第八話 彼女と急転
それからあっさり二羽目の『角兎』を仕留めると、メルクとローは待ち合わせの場所へと戻ってきた。
当然と言えばガナンに失礼ではあるが、エルフの少年の姿は『大樹の切り株』付近にはない。
「お姉ちゃんの勝ちだね」
「感覚的に狩りを開始してから半時ほどだ。大人でもこの短時間で三体狩るのは難しいだろうさ」
とは言え、少し時間があるので、狩ってきた獲物の処理を施しておくことにした。
気絶させるだけに留めておいた『角兎』の血抜きを行い、ついでに山を流れていた小川で汲んだ水で、内臓の処理もしておく。
水を汲むのにはアリョと呼ばれる背の高い緑色の植物を切って器にした。
アリョには節が無数にあり、その節と節との間には空洞ができているのだ。その部分を器にした……のはいいが、やはりこれだけでは量が随分と足りない。
辺り一面が血まみれになってしまい、その光景と匂いにローが険しい顔で目を背けている。
「な、何もここでしなくても」
「まぁ、できれば水辺で冷やしながらが良かったが、することもないしな」
前世では貧しい村に生まれたので、日々の糧のために幼い頃から狩り暮らしだった。そのため狩った獲物の処理の仕方など、嫌というほど染みついている。たとえ水辺でなくとも道具が揃っていなくとも、美味しく頂くことができる程度には。
「さすがに毛を毟っている時間はないかな? そろそろガナンも戻ってくるだろう」
「たしかにもうすぐ時間だけど……ガナン兄ちゃんだってもう少し粘るんじゃない?」
「ふん、あいつの弓の腕がそれなりなら、もうじき三体狩って戻ってきてもおかしくない時間だ。仮にどうしようもなく下手なら、見込みがないと諦めて戻ってくるはずさ。ガナンは飽きっぽいからな」
「ふーん。その割にはお姉ちゃんにこだわっているように見えるけど」
「……意外と鋭いな、お前」
核心を突くようなローの言葉に、メルクは少し驚いて弟を見た。前世の自分は、ローの歳で果たしてここまで鋭かっただろうか。
いや、おそらくは剣の修行に明け暮れ、人情の機微になど気を払っていなかったに違いない。そのせいか、初恋をしたのもその恋心に気付いたのも随分と歳がいってからだった。
情けない話である。
「もしかしてガナン兄ちゃんって、お姉ちゃんのことが好きなのかな?」
「私の勘違いでなければそうだろうな。まぁ、本人が直接好意を示したわけでもないから、ガナンに聞いたりするなよ? 勘違いなら私が恥ずかしい」
「……嬉しくないの?」
「あ? 嬉しいって……ガナンに惚れられていることがか? なんであいつに惚れられて喜ばないといけないんだよ?」
不思議な質問をしてきたローに不思議顔を返せば、大人びた弟は妙な笑みを浮かべて首を横に振った。
その笑みは、名付けるとしたら苦笑だろうか?
「やぁ、ガナン兄ちゃんも可哀そうだねぇ。これじゃあまるっきり見込みがないよ」
「たしかに、この時間になっても戻ってこないんじゃ、狩人の才能は無さそうだな。いくらなんでも遅すぎる。あいつがこんなに音を上げないなんて少し意外だ」
「……そういう意味じゃないけど」
ローは小さく何事かを呟いたが、その声はちょうど麓の里から聞こえてきた正午を告げる鐘に掻き消されてしまう。
ついに、狩猟の終了時間が来てしまったのだ。
「あの馬鹿、もしかして迷子になってるんじゃないだろうな? 何度も一人で登山しているはずなんだが」
「……手に負えない魔物に襲われているとか?」
「いや、この山はほとんど魔物なんて出ない。出たとしても臆病な魔物ばかりで、手を出さない限りは攻撃してこない。たとえ攻撃してきても、逃げれば追ってはこないはずなんだ」
心配そうな顔をするローにつられてメルクも嫌な予感が頭を過ぎる。気付けばうなじの辺りがヒリヒリと痛む。前世から嫌なことが起こる前触れだ。こうなった時は、大抵良くないことが起こるのだ。
しかし冷静に考えて、この山に危険な魔物なんていないのだ。メルクの直感だって外れはするし、きっと考えすぎだろう。
どうせガナンのことだ。何か他のことに夢中になってしまい、メルクと狩り勝負していることを忘れてしまっているのだろう。あの少年エルフには往々にしてそういうところがあった。
「もう少し待とう。あと四半刻待って戻ってこなければ、探しに行く」
「うん」
そして四半刻が過ぎたが、ついにガナンは戻ってこなかった。さすがにこれはおかしい。
「妙だな。いくら感覚的に時間が分からなくとも、里の鐘の音は聞こえたはずだ。どこかで動けなくなっているかもしれないな……」
「探しに行く?」
「ああ。半時探して見つけ出せなかったときは、大人たちに連絡しよう」
「うん」
メルクは木の棒の先に獲物たちを縄で括りつけて担ぎ、反対の手でローの手を握る。
「はぐれたら面倒だ。私の手を離すなよ」
「うん……ガナン兄ちゃーんっ!」
「ガナーンっ! 出てこーいっ!」
とりあえず二人は、狩りが始まるとともにガナンが駆け出して行った方へ向かう。大きな声を出して歩く二人に、山の動物たちが驚いて逃げていくが頓着してはいられない。むしろ、この山には大声で逃げ出していく生き物ばかりで助かったと言えるかもしれない。
「おい、どうしたんだ?」
声を上げながら山を歩いていると、見知ったエルフの里の狩人が怪訝そうな顔で現れた。背負い籠を担ぎ、手には弓矢を持っている。
「あ、おじさん。ガナンのやつ見なかった? あいつ、約束の時間にも帰ってこないんだ」
「ガナン? あの坊主なら獲物を狩りやすいところを教えて欲しいっていうから、レダの木が群生しているところを教えてやったぞ。まぁ、他の場所より動物が見つけやすいだけで、狩りやすいってこともないがな」
「レダの木?」
「幹が赤い木で葉っぱが針の形で生えておる。そのおかげで樹上の動物が見つけやすいんだ」
「……あの木か。わかった、ありがとうっ! あ、お礼にこれあげる」
「え?」
持っていて邪魔になった青い鳥と『角兎』を狩人の背負い籠の中に突っ込んだ。惜しいが、ガナンの安否には代えられない。
「い、いいのか?」
「うん。血抜きまで済ませてるからあとは好きにして」
「そ、そうか、ありがたい。わしはこの辺にしばらくおるから、何かあれば頼ってくれ」
「うん、それじゃあっ!」
狩人から離れた所で、ローが小さく「お肉……」と残念そうに呟いた。やはり、今晩はご馳走を期待していたのだろう。
「悪いな。また今度たらふく食わせてやるから、今日は我慢してくれ」
「うん……ガナン兄ちゃんには代えられないもんね」
聞き分けよく納得してくれたローに感謝しつつ、レダの木の群生林へと急いだ。
そしてそこで二人は、血塗れで襤褸切れのように転がる――ガナンの姿を見つけたのだった。