第九十三話 捜索
(……くそ、なんてことだ。こいつら……すでに博士を殺しているのか――)
耳元の魔石から得た情報に強く拳を握りしめ、メルクは殺気立つのを止められなかった。
グローデル博士と実際に会ったことはない。だが、博士は優れた研究者として人間の持つ根源的な力――魔力の解明に尽力を注いできたことは知っている。今回も世界的な大災厄『仇為す者』の出現を根絶するために原因究明をしてくれていたのだ。そしてそれをチェスター帝国に悪用されかねないと、半ば敵国であるレザウ公国に亡命しアスタードと協力してくれていたことから人格者であることも窺える。
この世界にとって、まさに必要不可欠とも言える偉大な博士であった。それを――私利私欲のため自分勝手に誘拐した挙句、殺してしまうとは。到底、こんな奴らは許してはおけない。
「貴様らが博士を生かしておけばこんなことには……くそっ」
「お言葉ですが、どのような手段を使っても口を割らせるようにとおっしゃったのは旦那様ではございませんか。それに、あのような事態は拷問をした者もきっと想定外でして――」
「言い訳などたくさんだっ! せっかく帝国よりも先に博士を探し出してだし抜けたと思えば、この体たらく……博士の持っていた研究資料の解析もままならん上に、大賢者に協力させることも不可能……手詰まりではないかっ!」
伯爵と執事長であるポルトの会話を聞けば、彼らとしてもグローデル博士を死なせたのは不慮の事故であったようだ。だからといって許せるはずもないが、伯爵ら自身が焦っていることは伝わってくる。
「……万が一、我々が行っているギルドから得た税収の着服や帝国との繋がりが公爵の耳に入るなんてことになればフォナン家はお取り潰しになるでしょう……いえ、もちろん確たる証拠さえなければ公爵とて表立っては動けないでしょうが」
ポルトは少し冷めた口調で不吉なことを呟いた後、それでもフォローするかのような文言を辛うじて口にした。しかし伯爵は、それに対し苛立たし気に舌打ちをする。
「だがこのような手紙が送られてくるからには、何者かが深いところまで勘付いているのだろう。公爵が動くのも時間の問題――かくなる上は、やはり帝国へ資料を土産にして亡命する他ないか」
「そ、それはっ! 公国を裏切ると言うことですか?」
さすがに伯爵の言葉に追従できなかったのか、ポルトが声を荒らげる。魔石から響く声も大きくなり、メルクは少しだけ耳元から遠ざけた。
「声が大きいぞ、ポルト。いくらこの部屋が防音だからとは言え、あまり大きな声で話せば外まで聞こえるやもしれん」
「し、しかし――」
「それに、だ。公国を裏切るも何も今さらな話だろう? 税の着服も帝国との内通も、全ては公国に背いた行い。全てが明るみになり帝国に亡命したところでなんら変わらん」
「それとこれとはわけが違いますぞっ! エゲレムン大王国崩壊時にも残った歴史あるフォナン家が、公国に敵対しているチェスター帝国に亡命するなど――到底看過できませぬっ!」
どうやらフォナン家執事長としての譲れない拘りがあるのか、主であるフォナン伯爵に対して一歩も退かずに諫めようとする。
さすがに古くから仕えているであろう執事長にここまで反論されては、フォナン伯爵としても折れないわけにはいかなかったのだろう。
「う、うむ……落ち着け。むろん、それは最後の手段だ。とにかく、公爵に不正の証拠を掴まれる前に、そして帝国にグローデル博士を連れ去ったことを知られる前に何としてでも博士の研究資料を解読せねば」
気圧されるような声音で、話を元に戻した。それに対しポルトの方も一応は納得したのか、
「……ええ、研究者らに解析を急がせましょう」
少しの間があって伯爵の言葉に同意する。
(……もう少し聞いていたいが、ここで好機を逃せば本末転倒だな。動くか)
そこまでの会話を聞いたところで、メルクは魔石に流していた魔力を打ち切った。これで伯爵とポルトの会話を聞くことはできないが、メルクの立てる音があちらへ届くこともない。
メルクは気配を探り、周囲が無人であることを確認すると素早く客間の扉を開けて通路に出た。
そしてポルトが帰って来るまで伯爵がいた部屋へと移動する。おそらくそこに、伯爵が隠しているであろう不正の証拠があるはずだ。
誰もいないことをたしかめ、メルクは覚えていた入り口付近にある部屋へと慎重に侵入した。
中は何の変哲もない、書斎のような室内だ。狭さと言い、置かれている資料らしき書物の少なさと言い、普段使いはされていないのだろう。入り口の近くにあることからも、ここは大した部屋ではない――おそらくそう思わせるための作りだ。
メルクとて、アスタードの手紙に動揺した伯爵が真っ先にこの部屋に入らなければ、単なる書斎だと見逃していただろう。
しかし、伯爵はこの部屋でたしかに秘密書類の無事を確認したはずなのだ。ここには間違いなく何かある。
「物が少ないな――一見すると何もなさそうだが……」
本棚や部屋の奥に置かれた作業用の机と椅子を慎重にみる。どれも特に変わった様子はなく、小さな本棚には数冊の本が置かれている程度。机もしっかりとした造りをしているが、調度品ではなく少々高価な家具と言った位置付けだろう。机上には自然さを装うためか、切られた封筒とその中身、ペーパーナイフが置かれている。これだけ堂々と置いているのだ、中身の手紙は気にする必要もあるまい。
(家具や室内の物に仕掛けは無さそうだ……と、なれば――)
メルクは目に魔力を集中して、室内の壁に視線を凝らす。すると奥の壁、つまり机と椅子の後方にある壁に魔力が薄く漂っているのが分かった。巧妙に痕跡を消しており、並みの魔法使いであれば手を尽くしても視えなかったかもしれない。
だが、今回は相手が悪い。
幼い頃から魔力の流れを掴む修練を積んできたメルクだ。それも種族的に魔法に長けているとされるエルフなのである。この程度の隠蔽が、見破れないはずもなかった。
(どうやら、あそこのようだな)
メルクは一っ跳びで机と椅子を超えると、部屋奥の壁へと到達する。そして扉でもノックするように、コンコンと壁を軽く叩いた。
(どこだ……)
根気よく壁一面を叩いていると、メルクの眼の高さ辺りの壁の一部分だけ微かに音が違うことに気付いた。おそらくは空洞になっていて、ここだけ壁が薄いのだ。
(ここか……だが、どうやって取り出せばいい?)
この場所に伯爵の隠す書類があるのは間違いない。しかし、壁を壊すことなく取り出す方法が分からない。
この壁にはきっと、アスタードの家に張られているような結界が施されている。限られた者――フォナン伯爵のみが触れることで、自動的に書類が取り出せるようになる仕組みなのだ。そのため、いくらメルクがこの壁を引っ掻き回したところで、書類が出てくることはあるまい。
(くそ、早くしないと伯爵にバレてしまう……)
もし伯爵が、念のためにこの部屋に再び訪れたら――あるいは客間にて待つゼラの元へと向かえばこの作戦は失敗だ。客間にメルクの姿がなく、椅子で眠らされている女中を見れば大方の事情は察するだろう。
早く書類を回収する必要がある。
(仕方ない、壊そう)
壁を壊せば当然ではあるが、伯爵に書類を盗まれたことが早期にバレてしまう。だが、メルクが屋敷にいる間に悟られなければ作戦は成功なのだ。こうなれば自分がいる間は誰もこの部屋には入らないことに賭けて壁を壊す他ない――そう考えたメルクは、念のため後ろを振り返って扉に近づく者がいないかを確認する。
そしてふと、書斎の上に置かれたペーパーナイフに気付いたのだった。




