第八十八話 偽乳大作戦
それからケーナと打ち解けることができたメルクはアスタードについて話をしたり、ケーナのアスタードへの想いについて揶揄ったりしたりして時を過ごした。
すると夜もいよいよ深まってきた頃、勝手に家を飛び出してどこかへと行っていたアスタードが帰ってきた。
なにやらやり遂げた達成感のようなものを漂わせている。
「おかえりなさい」
「おかえり。っで、なにをしてきたんだ?」
嬉しそうに頭を下げたケーナにならってメルクも声を掛けてから、アスタードのにやけ顔を抑えたような、何とも言えない表情に首を傾げて問いかけた。
するとアスタードは目を怪し気に光らせて頷いて見せる。
「やりました。冒険者ギルドに話を付けて、伯爵を呼び出してもらったんです。後は君が、伯爵の乗る馬車の前に躍り出たらばっちりです」
「お、おう……冒険者ギルド? ギルドが伯爵を呼び出したりなんて真似できるのか?」
「冒険者ギルドはフォナン伯爵の一番の収入源ですよ? ギルドが伯爵の領地で運営しているので、その土地の使用料――まぁ、俗に言うみかじめ料を受け取っているんです。毎年莫大なみかじめ料を支払うギルドのマスターが「会って直接話がしたい」と言えば、行かないわけにはいきません。伯爵は間違いなく出向くでしょう」
「そうか。そしてギルドから伯爵が帰る時に、私が伯爵の馬車の前に――けど、そんなので上手く行くのか?」
メルクが半信半疑と顔にありありと出して尋ねれば、アスタードは自信ありげに深々と首肯して見せる。
「もちろんです。ギルドマスターには伯爵と八の刻から半時ほど雑談でもしてもらって、九の刻には帰すように伝えてあります。その時分に通り道に待ち伏せすれば大丈夫です」
「いや仮にタイミングを合わせても、本当に伯爵が私なんかの色仕掛けに引っかかるかな? 怪しまれてポイされそうなんだが……」
「自信を持ってください。君は見てくれだけなら、そこらの美女よりも美女ですよ」
「……そいつはどうも」
あまり嬉しくないアスタードの評価に、メルクは腕の周辺に起こった鳥肌を撫でつけながら気のない返事をする。そんな二人に話を聞いていたケーナが戸惑った様子で話しかけてきた。
「あの、大賢者様とメルクさんは何の話を――」
「ああ、ケーナ。少し頼みたいことがあるのですが、構いませんか?」
「え? はいっ! 大賢者様のご命令でしたら何でもお受けいたします」
「命令というほど大それたものではないのですが、この娘を女らしく仕立てて欲しいのです」
「……へ?」
メルクの方を視線だけで示してそんなことを言いだしたアスタードに、さすがにケーナも呆然としたような顔をした。その表情を見てアスタードも言葉足らずを理解したのか、一度頷き付け足した。
「つまり、この娘をそれらしく着飾らして欲しいんです。素材はそれなりのものを持っていると思うので、誰もが彼女を見て振り返るようなそんな感じに」
「え、あ……はぁ」
「おい、無理言うなよアスタード……というわけでケーナ。悪いけど、私をもう少しでも女らしい恰好にして欲しいんだ。別にアスタードが言うような無茶は求めないからさ。もちろん、私にできる礼はさせてもらう」
他人事のように、ケーナへハードルの高い要求をしたアスタードの頭に手刀を軽く落とし、メルクがフォローするように言い添えた。
しかしケーナは事情が飲み込めないまでも、やるべきことを察したのか力強く頷く。
「お任せください。正直、もったいないと思ってたんですよ。メルクさん、すっごく美人なのに全然恰好に頓着してないんですもの。とにかく、メルクさんの魅力を存分に引き出せばいいんですね? わかりました」
「お、おい。何を俄然やる気になっているのか良く分からないが、ほどほどでいいんだが……」
「何を言っているんです? 伯爵を篭絡するからには本腰を入れなくては……博士の命がかかっているんですよ?」
「う……それを言われると弱いなぁ」
ケーナのやる気に少し弱腰になったメルクは、小声でアスタードに囁かれて顔を顰めた。
あまりの事態に少し見失いそうになっていたが、今回の女装(?)はお遊びではなくグローデル博士救出という大きな目的がある。
メルクが嫌だからといって手心を加えるわけにはいかないのだ。
「けれど大賢者様。今日はもう仕立て屋や服屋は閉まっているでしょうし、装飾なども用意できませんが……明日の朝には準備を終えていないといけないんですよね?」
「ええ。ただ別に、服に関してはそこまで豪奢な物でなくともいいですよ。あまり高そうな衣料だと伯爵も警戒するでしょうし、町娘が着るような……別にケーナが普段使いしている物を貸してあげればいいのでは?」
「いえ……それは……」
何の気なしに行ったアスタードに、ケーナが何やら言いにくそうに口籠る。
「どうしました? 背丈は同じくらいですし、ケーナの服も流行りと行かないまでも、年頃の娘が着るような物だと思いますが?」
「……ああ、そういうことか」
メルクも最初はアスタードと同じくケーナの戸惑っている理由が分からなかった。だが、彼女がこちらに気を遣うような視線を向けてくるのに気付き、そしてその視線がメルクの顔と胸を行き来しているのに気付き納得した。
「アスタード。背丈が同じでも、私とケーナとでは胸囲があまりに違いすぎる。私がケーナの服をそのまま借りたら、胸元がスカスカで別の意味で注目を浴びてしまう」
「……ああ、そういうことでしたか。では、メルク。胸に何か詰め物をしてみては?」
「はぁ? あのなぁ、アスタード。私にも越えたくない一線と言うものがあってだなぁ……」
胸に並々ならぬこだわりのあるメルクとしては、胸元の詰め物はどうにも忌避感が強い。他者がしている分には気付くことはないだろうし、別に構わない。しかし自分自身がそれを行うとなると、やはり大きな胸に対する冒涜になるのではないだろうか? そんな妙な倫理観が働いてしまうのだ。
胸元を押し上げる膨らみは、本物であるからこそ人々に劣情をもたらすのである。
メルクはケーナの本物を横目で見ながら強くそう思った。
「――何を下らないこだわりを発揮しているんですか? 偽乳は自衛のためにも有効だと思いますが」
「自衛?」
「ええ。もし伯爵に胸を揉まれたらどうします? いやでしょう?」
「そりゃあ、まぁ」
「突然服を脱がされたらどうします?」
「そんなことはさせないが……なるほど、そう言った事態に偽乳が明らかになれば、穏便に相手もその気がなくなるってことか」
「ええ」
悔しいが、アスタードの言い分も一理ある。それに今からケーナに服をメルクに合うよう仕立て直してもらうのも酷だろう。
逡巡した後、メルクは決心し重々しく頷いた。
「偽乳か……わかった。それでいこう」
こうして、グローデル博士奪還大作戦――もとい、メルク偽乳大作戦は明日の決行を前提に、計画されたのであった。




