第九十五話 ロマンスの裏側
半ば追い出されるように伯爵の屋敷あとにしたゼラ――もといメルクは、自分を追ってくる者がいないことを確認してから少し用事を済ませ、そしてアスタードの家へと戻って来た。
「つ、疲れたぁ……」
扉を閉めるや否や玄関に突っ伏したメルクに気付いたのか、アスタードが家の奥からやってくる。
「お疲れ様です……その服、ケーナの物ですよね? 汚れるので早く着替えて下さい」
「おい、手厳しいな。少しは労わってくれよ。私だって慣れないことを頑張って来たんだぞ?」
「着替えたら私の部屋に来てください」
素っ気ないアスタードの言葉に抗議の視線を向ければ、彼は鼻を鳴らしてそれだけ言って去って行く。本当に酔ったとき以外は愛想のない男である。
「まぁ、ケーナの服を汚すわけにはいかないしな……仕方ない」
肉体以上に精神が疲労しているため億劫ではあったが、メルクは用意されていた部屋で手早く着替えると元の恰好に戻った。
そして報告のためにアスタードの部屋へと訪れる。
「……それなりに時間がかかったことと言い、傍に博士がいないと言うことは――どうやら思ったようにはいかなかったみたいですね。博士の居場所は見つけられませんでしたか」
部屋に入ったメルクを見るや、アスタードが察したように呟いた。彼の言うように、もともとグローデル博士の居場所が分かった時点で、強行的に博士を取り戻す作戦だったのだ。
しかし、結果は居場所がわかるわからない以前の問題だ。
「いや……言いにくいが、博士はすでに死んでいるようだ。取り返すことは、残念だが二度とできない」
「――っ? 馬鹿なっ! 奴らはそこまで馬鹿なのか? たとえ博士が研究の成果を白状したにしても、確認や研究の進展のためにも生かしていなければならないはず……そんなことすらわからないのかっ!」
よほどグローデル博士の死がショックだったのか、いつもの冷静な口調を投げ捨て怒りを露にするアスタード。
大賢者と呼ばれる彼を以てしても、やはりこのような事態は予想外だったのだろう。
「落ち着けよ。どうやら伯爵たちも予期せぬ不慮の事故ではあったようだ。何でも、自ら命を絶ったとか」
「博士が自ら命を? 僕が知る博士は孫娘を、テテムをとても大事にしているようでした。彼女を残して死を選ぶような人とは思えないのですが……」
「それだけ伯爵たちの拷問がひどかったのかもしれないな」
「あいつら、ぜってぇに許せねぇ……」
落ち着かせようと試みたメルクだが、逆にいっそうアスタードの心を焚きつけてしまったようだ。
ひ弱に見える彼の眼差しが鋭いものになり、怒りからか握られた拳がわなわなと震えている。
「――それで? まさか屋敷に忍び込んで得た情報が、博士の訃報だけではないでしょうね?」
――もしそうであれば許さないぞ。
そう言わんばかりのアスタードの視線に少し気圧されながら、メルクは小さく頷いた。
「ああ、もちろん。お前が保険として仕掛けていた次善の策が機能したよ。伯爵の屋敷に隠されていた秘密の書類とやらを手に入れてきた。これだ」
メルクは手に持っていた、くしゃくしゃに丸められた書類をアスタードの傍にあった机へと放り投げた。
「その書類は、伯爵の書斎に偽装された部屋に隠されていた。それもご丁寧に結界を施した壁の中にな」
「壁の中? どうやって取り出したんです? 壊したんですか?」
「最初は砕いて取り出そうとも思ったが、さすがにそれだとすぐバレるからな。部屋の机に置いてあったペーパーナイフで壁の空洞部分だけ刳り貫いたんだ」
「壁をペーパーナイフで刳り貫いた?」
通常であれば荒唐無稽にも思えるその発言に、信じがたいとばかりに目を細めてこちらを窺うアスタード。そんな彼に、メルクは不敵に笑って見せた。
「忘れたのか? 今の私はエルフで魔法が使える。『魔力硬化』でナイフの強度を上げたのさ」
「『魔力硬化』……たしかにそれならば、空洞の壁ならわけないかもしれませんね。なるほど」
「っで? その書類はどのようなものなんだ?」
少しだけ感心したように頷くアスタードの仕草がくすぐったくて、メルクは若干照れつつ盗み出してきた資料を確認させる。
アスタードも思い出したようにくしゃくしゃになった資料を広げ、真剣な表情で目を通す。
「これは……不正の証拠となる裏帳簿ですね。今は詳しいことは分かりませんが、これを公爵の持つ伯爵に提出された帳簿内容とすり合わせれば……きっと面白いことになるでしょうね」
「そっちのは?」
「伯爵が帝国と繋がっていることを示す痕跡でしょう。グローデル博士の捜索協力や情報提供……そしてそれらに対する帝国から伯爵への報酬などが記されています」
「そう、か。苦労した割には、肝心な博士の研究資料はないみたいだな」
手近にあった椅子にどかりと腰を下ろしたメルクへ「はしたない」とばかりに視線を送り、アスタードは書類をひらひらと振った。
「いえ、これだけしっかりとした証拠があれば、公爵も間違いなく動けます。これらの証拠をレザウ公爵へと渡し、伯爵の屋敷へ突入させればいい。必ずや、研究資料はでてきますよ」
「なら、頑張った甲斐はあったかな?」
「ええ、もちろんです。ただ……どうしてこの資料、こんなにぐしゃぐしゃなんですか? 大事な伯爵を追求する証拠品なんですから、もう少し丁寧に扱って欲しかったですね」
「お前……私がその資料をどこに隠して伯爵の屋敷を出たか想像つかないか?」
無理解なアスタードの言葉に苛立ちを覚え、メルクは咄嗟に鋭く睨み付けてやった。すると一瞬だけ怪訝な顔となったが、さすがに鈍い大賢者様にも理解できたようだ。こちらの胸元へと視線を向けてくる。
「……ああ」
「いや、『……ああ』じゃねぇーよ。胸の詰め物を伯爵の屋敷の隠し棚に放り込んで、代わりにこの書類を丸めて胸に詰めたのさ。伯爵に抱きしめられた時は、さすがに私も焦ったな」
「……それでよくバレませんでしたね」
「ふん、女好きだけあって、女装した私にすっかり鼻の下伸ばしていたからな。仕込んでおいた魔石も回収できたし、結果オーライなんじゃないか? まぁ、私なら間違いなく胸に詰められた紙なんて、触れた時点ですぐに気付いただろう」
少しだけ得意げになって笑みを浮かべて見せたメルクに何とも言えない顔をして、アスタードは息を吐きだし肩を竦める。
「ふぅ、何はともあれお手柄です。さて、これで伯爵を失脚させられますね――必ずや、グローデル博士の敵もとらなくては」
そして故人を悼むかのようにわずかに目を伏せた後、らしくもない爛々とした瞳で決意を表明したのだった。
サブタイトルを少し改題しました。




