第六十九話 再会の大賢者
倒した『暴鬼人』から真剣を引き抜き、メルクは素早く残った『剛鬼人』の方へ身体を向けた。一体を倒して気が緩んだところに追撃が来るかもしれないと考えたからだ。
しかし『剛鬼人』は表情一つ変えることなく『暴鬼人』の亡骸を一瞥した後、メルクと階段の傍から離れた。
まるでメルクに対し一切の興味を無くし、「好きにしろ」と言わんばかりの視線の外し方だ。
「……通っていいのか?」
思わず問いかけたメルクに、当然だが反応はない。だが同時に戦意も感じない事から、メルクは両手に武器を構えて警戒しつつも『剛鬼人』の横を通って階段を下りた。
どうやら追いかけてくる気配もなさそうだ。
(本当に奇妙な事だ。一体、どうなっているんだ?)
この訳の分からない現象には首を傾げざるを得ないが、戦わずにすむのであれば無理して戦う必要もあるまい。
二体まとめて相手にするつもりだったとはいえ、正直一体でもやはり際どかった。連戦ともなるとさすがに消耗も激しくなるだろう。
五階層に新たなる敵が潜んでいないとも限らないのだ。余力は残しておいた方がいい。
(そう言えば、倒した『暴鬼人』は復活するのだろうか?)
迷宮で倒された魔物は再び時間を置いて生み出される。基本的に強い魔物ほど復活には時間がかかるため、仮に『暴鬼人』が新たに生まれるとしても一日から二日は時間がかかるはずだ。
そのためメルクがこの迷宮を出るまでには復活することはないと見ていい。いや、そもそも復活するかどうかさえ定かではない。
『鬼人』しか出現しないとされるこの迷宮で現れた『暴鬼人』や『剛鬼人』は、おそらくはなんらかの突然変異やイレギュラーだと考えられる。
もし、原種の『鬼人』から『暴鬼人』へと至ったのであれば、再び生み出されるのは『鬼人』であるはずだ。
元々この『試練迷宮』に出現する魔物やその定数は決められているため、イレギュラーな魔物が倒されても通常は復活などしないのである。詳しい仕組みは良く分かっていないが、それが迷宮内での常識として知られていた。
メルクも数多の迷宮へ挑戦してきた経験から、この説の信憑性を実感している。つまり『暴鬼人』そのものが再び生み出されると言う事はないはずだ。
「あの『暴鬼人』や『剛鬼人』が突然変異の産物だったとして、なんであんな見張りのような真似を……駄目だ、考えても分からんな」
この謎を解決するには、とにかく事情を知っていそうなアスタードに直接聞くのが一番手っ取り早いだろう。
メルクは淡々と階段を下り続け、そして五階層へと足を踏み入れた。っと、その瞬間、こちらを圧迫してくるかのような濃密な魔力が襲い掛かってくる。
その圧力だけで小物であれば圧し潰せてしまえそうな強い魔力の奔流。メルクは自身を覆う魔力量を増やすことでそれを受け流す。
所詮これは牽制のコケ脅しでしかないはずだ。これだけ強い魔力を垂れ流しにし続ければ、術者の方が無事では済まないのだ。メルクは内心で顔を顰めながらも、涼し気な顔で暫くの間その場に立っていた。
「……どうやら、偶然この階層に下りてきたわけではなさそうだ」
そして案の定、聞き覚えのある声が響いたと同時、こちらを圧殺せんとばかりにかけられていた魔力の流れが引っ込んだ。
そしてまるで、空間から生み出されたかのように黒装束の男が突如として現れる。
黒いフード付きの外套を纏い、目深にそのフードを被っている。表情を伺い知ることはできないため、初見であれば間違いなく不気味に感じるだろう。
しかし、メルクはその姿を見て小さく笑う。
全く変わらないかつての仲間の格好に、思わず笑ってしまったのだ。
「よもやこれほど若い娘に、『橙級』の魔物が討たれてしまうとは……存外、フォナン伯爵も侮れませんねぇ」
メルクの笑みは小さすぎて見えなかったのか、目の前の黒装束は淡々とした調子で呟く。そして懐から見覚えのある杖を取り出したあたり、どうやらこちらと戦う気満々のようである。
どのようにして『橙級』を従えていたのかは知らないが、この分ならこの男が『剛鬼人』たちに五階層へ続く道の見張りを行わせていたのは間違いなさそうだ。通常であればそんな事は不可能であるため、すぐには分からないがおそらくはからくりがあるのだろう。
しかしそんな事よりも、メルクには真っ先に考えなければならないことがあった。
「あー、えっと……まぁ、そうだな――」
久しぶりの再会だが、実際に会った時どう話しかけるかを今の今まで全く考えてはいなかった。実に間抜けではあるが、何と声を掛けていいのかメルクは今さらながらに考える。そんな彼女を見て、目の前の不審者のような男は不信感を露に視線を送って来た。それも仕方ないだろう。
今は彼女も十分に不審だ。
「まぁ、いっか……よぉ、大賢者。お前、今さらこんな低級な迷宮に潜って一体こそこそと何をやってたんだ?」
結局、考えるだけ無駄だろうという結論を出したメルクは、武器を納めると片手を上げて昔のように呼び掛けてみた。
呼びかけられた大賢者――アスタードは不愉快そうにフードの下の眉根を寄せる。
「おや、ご存じのはずでは? だからこそあなたは、僕からその情報を奪い取るためにフォナン伯爵から遣わされた……しらばっくれても無駄ですよ」
「フォナン伯爵? 知らないな」
「あなたの雇い主です。知らないはずはないでしょう?」
様子を見るにアスタードは、メルクをフォナン伯爵と言う人物に雇われた刺客とでも勘違いしているようだ。面倒だが彼と真面に話をするためには、まずはその誤解を解かなければなるまい。
メルクは息を吐き出しながら、軽い足取りでアスタードへと歩き寄った。当然彼は警戒するように杖をメルクへと突き付けた。
しかし、それでもメルクは止まらない。
「あー……なぁ、アスタード。私は別に――俺は別に、刺客が狙っているような情報をお前に聞きたいわけじゃないんだ。俺がお前に聞きたいことはたくさんあるが、突き詰めてみればたった一つだ。そういや俺は、そのためにわざわざこんな迷宮に足を運んだんだっけか?」
「止まりなさい。あなた、なにを――」
「なぁ? なんでだ? なんで『一陣の風』は解散した? なぜ解散しないといけなかったんだ?」
「――っ?」
メルクはアスタードの翳す杖の先端が、自分の胸に当たる距離でようやく立ち止まった。胸を杖の先端に押し付ける格好になりながら、フードの下に隠された彼の瞳を見上げる。
息を呑む気配があった。
「……あなたには関係ないことだ」
「――あぁ?」
メルクの翡翠色の瞳から視線を逸らしそう言ったアスタード。その言い草が癇に障り、彼の外套の襟元を掴んで引き寄せ、無理やり顔をこちらへ近づけさせる。
「関係ないだと? ふざけるなよ小僧。『一陣の風』は俺が名付けた、俺のパーティーだ」
「な、なにを言ってるんですか?」
「ああ、たしかに。たしかに勇者の奴がどこまでも引っ張ってくれた。聖女がいつだって支えてくれていた。パーティーをずっと守り続けていたのは他ならないお前だったよ。そんで、そんなかじゃあ俺は足手纏いだったかもしれない。けどなぁ『一陣の風』を作ったのは間違いなく俺なんだよ。ならあるだろうがっ。俺にだって、パーティー解散の理由を問う権利ってもんがあるだろうがよぉっ!」
ほとんど八つ当たりのように声を荒らげたメルクに対しアスタードは――アスタードは驚愕したように目を見開いた。
「――エス……ト」
そして声にならない擦れた音で誰かの名を呼んだ。
それは、メルクが前世で一番聞いた人間の名前――かつての自分の名前だったように思えた。いや、きっとそうに違いないだろう。
この短いやり取りで、アスタードはメルクの中のエステルトをたしかに感じ取ったのだ。




