第八十二話 旅立ちの前に
一言でいうなら、なんとも気まずい目覚めだった。
外から扉がノックされる音で、部屋の壁に凭れて眠っていたメルクは目を覚ました。どうやらそれは、同じ部屋で寝ていたアスタードも同じだったらしい。
こちらに向かい合うようにテーブルに俯せて眠っていたアスタードは、メルクとほとんど同時に顔を上げ、しばしのあいだ見つめ合う形になった。
そして思い出されるのは昨夜のあまりにも恥ずかしいやりとりである。
(精神年齢的に)いい年をした二人の大人が愛だの恋だの好きだのなんだのと散々に語って――馬鹿みたいに寝こけてしまった。
(し、死ぬほど恥ずかしいっ!)
メルクは一瞬で羞恥心に満たされ、それは目の前のアスタードも同じだったのか慌てたようにこちらから視線を外す。
「お、おはようございます……メルク」
「お、おう。おはよう、アスタード……」
朝の挨拶を返して立ち上がったメルクは、その場の雰囲気を誤魔化すために軽く体の柔軟運動をする。おそらくメルク以上に昨夜の出来事を恥じているのは、アスタードの方であるはずだ。あまり触れてやらないようにしてやりたかった。
「くぅぅ」
それに、久しぶりに不自然な体勢で眠っていたため身体が強張っていたのは間違いない。少し伸ばしただけで関節から軽い音が鳴り、口からも甘い吐息が小さく洩れる。
「へ、変な声出さないでくださいっ! 気持ち悪いっ」
「別に柔軟をすれば誰だって出る声だろう? なに今さら気にしてるんだ?」
「……それはそうですけど」
奇妙な反応をするアスタードを小首を傾げて見やれば、彼は気付いたようにフードを被り直した。
ようやくフードが外れていたことに気付いたようだ。
「さて、今後の計画ですが――」
そうして先ほどの反応を誤魔化すように話を切りだしたアスタードだったが、今度は強めに打ち鳴らされたノックの音で背後を慌てたように振り返った。
そう言えばメルクもアスタードも、ノックの音で起床したのだ。
「ああ、今開けます!」
防音の魔法が掛かっているため無意味だとは思うが、アスタードはそう言いながら扉を開ける。すると少し険しい顔のケーナが立っていた。だがケーナはアスタードの顔を見るとすぐに可愛らしい笑顔を浮かべた。
「おはようございます、大賢者様。メルクさん。居間にて朝食ができていますので、どうぞお越しください」
「そうですか。メルク、行きましょう」
「なに? 私の分もあるのか?」
「はい。けれど私はメルクさんの苦手なものが分からないので、作ったもので満足いただけるかどうか……」
「問題ない。私は大抵の物は好物なんだ。ありがとう」
(まぁ、毒入りでもなければな……)
ケーナに居間へ案内されながら、メルクは少々物騒な言葉を内心で付け加える。
ケーナが昨日のゴザの実などに毒を入れていなかった時点で、その可能性は低いはずだ。こちらを害するつもりであれば、アスタードもメルクも眠っている隙に襲ってこればいい。だがそうしなかった時点で、直接的な害をこちらに加えるつもりは無さそうなのだ。
とはいえ、彼女は明らかに怪しい。
メルクへの睨む様な視線も、裏がありそうな言動も――そして何よりも、気を許した者以外には疑い深いあのアスタードが全面的に信用している、気がする。これは大きな違和感だ。
だが彼が信用しているが故に、メルクの方から確かめる気も起きない。
「メルク。ケーナを睨み付けてどうかしましたか?」
どうやら知らずにケーナを見ていたのか、アスタードが窘めるようにメルクへと小さな声で呟いてくる。
「あ、悪い。胸が大きいなぁと思って……」
「……あなたは相変わらずですね」
その一言に納得したのか、アスタードはあっさりとメルクから関心を無くした。それで納得されるのも少し悲しいが、ホッとする。
アスタードが信用している者をメルクが疑っているとなると、彼もあまりいい気はしないだろう。現状は、どれだけ疑わしく思えてもケーナのことを放っておく他あるまい。
メルクはあまり意識しないように努め、彼女から提供された朝食を素直にいただくことにした。
「さて、それでは今後の予定を話しておきましょう」
「え? ああ……」
ケーナの作った朝食を平らげ、その美味しさと満腹感に腹を擦っていると、アスタードが呆れたような視線を向けてきた。どうやらすっかり気が緩んでしまったこちらに思うところがあるらしい。
(仕方ないだろう……ケーナの飯が美味かったんだから……)
その視線にたじろいで内心だけで反論すると、メルクは身を正して話を聞く姿勢をとった。
「それで? 予定って具体的には?」
「これから準備を整え、すぐにテテムのところへ行きましょう」
「テテム? ああ――ああ」
一瞬誰のことかと考えたが、よく思い返してみればグローデル博士の孫娘のことである。なぜその名を出したかはすぐに察せられた。
「えっ? 大賢者様はテテム様のところへ行かれるんですか?」
そう。この場には当然ながら給仕をしたケーナがいるのだ。おそらく彼女にグローデル博士の名を知られないようテテムの名を出したのだろう。
テテムの名であれば手紙の受け取りの際に知られているので問題ないのだ。
「ええ。ケーナ、帰ってすぐで申し訳ないのですが、我々は少し出かけなければなりません。家のことは任せられますか?」
「……はい、もちろんです。けれど急ですね……もう少しごゆっくりされても――」
ケーナのアスタードを労わるような言葉に、当の大賢者は最後まで言わせず首を横に振った。
「あなたに心配されずとも大丈夫ですよ。我々にはあまり、ゆっくりしている時間はありません」
「そ、そうですか。出過ぎたことを……申し訳ありません」
意外にも拒絶するような言い方をしたアスタードに臆したのか、ケーナが顔を強張らせながら頭を下げた。その姿に、メルクは責めるような視線をアスタードに送る。
「おいおい、言いすぎじゃないか? ケーナさんはお前の心配をしただけだろう?」
「だからその心配が必要ないと言っただけです。僕と君がいて、一体何を心配することがあるというんですか? それこそ『仇為す者』でも出ない限りは脅威になりえません」
「……お前、相変わらずだな」
(だいたいケーナは私のことなんて知らんだろうが……)
メルクの言葉に少々ズレた返答を返したアスタードを諦め、ケーナの方へと顔を向け軽く頷いた。
「こいつも悪気はないのだが、どうもつっけんどんな言い方に聞こえてしまう。許してやってもらいたい」
「いえ、そんな……けれどメルクさんって、本当に随分と大賢者様のことをよく知っているんですね」
「え? まぁ、それなりに」
「ふふ。なんだかまるで――」
「うん?」
そこで不自然に言葉を切ると、ケーナはゆっくりと首を横に振ってしまった。
「いえ、ごめんなさい。あなたのようなお奇麗な方に、あまりにも失礼な事をいいかけてしまいました」
「なんだろうか? 話し方が粗野で男のようだとでも思われたかな?」
「あ、いえ。そんな……」
メルクが茶目っ気を見せてケーナへ首を傾げれば、彼女はなんだか煮え切らないような表情を浮かべる。
見ようによってはメルクの言葉が図星だったように思えなくもない。やはり前世が男であると、どれだけ外見がそれらしくても違和感を持たれてしまうと言うことだろうか。
内心で自問したメルクとケーナの会話を遮るように、アスタードがおもむろに立ち上がりメルクをねめつけるように鋭く見た。
「お喋りはここまでにしておきましょう。なにせ時間がありません。メルクはさっさと旅の準備をして下さい」
「……ああ、了解」
あまり彼らしくもない少々高圧的な声音を疑問に思うも、アスタードが言うことはもっともである。メルクは指示された通りに旅の準備をするのだった。




