第八十一話 大賢者と剣聖
ケーナが部屋にゴザの実を運んできてしばらく、メルクに酒を取り上げられたアスタードは少しだけ正気に戻りつつあった。
「ははぁ。エステルトが美少女になってるっ! あはっはっは!」
「……」
そう、少しだけ……。
「ったく。私の名はメルクだ。この家に他の人間がいる以上、ちゃんとメルクって呼べよ」
「変なこだわりですね……まぁいいや。えーとメルク、ゴザの実をください」
先ほどから徐々に敬語に戻ってきているので、酔いは確実に冷めてきているのは間違いない。ただまぁ、馬鹿笑いした際に被っていたフードが取れたことすら気付いていないようなので、素面になるのにはまだかかりそうだが。
「ほらよ……いや、ちょっとまて」
メルクはゴザの実やナイフとフォークが添えられた器をアスタードに渡そうとして、すんでのところで思いとどまる。
この状態のアスタードに、フォークはともかくナイフを使わせるのは危険のような気がした。むろん、通常はそんなもので怪我することはないはずだが、この酔っぱらった状態では何があるか分からない。
仕方なく、メルクはゴザの実の皮を剥いてやることにする。
「ったく、面倒だなぁ。店であれば剥いた物が出るんだが……」
今朝食べた、デザート用のゴザの実であれば食べる本人が皮を剥くのが基本だ。しかし、こういったつまみ用に出されるゴザの実は、酒場やバーなどでは最初から剥かれて出てくることの方が多い。
理由は簡単で、安全に考慮し酔っ払いに刃物を使わせないためだ。その逆に、刃物を使わせることであまり酔わせないようにあえて皮つきで出す店もあるが、やはり少数といえた。
おそらく、ケーナは魔石越しの声でメルクが酔ってはいないと考え、早めにゴザの実を用意することを優先して皮を剥かずに運んできたのだろう。
それはおおむね正しい。現に、メルクはあまり酔っていない。
問題があるとすれば……メルクが致命的にゴザの実を剥くのが下手であったことだろう。
「く、このっ! 逃げるんじゃない……」
「あはっはっは! 君は、君はなにしてるんですか? 遊んでる? いや、遊ばれてますねぇ! あはっはっは! 愉快、愉快」
ゴザの実の皮を剥こうと悪戦苦闘するメルクを指さし、アスタードが心底楽しそうに笑う。
「おい、私はお前のために剥いているんだぞ?」
「あはっはっは。こ、これは失礼……でも、君は不器用ですねぇ。ゴザの実も真面に剥けないなん――え?」
「うん?」
自分の言葉で何かに気付いたように、アスタードが顔に浮かべていたにやけ面を引っ込める。そしてそれだけではなく、なぜか信じられないようなものを見たように目を見開き、息を呑んでメルクを見つめていた。
「おい、何だよその顔……私の顔に何かついているか?」
その変わり身に面食らい、一旦ナイフとフォークを置いて尋ねれば、アスタードが止めていた息を大きく吐き出した。
「そうか……そうだったのか。はは、そうだったんだ……」
「ああ? さっきからどうしたんだ? やはり呑みすぎたんじゃないか? 今日はもう寝た方がいい」
今度は顔を俯かせ、ぶつぶつと呟き始めたアスタード。さすがにメルクも心配になり、彼を寝かせようと腰を浮かせかけた。
「イリエムがね、言ったんですよ」
「――?」
だがアスタードの口から唐突に零れたその言葉に、メルクは眉根を寄せて座り直した。
アルコールの中毒を起こした者にしては、その声があまりにも明瞭だったからだ。
「――パーティーを解散した後、彼女が弟に会うためにアーラタン王国へ帰るって言いだしたんです。だから僕は、今しかないと思って彼女に自分の想いを告げようとしたんですよ」
「……ああ」
突然始まったアスタードの色恋話に興味を惹かれ、メルクは相槌を打ちその顛末へ耳を傾けることにする。
再び顔を上げて、けれどメルクではなく部屋の上方へ視線を向けたアスタードはその眼を細め、今ではない過去を見つめているようだった。
そして語られた、とても短い二人のやりとり。
『い、イリエム。君の国には帰りを待つ人はいるのですか?』
『ええ。唯一の肉親である弟が……きっと待っていてくれているでしょう』
『あ、あの恋人とか。えーと、こ、婚約者とか』
『私にですか? ふふっ、そんな人いませんよ』
『じゃ、じゃあ、気になっている人とか! す、す、す、好きな人とかいませんか?』
『え? 私にですか?』
『も、もしいなければ……あの僕と、その――』
『そうですね――そんな人が一人。ええ、一人だけ』
『――』
『うん? どうかしましたか?』
『――い、いえ。ち、ちなみにその人はどんな方なんですか? 君に想われるだなんて、きっと素晴らしい人なんでしょうね。ははっ、はははは……』
『ふふっ、アスタード。あなたと比べたらどうしようもない人としか――説教臭くて負けず嫌いで、どうしようもなく不器用で……ふふっ』
『どうしたんです?』
『いえ。そういえば、私が想うその方は――ゴザの実一つ満足に剥けなかったなぁと……』
「――あの女が……聖女がそんなことを言っていたのか?」
アスタードとイリエムの会話の内容を聞かされたメルクは、擦れる声で上に視線を向けたままのアスタードに問いかけた。
「僕は、僕は大馬鹿者でした」
アスタードは視線を戻し、潤んだ瞳をメルクに向けると、震える声で自身を断罪した。
「……その反応、君もやはり彼女のことを想っていたんでしょう?」
「――っ! はぁ? なんでそうなるんだよ? だから言ってるだろう、貧乳は好みじゃない」
以前から言っていたことだ。
アスタードに「イリエムのことをどう想っているか?」と聞かれた際、エステルトはいつだってそう返していた。
胸が大きい女性に惹かれる自分は、貧乳であるイリエムをそういった対象に見ることはないと。だからアスタードに、自分に遠慮することはないのだと――。
けれどエステルトにもわかっていた。
それはアスタードを納得させるための言葉なんかではないと。
それは自分自身に言い聞かせるための言葉でこそあったのだと。
自分よりも十近く離れていた女にどうしようもなく惹かれていた事実。それを隠すために否定するために、エステルトはその言葉でイリエムをそういった対象から外そうとしていたのだ。
「僕は知っていたのに。君が彼女に惹かれていることに気付いていたのにっ!」
「だから――」
「なのにあんな……あんな牽制するような真似を――」
「――アスタード……」
「そして彼女も、君を愛していたのにっ!」
「……」
自分の想い人が他者を想っていることを口にする。それがどれだけ辛いことであるかなど想像に難くない。それでもあえて口にしたアスタードの気持ちを察し、メルクは何も言えなくなった。
「……うっぅ。イリエム……会いたいよぉ。僕のことを好きじゃなくてもいいから、たとえ他の人が好きでもいいから――生きててほしい。生きててほしいよぉ」
顔をテーブルに伏せ、子どものように声を押し殺して泣き始めたアスタード。そんな彼が見ていられなくなって、メルクは立ち上がり彼の背中を擦ってやる。
けれど何も言えなかった。
泣きつかれたアスタードが寝息を立てて寝入ってしまうまで、メルクは何も言ってやれなかった。




