第八十七話 変わらないもの
メルクの脅迫――もとい説得を聞き入れ、ケーナは逡巡しながらも語り始めた。
「わ、私はもともとスフィニア王国の者なんです」
「スフィニア王国……アスタードの出身地だな」
補足するのであればその地こそエステルトやフォルディアが初めてアスタードと出会い、彼を仲間に引き込んだ場所だ。
「やっぱりご存知なのですね……」
「うん?」
「いえ。私は小さな頃、スフィニア王国で宿屋を経営していた両親の元におりました。その時、ほとんど無一文だった大賢者様――当時は冒険者ですら、いいえ、アスタードと言う名前ですらなかったあの方がうちの宿屋の居候となったのです」
「宿屋の居候?」
たしかにアスタードはエステルトたちと出会った当初、宿屋にて居候をしていたはずだ。当時から魔法の腕はあり、それで宿の主人らに頼りにされていた。だからこそ、エステルトもフォルディアも彼をパーティーに誘ったのだ。
そしてその宿屋と言えば、灰色の髪をした小さな子どもがいた。名前なんてもう覚えていないけれど、それでもアスタードに酷く懐いていてどこへ行くにもついてきたのは印象に残っている。アスタードがエステルトたちと居候先の宿を離れることになった時、ずっとしがみついて泣いていた姿も覚えていた。
「――そうか、女の子だったのか」
「え?」
「あ……いや」
思わず呟いたメルクに、ケーナが不思議そうな顔で首を傾げてみせた。
慌てて取り繕うも、しかし無意識に声に出てしまうほど意外な繫がりである。特に注意を払っていなかった子どもが、まさか十数年の時を超えて再びアスタードの傍にいるとは。
いわんや状況は違えど、あの時と同じように同じ屋根の下で同居していたのだ。さすがにメルクも驚きである。
(短髪で幼かったから男子だと思っていたが、そうか女子だったんだな。どうりで見覚えがあるのに思い出せなかったわけだ)
出会った当初から、なんとなく彼女には見覚えがあったのだ。しかし巨乳女性に一家言あるはずのメルクが、一度出会った巨乳女性を忘れるわけがない。つまり出会ったことはないと結論付けていたのだが、まさか出会った時に男児として見ていたとすれば話は別だ。
気付けるはずもない。
「私にとってアスタード様はずっと憧れの存在で、アスタード様が大賢者様と呼ばれるようになってからも、一目またお会いしたいと思っていました」
「……それで、この街に?」
「はい。成人を迎え、ある程度の護身術と簡単な魔法を習った私は、両親に無理を言って家を出ました。アスタード様を見つけて弟子にしてもらうつもりだったんです」
「それは……大変だったな」
話を聞いた限り、アスタードは居場所を転々としていたはずだ。ログホルト市に留まるようになったのはここ最近のことで、それまでは根無し草のような旅三昧だったと聞いている。
成人で、つまり十四くらいの歳で家を出たケーナがアスタードと出会うことができたのが二十歳すぎになってからという時点で察せられるものがあった。
「ふふっ、いえ。旅をしながら自分自身を鍛えていましたので。本当はもう少し早く居場所を知ることもできたはずですが、私はある程度の実力を手に入れてからお会いしたくて修行に重点を置いていました。じゃなきゃ、きっとアスタード様に門前払いされると思って」
「……それは賢明な判断だ。あいつは、一から弟子を育てるような面倒見のいい奴じゃないからな」
きっとケーナも宿屋でアスタードの性格をある程度把握していたのだろう、だからこそ、「会いたい」と言う気持ちを抑えて修行を優先したのだ。
「たまたまレザウ公国にいる時、アスタード様らしき方がログホルト市付近にいるというお話を風の噂で聞きました。本当はもっと魔法の修行をしてからと思ったのですが、その噂を聞いて居ても立ってもいられず――結果、私は気付いたらこの街に……」
「ふーん。それでがむしゃらな強行軍で疲れ果ててこの家の傍に倒れていたわけか? なるほど」
メルクが得心の行く思いで大きく頷けば、しかしケーナは表情を微妙なものに変えて何故か身体をもじもじと動かした。
「うん?」
「いえ……あの。その……きっと軽蔑されると思うんですけど、実は私、行き倒れていたわけじゃないんです」
「え?」
「アスタード様のお家はなんとか辿り付けたんですが、ご存知の通り魔法の結界が張られていて私にはどうしようもありませんでした。それに、スフィニア王国で別れてから随分と永い時が経ちました。きっと私のことなんて忘れて、今さら押し掛けたところでやっぱり門前払いされると思い怖くなって――だからアスタード様がご自宅から出てくるのが見えて、咄嗟に行き倒れたふりを……」
「……はぁ、そういうわけか」
身体を小さく揺すりながら、こちらへ視線を合わせることなく打ち明けてきたケーナ。きっと話したくはなかったが、ここまで説明したからには黙ってはいられなかったのだろう。こちらに向けてきた敵意を含んだ視線といい、良くも悪くも素直なのだろう。
「案の定、アスタード様は私にお気づきになられていないようですし、黙っているうちに私が居候していた宿の娘であることも、魔法使いの弟子にして欲しいことも言い出しにくくなってしまって……」
「ふーん。それで苦肉の策に家政婦の真似事を申し出たわけだ? 何と言うか、健気だねぇ」
メルクには正直、ケーナがアスタードのなににそこまで惹かれて慕っているのかは理解できないが、やはり客観的に見るとケーナの想いは憧れの感情を超越しているように思えた。
言ってみれば、彼女の想いはもはや恋だ。
「ケーナはアスタードのことが好きなのか?」
「へっ? え、あ……」
この時、メルクはごく自然に「ケーナ」と呼び捨てにしたが、それは彼女の幼少時代を知っていると分かったための無意識なものである。そしてケーナがそのことに気付く素振りを見せなかったのは、メルクの口から飛び出した質問に少なくない動揺を抱いたからであろう。
ケーナは顔を真っ赤にし、唇を震わせ視線を慌ただしく泳がせる。
「わ、私は、私はその。たしかにアスタード様のことはお慕いしておりますが、その恋愛感情かと言われると――あの……」
「もし、ケーナがアスタードのことを一人の男として見ているわけじゃないのなら、あいつに恋愛感情を抱いていないのならこの家を出た方がいい。あいつに限って悪戯に婦女子へ手を出すとは思わんが、それでもあいつは男だからな。なにがあってもおかしくはないし、その場合、傷つくのはあなただ」
煮え切らないケーナの答えを受け、メルクは座り直して真剣な眼差しを彼女へと向けた。
「……」
「仮にケーナがあいつのことを好きだと言うのであれば、私は何も言わない。あいつに手を出されて、それでも本望だと思えるのであればそれはそれでいいと思う」
「私は……私はアスタード様が好き、です。その……手を出してもらっても……大丈夫です、うぅ……」
メルクの重々しい声音による質問に白状させられるかのように、ケーナが両掌でこれ以上にないくらい赤くなった顔を覆う。メルクは真剣な表情のまま頷き、
(あの糞賢者、爆発しろっ!)
そんな風に内心で盛大に罵っておいた。
「こほんっ。で、あるならばあなたの意思を尊重しよう。アスタードにはあなたのことは黙っておくし、あなたがこの家にいることを私が咎めることはない」
「……はい」
「だが、これは老婆心なんだが……アスタードにはずっと恋い慕っている女がいる。その想いは並の物ではない――あなたの恋は報われないかもしれない」
余計なお世話だと思いつつも、けれど十数年の時を超えて旧友のことを想い続けてくれている彼女には告げておくべきだと判断した。メルクよりも――エステルトよりも先にアスタードに出会っていた彼女には告げておきたかったのだ。
「それは、なんとなく存じております」
メルクの言葉に、ケーナは深く首肯する。
未だ頬は赤いが、しかしメルクを見据えるその眼差しにはいっぺんの揺らぎもなかった。
「アスタード様はほとんどこの家におられませんが、それでもあの方と接する機会はなんどかありました。その折、あの方の心に想い人がいらっしゃることは理解できましたが――けれど私はそれでもよいのです。今はたしかにその女性がアスタード様の一番なのでしょう。けれど必ず――いずれという言葉を前置きに、私は必ずやあの方の一番になってみせます。なってみせると決めたのです。だから、だからもうそれでいいのです」
それがケーナの決意表明であることは、恋愛に疎いメルクにしても察せられるものであった。
アスタードの傍に突然現れたメルクを睨むかのような目。
折々に向けられた隠し切れない険しい表情。
アスタードを見つめる嬉しそうな顔。
そして、幼い頃から今に至るまで変わることなく持ち続けた恋心。
(やれやれ……本当に、余計なお世話だったな)
彼女は徹頭徹尾、アスタードという男を愛しているのだ。そこに今さら他者が介在する余地はないのだろう。
どんな言葉も困難も、きっと彼女の恋慕を擦り減らすことはできないのだ。
「……私にはケーナの想いを応援する力はないが、アスタードがあなたをこの家に置いている時点でそれなりに可能性はあるはずだ。単なる行き倒れを、逆立ちしたって居候させるような男ではないからな」
「はい」
せめてもの助言をしようとそう言えば、ケーナは少しだけ嬉しそうに頷いた。そして何を思ったのか、ゆっくりと首を傾げた。
「……やっぱり、メルクさんがアスタード様の想い人というわけではないのですね?」
「ぐっ!」
その突然の不意打ちに、メルクは唇に笑みの形を作ったまま奇妙な音を鳴らしてしまった。
言葉が肉体にダメージを与えるのであれば、今頃メルクの身体は血塗れになっていただろう。
「……私があの馬鹿の想い人? 勘弁してくれ。言っただろう? あいつは単なる昔馴染みさ」
「ふふ。ええ、お会いした時は少し疑っていましたが、今ではその言葉に納得できます。だってアスタード様とやりとりするメルクさんって、やっぱりあの方と空気感がそっくりですもの」
「うん? あの方?」
「ええ。私が幼い頃、アスタード様の勧誘によく宿へ訪ねてこられたお方です。そしてまんまと私の前からアスタード様を連れ出した張本人ですわ」
「――それって……」
そこまで聞けば、ケーナが一体誰とメルクを重ねていたかが理解できた。そしてそれは、ほとんど当然のことであるとも言えた。
「その方はアスタード様と同じく英雄と呼ばれています。剣聖エステルト様――ふふ。あなたのような美しい女の人を男の方と同一視しちゃうなんて失礼だけど、でも本当にそう見えちゃったんです、すみません」
「……いや、謝ることはない」
非礼を詫びるように軽くお辞儀してきたケーナに、メルクは自然と笑みを浮かべて首を横に振る。なんだか奇妙な心持ちになったのだ。
自身が浮かべる笑みの正体に心当たりはないが、それでも何となくわかるものはある。
彼女の恋心と同じようにどれだけ時を重ねても、たとえどれだけ姿かたちが変わっても、変わらないものが自分の中にもあるらしかった。




