょう。ケーナはそれなりに戦えます。おそらく、伯爵程度の部下には後れをとることはないでしょう。それに僕の使役している魔物を用心棒としてつけさせていますから、万が一の心配もありません」
「へぇ……随分、ケーナのことを買っているんだな? ただの行き倒れの居候だろう?」
鎌をかけるつもりで投げかけたメルクの言葉に、アスタードはゆっくりと顔を上げて首を傾げた。
「そうですが、君は気付きませんでしたか? あの娘の何気ない日常的な動作は、それなりに戦える者の動きだと思いますが」
「……まぁな」
「常人にしては魔力量もそこそこありますし、体内を廻る魔力の流れを観察すれば、魔法がある程度は使えるであろうことも明白……彼女がそれなりに戦えるというのは、簡単に推察できることだと思いますが?」
「そうかもな……」
(くそ、こいつ。マジで返してきやがって)
昔から口の良く回るアスタードに、言い合いや弁舌で勝てたことはない。論理的や理論的な話をすれば、いつだってエステルトは煙に巻かれ最終的には折れる他なかった。アスタードの本音などに触れられることはなかったのだ。
しかし、今回は何とか彼の真意を聞き出したかった。彼を何年もずっと慕ってこんなところまでやってきた、いじらしいあの娘のためにも。
(とはいえ、アスタードが素直になるなんて酒を呑んだ時くらいしか……あれ? 待てよ?)
「……たしかお前、先日酒を飲んで酔っ払った際、ケーナを見てこう言ったな? 『随分大きくなりましたね?』って」
「……」
思い出し、確認のために何気なく呟いたメルクの方を見たまま、わずかにアスタードの頬が引き攣った。そしてそれは一瞬のことであったが、メルクが見逃すことはなかった。
「さて、なんのことでしょうか? お酒を呑むと記憶が曖昧になっていけませんね」
「私はあの時、お前が伏せた姿勢だったからあんな妙なことを言ったんだと思ったが、そうか。なぁんだ――お前、ケーナが世話になった下宿先の子どもだって気付いてたんだな?」
「……ふぅ。どうやら、誤魔化せそうにありませんね」
メルクの視線に確信の色が強く塗られていることに気付いたのか、アスタードが苦笑しつつ肩を竦めた。
つまり、ケーナが見ず知らずの単なる居候ではないことを認めたと言うことだ。
「おかしいと思ったんだよ。いくら家の傍で行き倒れてたからって、お前が他人を助けるなんて。挙句に居候させる? 冗談はよせというんだ」
「それこそひどい言い草ですが、たしかに倒れていたのがケーナでなければ……居候を申し出たのが彼女でなければ家にはおきませんよ。当時は僕が十七であの娘が三つくらいでしたか? 十七、八年ぶりでしたが、あの娘だとすぐに解りました。おまけに名前もそのまま名乗るんですから、気付かないわけありません」
「ならお前、なんだって気付かないふりなんかしたんだ? 家に居候させるくらいなんだから、別に悪感情なんてないんだろう? まったく、私だって彼女に前世で会ったことがあるんだから教えてくれもいいだろうに」
「え?」
まるで意外なことを聞かれたとでも言わんばかりに、アスタードはらしくもなく呆けた顔をしてから首を傾げた。
「なんでって……それはもちろん、あの娘が僕に気付かれたくなさそうにしていたからですよ。彼女が内緒にしたがっているんなら、知らないふりをすべきだし、君に教えないのは当然でしょう?」
「――あのなぁ、お前は本当にいらない気ばかり回しやがって」
「おや、失礼ですね。大体、君こそよくケーナがあの時の少女だと気付きましたね? 鈍い君にしては大したものだ」
「……まぁな」
実は直接問い詰めて語らせたのだが、アスタードが勘違いしつつもこちらを見直したようなので黙っておくことにした。それに話の本筋はそこではないのだ。
「アスタード。お前だって解ってるんだろう? なんでケーナがお前の家のすぐ傍で行き倒れていたんだと思う? あの娘、きっとお前の弟子になりたがってるんだ」
「……ええ、おそらくはそうでしょうね」
「今すぐには無理でも、フォナン伯爵の件が落ち着いたら考えてやってもいいんじゃないか? 見込みはありそうだし、何よりスフィニア王国からこんなところまでお前を探し出して押し掛けてきたんだ。中々の根性じゃないか」
ケーナの心からの望みは、アスタードの弟子になることではなく伴侶になることだとは理解している。
とはいえ、未だにアスタードの心の中に聖女であるイリエムが強く残っている以上、どうしても一足飛びにはいくまい。ケーナがアスタードと結ばれるためには、段階を踏む必要があるだろう。
メルクはせめて、彼女がアスタードの弟子になるための手助けくらいはしたかった。たとえそれが、お節介であったとしてもだ。
「……君こそ、随分とケーナのことを買っているんですね。まぁ、それほど君が言うのであれば考えるのは吝かではありません。もちろん、伯爵の一件が片付いてからですが」
胡乱げな眼でこちらを探るように見た後、アスタードはそんな風に軽く首肯した。
偏屈なアスタードがこれほど呆気なくメルクの言葉を聞き入れたと言うことは、ケーナを弟子にすることはそれほど満更でもなかったのかもしれない。アスタードなりに、それだけ彼女のことを気に入っているのだろう。
「さて、それでは僕はこの書類をもとにレザウ公爵へ働きかけるとします。おそらく数日あれば、公爵は伯爵の捕縛へと動き出すでしょう。まずはギルドへ行かなくては……君も来ますか?」
「あー……いや、やめておこう。することがあるんだった」
「すること?」
尋ねられて首を横に振ったメルクへ、アスタードが怪訝な顔を向けてくる。
そんな彼に、メルクはニヤリと笑って見せた。
「腕が鈍るからな。女装に付き合ってくれたケーナへの礼も兼ねて、久しぶりに薬術師らしいことでもやってみるさ」




