第六十七話 暴鬼人と剛鬼人
(冗談だろう? なんだってこんなところに、『橙級』がいるんだ?)
ゆっくりと近づくこちらに、睥睨するような視線を向けてくる『鬼人』たちを見やりながらメルクは内心で首を傾げた。
階段の入口を挟むようにして立つ二体の魔物。
それはとてもこの迷宮で出現してよい魔物ではなかった。
『暴鬼人』と『剛鬼人』――どちらもあの『炎翼狼』と同列とされる『橙級』である。
繰り返しになるが、『緑級』である『鬼人』しかいないとされるこの迷宮で出現するには、あまりにも場違いな存在だ。と言うよりこんな上級の魔物が出るのであれば、ギルドは即刻通達を出して立入る者に周知しなければなるまい。
腕試しのつもりで不用意に入ったことによって、犠牲者が出る可能性もあるのだ。メルクも即座に引き返し、迷宮前に立っていた男に告げるべきか迷った。
しかし、ここであることに気付く。
(――なぜ、襲ってこないんだ?)
お互いの姿が視認可能な位置に入り、すでにそこからかなり距離を詰めた。それでも並び立つ『鬼人』たちは動こうとしない。
硬い鎧のような青い皮膚に覆われ、頭部から大きな角を生やした『剛鬼人』。この魔物は理性的なところがあり、即座に攻撃に移らないのはまだ納得できる。
だが、階段の入口を挟んで『剛鬼人』の隣に立つ『暴鬼人』が未だに微動だにしないのが気になった。
『暴鬼人』は通常の『鬼人』よりも濃ゆい赤色の肌を持ち、圧倒的な膂力に加えて鋭い牙と爪を持っている事で知られている。
だがそれ以上に有名なのが、その凶暴性である。
自身の縄張りを侵した者には容赦なく襲い掛かり、たとえ相手が弱者であろうと格上であろうと同族であろうと――どちらかが滅びるまで戦闘を続けるのだ。
これほど近づいて、『暴鬼人』の領域に入っていないことはあるまい。本来であれば目が合っただけでも特攻を仕掛けてくるような気性なのだ。
違和感を覚えながらも様子を見るためにさらに近づけば、『剛鬼人』が握っていた剣を階段の入口に対して塞ぐように翳す。同じく『暴鬼人』も同様に剣を翳した。それは明らかに五階層へ行かせまいとするような動作だ。まるで誰かに指示されているかのような機械的な動きだった。
(あの剣はなんだ? この迷宮の剣は既に取りつくされているはずだ。見たところ、何の変哲もないような店売りの剣に見えるし……なんだ? 一体何が起こっているんだ?)
何から何まで奇妙な印象を受ける。
この状況から考えられるのは、五階層にいる者――つまりアスタードがこの『鬼人』たちを使役して見張りをさせている可能性である。そう言えば『鬼人』たちが持っている剣も店売りの剣のようで、「アスタードが剣を買っていった」と言う武器屋の店主の言葉とも合致する。
やはり、これはアスタードの仕業なのだろうか?
(いや、それは無理がある)
しかしメルクは、即座にこの可能性を切り捨てた。
ありえないのだ。『橙級』を使役するなど。
なるほど。大賢者とも呼ばれ、たしかな実力と魔法の腕を持つアスタードであれば、『緑級』である『鬼人』の使役も可能だろう。
だがギルドが公式に掲げる脅威度において、序列二番目とされる『橙級』を使役するなどどんな者にも不可能だ。
優れた魔法使いであっても、魔物を使役するにはその使役する魔物よりも数倍実力差がなければ無理だとされている。つまり『橙級』よりも数倍の実力はないといけないのだ。
有り体に言ってしまえば、だ。
『橙級』を使役できるのであれば、単独で『仇為す者』を打倒し得るのである。それを考えてみれば、荒唐無稽さも伝わりやすいと言うものだ。
アスタードが使役しているのではないとすると、一体目の前の『橙級』の『鬼人』たちは何なのだろうか? どうにも判断がつかない。
近づくメルクを前に威嚇や牽制をしてくる程度で、襲い掛かってこようとはしないのだ。これは明らかに彼ら本来の気性からはかけ離れている。何者かに使役されているとしか思えないのだが――。
(……飛び込んでみるか?)
どのみち、このままでは埒が明かない。
おそらく、アスタードは五階層にいるのは間違いないだろうし、彼に会ってこの状況を含めて尋ねればいい。
もしかしたらこのまま反応せず、素通りさせてくれるかもしれない。
メルクは身体を覆う魔力に硬化を掛け直し、二体の『鬼人』が待ち受ける階段へぎりぎりまで近寄った。そして一気に足の下から魔力を放出し、前へ跳ぶ。
すると、今まで階段に剣を翳す以外微動だにしていなかった二体のうち、青い皮膚を持つ『剛鬼人』が俊敏な動きで階段を塞ぐ。
「どけっ」
メルクは素早く木の棒を抜いて硬化させると、それを『剛鬼人』に振り下ろした。剛鬼人も持っていた剣で応戦するが、メルクの一撃によってその剣は呆気なく砕け折れる。
「てぁっ!」
飛んでいく折れた刀身を目の端で捉えながら追撃を加えれば、『剛鬼人』は今度は左腕で木の棒を受け止める。
驚くべきことに大きな音が響いただけで、『剛鬼人』の腕が折れることはない。硬化されたメルクの木の棒を受けても動じた様子を見せず、反対に右の拳を構えるのが見えた。
「ちっ」
メルクはそれを認めると、自分から後ろに飛んで後方へと下がった。硬化した木の棒を受け止めた『剛鬼人』の拳であれば、真面に喰らえばこちらの魔力硬化を抜いてくるかもしれない。いや、確実に抜いてくるだろう。
「硬いな。やはり本物の『剛鬼人』か……」
今の攻防によって目の前の魔物が『剛鬼人』であることは疑いようもない。姿だけ『剛鬼人』に擬態した低級の魔物という可能性も、これによって消滅したことになる――もっとも感じる魔力の気配から、最初からその線は薄いと思っていたが。
(つまりこれは、一人で二体の『橙級』を相手取らないといけないってことか……厳しいな)
もちろん、前世を含めてそんな経験は皆無だ。今世では『炎翼狼』を一人で一体倒した程度であるし、前世では強敵と対峙した時にはいつだって仲間がいた。一人で『橙級』を二体も相手取るのは正真正銘初めてであるが、メルクの口の端には笑みが浮かぶ。
(へっ、おもしろい。今の実力を確かめるいい機会だ。全力の本気をお見舞いしてやる)
こちらを退けた後、攻撃を仕掛けてくることなくその場に佇んでいる『剛鬼人』と『暴鬼人』。不自然にも未だ殺気と呼べるものを彼らから感じないが、だからと言って生半可な気持ちで掛かればやられるのはこちらだ。
メルクは木の棒と共に、武器屋で買ったばかりの真剣を構えた。




