第八十六話 勝利
「……はぁ?」
大賢者ことアスタードの口から飛び出した言葉が少し考えても理解できず、メルクは盛大に首を傾げた。
「つまり……お前が女装して伯爵に色仕掛けするってことか?」
なるほど、女装したアスタードであれば美女にしか見えないかもしれない。しかしメルクの言葉にアスタードは苦り切った顔をする。
「どうしてそうなるんですか」
「え? じゃあまさか、ケーナを巻き込んで……」
「違います。先ほども言いましたが、君がフォナン伯爵にするんですよ」
呆れたようにこちらを見てくるアスタードだが、やはりメルクには彼の言っていることが理解できない。
「私が、フォナン伯爵に何をするって?」
「もちろん色仕掛けです……噂によると伯爵は少々度を超えた女好き。美女や美少女には目がないんだとか」
「いや、だから何でそれが私が伯爵に色仕掛けすることに繋がるんだ? 変なものでも食べたのか?」
「現状、伯爵から情報を引き出すためにはこの方法がもっとも有効だと思われます。頑張りましょう」
「いや、その方法で頑張るのは私だろう? なにを拳握ってんだ。なんで鼻息荒くしてんだ。お前は別に何もしないんだろうが」
突拍子もないアスタードの提案は、グローデル博士のためにできる限りのことをしようと考えていたメルクをもってしても困惑させる。そもそも、自分の色仕掛けなんてもので博士を救えるとは思えなかった。
「だいたいなぁ? どうやって――」
「お待たせしました」
と、そこに飲み物を運んできたケーナが現れたために、二人は一旦作戦会議を中断する。そして眠っている少女の世話をケーナに押し付け――もとい頼んでからアスタードの研究部屋へと移動した。
「え? お飲み物は……」
ケーナの戸惑う声も聞こえたが、急を要する事態を前に頭を下げて断るのみだった。
「さて、君が伯爵に色仕掛けをするにあたってですが、いくつかの突破しなければならない壁があります」
「……なぁ? まずは私が伯爵に色仕掛けをしたくないという気持ちを突破して欲しいんだが」
「まず一つ目、君の見た目。そのままでも十分女性らしく美しいですが、やはり少々男らしすぎる。それでは伯爵の食指も動きづらいですし、そもそも伯爵の手下に君のその姿が知られている可能性もあります」
「おい、聞いてるか?」
「まぁ、この点はケーナに女らしくしてもらえば問題ないでしょう」
メルクの言葉など耳に入らないとばかりに、部屋の中を歩き回り思案を重ねるアスタード。メルクは――いや、エステルトは知っていた。
この状態になったアスタードには、残念ながらこちらの言葉はよほどのことがない限り受け入れてもらえないのだ。
「次にどのようにして伯爵に接触するか、ですね。噂通りであれば伯爵が着飾った君の姿を見れば飛びつくはず」
「うわぁ、全く嬉しくないな」
「しかし、それも目にしなければ意味がない。そこで、君にはどうにか伯爵と接触してもらいます。そうですね……伯爵が馬車で出かけている時に目の前に現れ、わざと転んでみてください。噂通りであれば、きっと飛びついてくるはずです」
「本当に飛びついてきたら、一撃で爆散させてやるぞ」
「そうと決まればこうしてはいられませんね。私はこれから出掛けて根回しをしてきます。君は休息を取りながら、テテムの様子でも見ていてあげて下さい。ではっ!」
「はぁ? あ、おいっ!」
メルクにとって何も決まってはいないというのに、一人で納得するとアスタードは部屋を飛び出してさっさと行ってしまう。
追いかけようとも思ったが、どうせ追いついたところで無駄だ。対案のないメルクに、結論を出してしまったアスタードを翻意させることは不可能に近い。実力行使で物理的に止めるのも一つの手ではあるが、その後、遺恨のないように取りなしてくれる『かつての仲間』もここにはいないのだ。
現状、メルクは流される他なかった。
「たく、あの馬鹿は勝手なんだからなぁ」
呆れを含んだ呼気を吐き出し、メルクは先ほど後にしたばかりの客間へと戻って来た。そこには意識を失っていた少女のために用意した寝台があり、その少女を優しげな表情で見守るケーナの姿があった。
「あの……テテムの様子はどうだろうか?」
部屋に入り問いかければ、ケーナが慌てたようにメルクへと視線を向けてくる。
「あ、はい。えーと、大丈夫そうです。私には、単に眠っているように見えます。それよりも、この娘がテテム様なのですか?」
「え? 知ってるのか? って、そうか。手紙の差出人になっていたな」
アスタードとグローデル博士の手紙のやりとりにはテテムの名前が使用されていたのだ。当然、手紙をアスタードへと渡していたケーナには心当たりのある名前だろう。
「けど、意外です。大賢者様がこんな小さな娘と文通されていたなんて」
「いや、あいつの名誉のために言っておくが、別にその娘とあいつが特別な関係ってわけではないから。そこまで見境のない奴ではないから」
「へ?」
かつての仲間に小児性愛の気があると思われるのも心苦しく、メルクはアスタードのためにそんな擁護をしておく。
しかしケーナの表情を見るに、それは無用な心配だったようだ。むしろ不思議そうな顔でメルクの方を見返してきた。
「大賢者様はお優しい方ですから、なにか事情があってテテムちゃんに協力してあげていたんでしょう」
「あ、ああ」
「それに、こんなに幼いのに身内もなく一人きりになってしまって……本当にかわいそうです」
「まぁ……」
たしかにアスタードの説明では、テテムの身内である博士が襲撃によって「殺された」とケーナが思っても仕方がない。いや、むしろ誰だってそう思ってしまうだろう。
実際に連れ去られた博士が無事であるかどうかも分からないのだ。ここはケーナの言葉に頷いておくことにした。
「襲撃してきた犯人はどうなったんでしょうか?」
「まだ捕まっていないが、私とアスタードで何とかするさ。その娘には指一本触れさせない」
襲撃者であるフォナン伯爵がこの期に及んでテテムを狙うとは思えないが、ケーナを安心させるためにそう言ってやった。
とはいえ、そんな言葉を掛けてやりながらもメルクとしてはどうしても、ケーナ自身へ対しての疑念を捨て切れてはいないのだが。
身内を無くし、今なお意識を失ったままの少女を労わるように見つめる娘を、悪意あってアスタードに近づいたと見るのは難しい。しかしメルクは間違いなく、ケーナに他意がありそうな視線を向けられている。
そのことがどうにも引っ掛かっているのだ。
「……いい機会だ。ケーナさん、少し聞いてもいいか?」
「はい? なんでしょうか」
「あんたは、何のつもりでアスタードに近づいたんだ?」
「――っ?」
鋭い視線となったメルクの単刀直入な物言いに、ケーナは一瞬だけ目を見開いてから困ったような微笑を浮かべて首を傾げた。
「あの、その……何のことでしょうか?」
「とぼけても無駄だ。それなりの魔力量、日常動作の中のなにげない身体の使い方……どれをとってもある程度は戦えるはずだ」
「……」
「そんな娘が、私には空腹で行き倒れるとは到底思えないんだがな」
鋭い目でケーナを見ながら言い放ったメルクに、それでも目の前の娘はぎこちない笑みを浮かべ続けた。
「か、買い被りですよ。私は本当にドジで、ふふ。いつも失敗してばかりです」
「それだ。それがまず気になるんだよ」
「はい?」
「アスタードだって鈍くはない。私が一日程度で気付いたあんたのおかしさを、数日共に過ごしたあの男が気付かないはずがないんだ」
「――えっ?」
「うん?」
眉根を寄せたメルクの言葉に、ケーナは笑みで取り繕うことも忘れたように驚いた表情を浮かべる。
その、演技ではなさそうな呆気にとられた顔に、言葉を紡いだメルクの方も困惑してしまった。メルクは決して、彼女のこんな表情を引き出すために先ほどの疑問を口に出したわけではない。
「大賢者様が……私に気付いている? そんな、ことは……」
「ないはずだって? まぁたしかに、あんたのおかしさに気付いていたら、絶対早々に叩き出しているはずだからな。そうしないところみると気付いていないか――あるいはあんたがあいつにとって追い出す必要のない者かってことだろうな」
アスタードが気付いていないということは間違いなくないはずだ。つまり必然的に後者なのだが、それならばケーナはいったい何者なのか?
見知らぬ者が事情を偽って自分に近づいてきたとなれば、アスタードだって許すまい。そのことからアスタードはケーナのことを知っていると考えられる。そう言えばメルクも、ケーナとこの家で対面した時からどこかであった気がしていたのだ。
(けど……私がケーナを忘れるはずがないと思うんだがな……)
自己主張激しいケーナの胸元を見やりながら、メルクは内心で鼻の下を伸ばしながら首を傾げる。
これでも巨乳の女性を覚えておくことは得意なのだ。
「……そう言えばケーナさん。今朝あんたは、私が誰かと似ているというようなことを言っていたな? 誰と似ていると思ったんだ?」
「そ、それは……私の勘違いでした」
「ふーん? そうか。なら、私はアスタードにあんたの怪しさを知らせて反応をみるとしよう。もしかすると本当に気付いていないだけかもしれないからな」
「そ、そんなぁっ!」
メルクの言葉にケーナが悲鳴に近い声を上げ、すぐ傍で寝ている存在を気にしたように慌てて自分の口を閉じた。
しかし縋るような目でメルクを見つめると、近づいてきて囁き声で懇願する。
「や、やめて下さいメルクさん。私は別に……」
「いいじゃないか。ケーナさんは別に疚しいところなんてないんだろう? きっとアスタードだって私の思い過ごしだと鼻で笑うさ」
「う、うぅ……お願いです」
身を屈め、メルクの服の裾にとりついて見上げてくるケーナ。
少し涙目になった巨乳美人のそんな仕草に、前世が男であるメルクの嗜虐心がくすぐられてしまう。自分の中で沸々(ふつふつ)と、あまりよろしくない類いの感情が頭をもたげ始めた。
(――いや、待て待て。そういうのはちょっと、人としてあれだぞ、駄目だぞ)
「ま、まぁ……あれだ。ケーナさんしだいだな。素直に正体を明かしてくれるのなら、私もことを荒立てるつもりはないんだ。なぁ、アスタードに危害を加える気がないのであれば話してくれないだろうか?」
「……はい」
心の中で競り上がってくる下心を抑えつけ、メルクは裾にとりつくケーナの掌を外して問いかける。それは間違いなく、理性が本能に勝利した瞬間だったといえよう。




