第六十六話 試練迷宮
メルクは迷宮の入口で番をしていた、ギルド職員らしき男から許可を貰い迷宮に足を踏み入れる。
そしてしばらく探索し、前世で何度も訪れたその迷宮の一階層が、以前と変わらない姿であったことに安堵した。この分なら出現する魔物も魔物の強さも変わっていないに違いない。無論、罠の類もだ。
(……しかし、変わってないなら何故、大賢者はこの迷宮にいるんだ?)
大賢者と呼ばれるようになって今さらとも思えるアスタードの行動が理解できないながらも、メルクは迷宮内の探索を続ける。
『試練迷宮』の一階層はそれなりに広く、魔物と戦闘しながら端から端まで歩けば半刻ほどはかかる。だが遮るものが一切ない平面の光景が続いているので見通しはよく利く。辺りを見渡してみたが、どうやらここにアスタードはいないらしい。と言うよりも、人間の気配や姿すら無さそうだった。
(下に降りるか……)
気配を殺し、周辺にいる魔物に気付かれないよう一階層の中央付近にあった階段を下りる。すると四、五十段の階段を下りればすぐに二階層だ。
二階層も一階層と同じようにただっぴろい空間が広がっているだけだが、あいにくここは戦闘を行わずに通り抜けることはできなさそうだ。
なにせメルクが降りている階段の一番下で、二、三体の魔物が待ち受けているのだ。
人型で、特徴的な赤みがかった肌に頭部から生えた一つの角――『鬼人』と呼ばれる魔物である。
大きさは一般的な人間の大人の肩くらいまでしかなく、人と比べれば小柄だ。
しかし筋肉に覆われた太い腕と足を持つことから分かるように、なかなか力が強い。鍛えている者でなければ一対一でも苦戦を強いられる相手である。それ故、ギルドが掲げている危険度では『剛猪』と同じく『緑級』とされていた。
(……面倒だな)
もちろん前世で嫌と言うほど対峙し、その尽くを打倒して来たメルクにとっては取るに足らない相手だ。
だがそれが分かっているからこそ、今世で初めて戦うにもかかわらず辟易としてしまった。気分はすでにお腹いっぱいである。
『ギャギャギャっ』
『ギョギョっ』
階段を下りてきたメルクに対し、待ちきれないと言わないばかりに階段を駆け上がってくる『鬼人』たち。
メルクは木の棒を構えると馬鹿正直に真正面から躍りかかって来た『鬼人』にそれを突き入れた。
『グェっ』
『ガァっ?』
木の棒により鳩尾を突かれた『鬼人』は階段からもんどりうって転がり、登って来ていた他の『鬼人』を巻き込んで階下まで落ちていく。高所から勢いよく落ちたためか、それだけで二体の『鬼人』は立ち上がる事もできずに這い蹲っている。
残りは一体だ。
『グォォっ!』
「どうやらこの階にもいないようだな……まぁ、いるとすれば一番下か」
『ゲェ?』
殴り掛かって来た『鬼人』を視線も向けずに木の棒で吹き飛ばし、メルクはざっと周囲を見渡した。
しかし――いや案の定、アスタードの姿はなさそうだ。
メルクの姿を発見し次々近づいてくる『鬼人』たちを薙ぎ払いながら、今度は端の方にある三階層へ続く階段を目指す。
階段に辿り着くまでに、すでに十体以上の『鬼人』を殺さずにあしらっている。
殺さない理由としては、『試練迷宮』は魔物の定数が決まっているためだ。
つまり殺したところですぐに新しい『鬼人』が迷宮によって生み出されるため、適度に痛めつけて放置しておいた方が、結果的には効率が良いとされている。
そのままにしていれば『鬼人』の傷はもちろん治るが、戦闘ができるようになるまでしばらく時間がかかる。傷が癒える時間は、昔のままであれば迷宮が『鬼人』を生み出すよりもずっと長い。
要するに手あたり次第に殺してしまうよりも、重傷を負わせて放置した方が戦闘回数は減ることになるのだ。
それが分かっているため殺さないように加減して傷つけているのだが、その作業もなかなか難しい。木の棒を持ってきて正解だったかもしれない。
「……しかし、相変わらずここには『鬼人』しかいないな」
三階層へと続く階段を下りていたメルクは、先ほどと同じように階下で待ち受けている『鬼人』を見て思わず独りごちた。
この『試練迷宮』は、『鬼人』しか魔物が出現しない事でも有名だ。
彼らはさまざまな派生種族を持っており、下は『犬鬼人』のような『青級』から上は『赤級』とされる『巨鬼人』がいる。どのようにして『鬼人』の派生種族が生まれるかは明らかではないが、この迷宮においては原種とされる『鬼人』しかいない。
それ故に『青級』の魔物を倒すことに慣れたものや、まだ上級の魔物と対峙する自信がない冒険者たちにとってはうってつけの場所であった。
この迷宮で戦い方を学び、自分なりの戦術を会得する者もメルクがエステルトとして活躍していた当時は多かった記憶がある。
かく言うエステルトだってここで技を磨いたものだ。
魔法の才能など欠片もなく、自分が有している魔力の感覚さえ掴めない剣一辺倒だった一介の冒険者。
当然、今でこそ簡単に倒せる『鬼人』相手にも苦戦し、殺されかけたり逃げ出したりを散々繰り返した。今にして思えば、あんな無茶をやり続けてよくもまぁ「剣聖」なんて大層な名前で呼ばれるまでになったものだ。
かつての自分が今のメルクを見れば何というだろうか? 少し想像して吹き出しそうになったので考えを辞めた。
その代わりに傷ついた『鬼人』たちを量産しながら三階層も踏破し、メルクはあっさりと四階層へと歩を進める。
所要時間はわずか四半刻。この記録は当然、駆け出し冒険者の中では断トツである。いや、それどころか『試練迷宮』に挑戦した者の中でも単独では文句なしのトップだったに違いない。
(まぁ、さすがに駆け出し冒険者を名乗るのは図々しいか)
軽く自嘲を浮かべ、五階層へと続く階段を目指し――気付いた。
階段の傍に何かいるのだ。
(この気配……まさか?)
それは駆け出し冒険者御用達とも揶揄される『試練迷宮』においてあまりにも異質な気配だった。
感じる魔力も発せられる威圧感も並みの魔物ではない。ともすれば最近戦った『黄級』である『土竜』よりもまだ強い。
できるだけ気配を殺し階段へと近づくが、『試練迷宮』の構造は基本的に一階層と同じく遮るものが何もない平面だ。
当然、階段の傍にいた「彼ら」はメルクに気付いたように視線を向けてくる。
五階層へと続く階段の両側に立つ、原種の『鬼人』に少しだけ似た姿の二体の魔物。
だがその二体はメルクよりも二回り以上大きく、これまで迷宮の中で戦って来た『鬼人』とは明らかに一線を画していてた。




