第七十七話 居候
少しずつ日が傾いてきた時分。
アスタードに案内されてメルクがやって来たのは、話に聞いていた通りログホルト市の外れであった。
そこには雑草が生い茂る空き地の中央に、ポツンと小さな一軒家が建っている。そこがアスタードの現在の住まいらしい。
「そうだ。ちょっと止まって下さい」
敷地内に踏み出そうとしたメルクを制し、アスタードが掌を翳してきた。そこから小さな魔力が生み出されメルクの身体を包んだ。
「『承認』」
呟かれた言葉は、どうやら魔法で立ち入りが制限されているこの敷地に入る許可を与えるものらしい。
何かを潜り抜けるような感覚があり、メルクとアスタードは無事に敷地内に立ち入った。
「えーとエステ――いえ、メルクでしたか? 当然ですが、人前ではそう呼んだ方が良いのでしょうね?」
「ああ。俺も――いや、人前では私も自分のことを私だと言うしな。さすがにこんな美少女が、野郎の口調をしてたら違和感を持たれるだろう?」
「美少女……自分で言いますか。僕には今の君の方に違和感しかないのですが」
「ほっとけ。けど、今は別に「エステルト」って呼んでもいいぞ? 一人暮らしなんだろう?」
メルクのその問い掛けに、アスタードは何とも言い辛そうに視線を逸らした。そして結局何も言わずに家のドアをリズミカルに三度叩く。
(いや、誰もいないのにドアなんて叩いたところで――)
「はーい」
しかし中から明るい女性の声が響き、トタトタと軽い足音が近づいてくる。
そして内側からドアが開かれ、驚いたことに中から二十代前半と思しき年頃の娘が現れた。
腰まで伸びた髪は少し薄い灰色をしており、瞳も似たような鈍色をしている。
全体的に落ち着いた雰囲気の色合いだが、当の本人が浮かべる表情は明るく見ただけで活発な娘なのだろうと察せられる。何だか誰かに似ているような気がした。
「おかえりなさい、大賢者様――あれ、そちらの方は?」
笑顔でアスタードを出迎えたその女性は、メルクの方を見やり不思議そうな顔を浮かべる。
「あ……この娘はエス……メルクと言う僕の古い友人です」
「え? 友人?」
アスタードのやや苦しい紹介に、案の定女性は不思議そうな表情のまま首を傾げた。だが、メルクにしてもそれ以上誤魔化しようがないため、彼に追従するように苦笑を浮かべて会釈する。
「ああ、これでもアスタードの友人なんだ。えーと、あなたは?」
「わ、私はケーナと言う者です。メルクさんですね? 初めまして」
「ああ――それでケーナさんは、この男とどういう関係なんだ?」
(よもや、アスタードの伴侶と言うわけではないだろうな?)
一瞬頭を掠めたその可能性に、メルクは内心で首を振る。
なにせ、アスタードはいくら若く見えると言っても三十五にはなる。目の前の娘とは十以上離れているだろう。さすがにそれほどの歳の差で結婚とは……羨ましすぎる。彼女は胸もそれなりにあるし、そんな事実は認められない。
そう、断じてだ。
「私と大賢者様の関係ですか? えーとそれは……」
少し恥ずかしそうに俯いたケーナと言う娘の反応に、メルクはキッとなってアスタードの方を睨み付けた。
その視線にたじろいだように、アスタードは大袈裟に首を横に振る。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ! 君が邪推するような関係ではありません。彼女はこの家の傍で倒れていたのを、僕が介抱したまでです。何でも空腹で行き倒れていたのだとか」
「はぁ?」
「お、お恥ずかしいです……」
ついに両方の手で顔を隠したところを見るに、アスタードの言は本当なのだろう。何とも紛らわしい反応である。
「家の傍で行き倒れていたのを介抱したって――お前、良いのか?」
「うん? 何がです?」
「あ……いや」
フォナン伯爵とやらに研究の成果が狙われているのだ。
こんな素性の知れない人間を家に置いておくなんて、どうにもアスタードらしくないと思ったのだが、当の本人はメルクを怪訝そうに見やるだけだ。ケーナと言う娘についてなんら含むところがないことが窺える。
「とにかく中に入って下さい。ケーナ。僕たちは奥の部屋にいますので、近づかないようにお願いします」
「え? 奥の部屋って――あ、はい……」
メルクを連れて家の中に入ったアスタードは、ケーナに向かって淡々と言った。その言葉に少し戸惑ったような顔をした後、ケーナは小さく頷く。
「メルク、こっちです」
「ああ」
アスタードに言われてメルクもその後をついて行けば――背後から強い視線を感じた。
「――っ?」
咄嗟に振り向けば、当然ではあるがケーナが二人を見送っていた。そして突然勢いよく振り向いたメルクに対し、驚いた顔をして深々と頭を下げてくる。メルクも呆気にとられながら小さく頷いた。
(……なんなんだ?)
「どうかしましたか?」
「あ……いや。行こう」
立ち止まったメルクは促され、再びアスタードと共に奥へ行く。今度は視線を感じることはなかった。だがメルクが振り向いた瞬間のケーナのあの顔――。
(間違いなく、こちらを睨み付けていたな……)
「この部屋には防音の魔法を掛けていますので、思う存分内緒話ができますよ」
「そうか」
案内された奥の部屋は、それほど大きくはなかった。いや、それなりの広さはあるのだろうが、至る所に研究用と思われる書類や得体の知れない素材などが置いているのでそう感じるのだろう。
おそらくここはアスタードの研究室だ。
「本当の研究室はスフィニア王国にあるのでここには大したものはありませんが、『仇為す者』の研究資料はここに複数置いています。なので基本的に他人は近づけませんが――まぁ君なら入れてもいいでしょう」
「あのケーナって娘にも入らせないのか?」
「当然でしょう。ケーナにもこの部屋の立ち入りは禁止しています」
「……おい、アスタード。あのケーナって娘は何なんだ? お前の事だ、本当にただ行き倒れていた娘を介抱したってわけじゃないんだろう?」
先ほどの事もあって改めて問いかけたメルクに、アスタードはわざとらしく不思議そうな顔をした。
「はて? 君の言う事が良く分かりませんね。僕が困っている人を介抱するのがそんなにおかしいですか?」
「いや、おかしくはない。だが、彼女は見たところもう元気なのだろう? いつまでも家に置いておく必要はないはずだ」
「いえいえ。彼女の方が「助けてもらった御礼にお手伝いをしたい」と言い出したんです。どうせ僕はこの家にあまり帰りませんし、「それなら」と、この家の管理を任せたんですよ」
「はぁ?」
メルクはあっけらかんと言い放ったアスタードに思わず眉根を寄せてしまう。
「そんなに怖い顔しないでください。可愛い顔が台無しですよ?」
「あのなぁ……分かっているのか? 今お前は『仇為す者』の研究をしてるんだぞ? もしかしたら彼女は、その研究を探るために雇われた密偵かもしれない」
「ケーナがですか?」
まるでその考えには至らなかったと言わんばかりに驚いた表情を作るアスタード。しかし、そんなはすがないのだ。
メルクよりもずっと頭の回転が早く、大賢者とまで呼ばれるようなこの男が、その可能性に思い至らないわけがないのだ。
「彼女は大丈夫ですよ。しばらく過ごしましたが、かなりのドジで間が抜けているところがあります。あの娘に密偵なんて務まらないでしょう」
「演技かもしれないだろうがっ!」
「まぁまぁ。それよりも気になるのは、フォナン伯爵一派にあの娘が襲われないかと言う事ですよ。僕の家で過ごしている以上、人質として狙われる可能性が高い」
「……」
本気で彼女の素性を疑うこちらに対し、アスタードはむしろ彼女の身の安全を心配し始めた。さすがにこれには絶句する。
「お、お前……もしかしてあの娘に気があるとか?」
「へ? 何言ってるんですか。彼女と僕、どれだけ年が離れていると思っているんです?」
「いや、そうだが……」
メルクの言葉に淡々と否定して見せたアスタード。そもそも彼は聖女であるイリエム一筋の男だった。メルクもそれが分かっていて、ただ確認のために聞いてみただけだ。
「フォナン伯爵が僕の研究を狙っていると知っていたら、彼女を介抱せず他人に任せたんですが……伯爵の手の者が襲ってきたのは、彼女が家で暮らすようになったからなんですよ。弱りました」
「今からでもどこかにやったらどうだ?」
「すでにケーナの存在は向こうにも知られているでしょう。今さらこの家以上に安全な場所をすぐには見つけられません。それ以上に僕の手元から離れたことで危険が増す可能性もある」
「だが、いつまでも家に閉じ込めてはおけないだろう?」
「彼女が外出する際は、使い魔に護衛をしてもらっています。ただ君の言うように、それをいつまでも続けるのは不可能だ……やはり伯爵と決着をつける必要がありますね」
正直なところ、メルクとしてはケーナの疑わしさを拭いきれていない。しかしアスタードが一切彼女を疑う素振りを見せないのには、何か理由があるはずなのだ。
ケーナは信じられないが、彼女を信用しているように思えるアスタードのことは信頼している。だから彼女に対する不信は、一時棚上げにすることにした。
「ふぅ――それで? そろそろその伯爵について教えてくれ」
一度息を吐き出し腹を括ると、メルクは改めて問いかけた。




