第六十五話 迷宮問答
この世界には、『迷宮』と呼ばれるものがある。
それはこの世に存在しない素材で造られた、塔であり神殿であり遺跡であり――『迷宮』とはおよそ現代の生き物の力では到底造り出すことが不可能であるとされる建物の総称のことだ。
いつ頃に建造されたのかは誰も知らず、大陸に残る最古の記録書にさえ『建設者不明』と記されている。
迷宮の内部には倒しても倒しても次々と現れる無数の魔物が存在し、侵入者の行く手を阻むことで知られていた。
魔物の手強さは迷宮の種類によって異なり、さらに同じ迷宮内でも階層や位置によっても多様だ。ただ傾向として、迷宮の奥に行けば行くほど――入口から内部へ進めば進むほど現れる魔物は強くなるとされている。
当然、迷宮の探索は危険であり、熟練の冒険者であっても不注意やふとした弾み、あるいは絶望的な力の差がある魔物の存在によって命を落とすこともある。大陸の中には、迷宮への立ち入りを禁止する国すらあるほどだ。
だがそれでも、人々は迷宮に入ることやめようとはしない。
迷宮には数多くの秘宝や財宝、価値のある魔石や特殊効果の付与された武器の類があり、欲してやまないものがそこにはあるかもしれないからだ。
そのため、大陸中にあるほとんどの迷宮には今日も大勢の挑戦者がいるはずだが――ことメルクが向かう『試練迷宮』は例外とされていた。
(『試練迷宮』……あの大賢者、今さらあんな迷宮に何の用があって……)
ログホルト市の外れに位置する場所にある、地下遺跡型の迷宮がそれだ。しかしそこは階層がわずかに五つしか存在せず、現れる魔物も一種類だけ。おまけに迷宮の武器や財宝などは既に取りつくされており、定期的に出現する魔石しか採るものがないような有様だ。
ここに訪れる者はよっぽどの物好きか、最近戦いを覚えて腕試しをしたい者か――ともかく、他の迷宮のように間違っても一攫千金や有用な武器を求めて来る者はいない。
それ故に、誰が呼んだか『試練迷宮』。
単純に腕試しを目的とした迷宮であるというのが一般的な認識だ。
無論、各国にある迷宮と比べても人気はなかった。現に迷宮の周囲にはほとんど人がおらず、場違いなスーツ姿の男が一人、入り口付近で退屈そうに立っているだけだ。
「本当にこんなところにいるのか?」
メルクは不思議に思いながらも、地下迷宮へ足を踏み入れようとした。っと、
「ああ、ちょっとちょっと。お姉さん、どうしたんだい?」
入り口付近にいたスーツ姿の男が、慌てたようにメルクの前に立ちはだかった。平凡な顔つきの男だが、メルクの前に移動した足運びは中々のものだ。そしてこちらを値踏みするような鋭い眼差しも、堅気のそれではなかった。
「……どうしたとは?」
「いやいや。ここは迷宮だよ? これ以上は行けないよ」
「うん? 何故だ。『試練迷宮』は立入りを制限されるような場所ではないだろう?」
男の言葉に疑問を感じ、メルクは分かりやすく首を傾げた。
メルクが知る限り迷宮とは、誰もが自己責任の元侵入が許可されていたはずだ。もちろん、例外的に立ち入りが禁止、あるいは制限されている迷宮もあったが、ほとんどが広く一般に開かれていた。
いわんや大陸で一番小規模の迷宮と呼ばれる『試練迷宮』だ。メルクもエステルトであった前世で修練のため何度も訪れた場所である。その経験から立ち入りを制限されるとは思えず、立ちはだかる男が怪しく見えてしまった。
「いやいや。十年前の大惨事で、ほとんどの国で迷宮の探索は『冒険業』に規定されたでしょうが。こんな小さな迷宮であっても、今は冒険者しか入れないんだよ」
「……大惨事? 『冒険業』?」
初めて聞く単語に、さらに眉根を寄せてしまうメルク。そんな彼女を見て、スーツ姿の男も困惑するように首を傾げた。
「なに、お姉さん知らないの? 『冒険業』って言うのは、原則冒険者のみが許されている独占行為だよ。例えばこの迷宮へ入るのもそうだし、冒険者ギルドで依頼を受ける行為や、受けた依頼を達成して報酬を得るのも『冒険業』とされてるんだ」
その呆れを多分に含んだ声音は、道理を知らないメルクを明らかに非難する色があった。どうやらそれは、割と有名な事らしい。
「冒険者のみが迷宮に入れる? そんな馬鹿なはずはない。貴族お抱えの騎士団や、国の兵士だってもちろん入れるんだろう? でなければ、各国から苦情が噴出するはずだ」
「いやいや、本当に十年前の大惨事を知らないのかい?」
「ああ、あいにく田舎者でな……十年前に何があったのか、良ければ教えてはもらえないだろうか?」
素直なメルクの問い掛けに、男は少しだけ肩を竦め息を吐き出してから語りだした。
「じゃあざっくり話すけど、十年前近く前に貧困に喘いでいたとある国が迷宮に騎士団を送り出したんだ。国の主要な兵力を派遣して、迷宮で価値ある物を総浚いしようと考えたのさ。しかし、真っ当な行軍や対人戦以外に不慣れだった騎士団は、魔物や迷宮の罠などによってほとんど壊滅――結果、二三人くらいしか無事に戻れなかったと聞いてるよ」
「それは……悲惨だな」
「ああ。だから『暗抗迷宮の大惨事』と呼ばれている」
「『暗抗迷宮』っ? じゃあその貧困の国と言うのはアーラタン王国か? 王国はどうなったんだ?」
「いやいや、なんで大惨事も知らないのに、『暗抗迷宮』は知ってるんだか……元々上層部の腐敗と農作物の不作が続いていたアーラタン王国はそれで致命的な打撃を受けてね。最早どうする事もできずにチュリセ帝国に呑み込まれたよ」
「そんな……」
男の言葉にメルクの脳裏に色んなことが駆け巡った。だが、今尋ねるべきは違う事だ。それに気になったことは、目の前の迷宮の中にいるはずの大賢者に聞けばいい。
メルクは無理やり話の軌道を元に戻した。
「……つまり、その大惨事によって冒険者以外が入るのは危ないということになったのか?」
「まぁそういことだね」
「それで国や貴族は納得したのか? だって兵士や騎士は迷宮に入れないわけだろう?」
エステルトであった当時は、貴族や王族が自分の領地にある迷宮に兵士を派遣し、定期的に財を得ていたはずだ。それを禁止されるとなると、大きな痛手となるはずだ。
「もちろん、この決まりには抜け穴があるんだ。集団を組んでいるうちの一人でも、冒険者証明書を持っていれば他が持っていなくても入れる」
「なに?」
「つまり、冒険者を一人雇えば騎士団でも入れると言う事さ。もちろん今でも貴族たちは、冒険者を雇って定期的に兵士や騎士団を迷宮に派遣しているよ」
「……それ、あんまり意味なくないか?」
今度はメルクの方が呆れてしまった。
「いやいや、意味はあったと思うよ。やはり迷宮に不慣れな騎士団の中に、冒険者試験をクリアした冒険者がついているだけで生存確率が随分と違うんだ。それに、以前は全く戦えない農民や平民でさえ自由に入れる迷宮もあったんだからね。彼らを締め出したことによって、無意味に迷宮で亡くなる者も大幅に減ったんだよ」
「そうなのか……まぁ、原則冒険者以外の立ち入りを禁じているのは理解した。そしてそれを見張るために、どうやらあなたが立っているらしいと言う事も」
メルクが冒険者試験に合格した際に『冒険業』とやらの説明があってもよさそうなものだが、あるいは伝える必要もないと考えられるほど周知の事なのだろう。
そう言えばヨナヒムも以前、「騎士よりも冒険者を目指す貴族も多い」と言っていた。単独で迷宮に入れない騎士よりも、迷宮で名を挙げる機会の多い冒険者になりたいという貴族が増えてもおかしな話ではないのかもしれない。
完全に納得したわけではないが、この時代では多くの国で基本的に冒険者のみが単独で迷宮探索を許されていることは分かった。
メルクは軽く頷く。
「そうかい? よかった。じゃあ、お引き取り願おうか」
そんなメルクに安堵した男へ、彼女は懐から取り出した冒険者証明書を提示した。
「いやいや――私も冒険者なんだ」




