第六十二話 いつかの声
「あ、メルク。遅かったわね」
宿の食堂に行くとトトアラが嬉しそうな顔で目立つように手を上げてきた。メルクも軽く手を上げて、彼女の伸ばした腕よりも強調されている胸に目をやりながら近づく。
「もう朝食は頼んだのか?」
「ええ。余計なお世話かとも思ったけど、時間かかりそうだからメルクの分も頼んじゃった」
「構わないさ。別に宿の朝食なんてどれも似たようなものだ」
「もう、それ言ったら宿の人に怒られるわよ」
苦笑顔のトトアラに窘められながら彼女と対面する席に着けば、間もなく朝食が運ばれてきた。
主食がパン、骨が抜かれた魚を副食のメインに置いた簡単な定食で、可もなく不可もなしといった見た目だ。食後のデザートとして小さな粒の果物が用意されているのは気が利いているのかもしれない。
「改めて、冒険者の世界へようこそ。おめでとう」
ちぎってパンを食べようとしたメルクはトトアラにそう声を掛けられ、口へ運んでいた手を止める。
「ありがとう、先輩……そう言えばトトアラは何等級なんだ?」
「四等級よ。ついでに言えばザァールは三等級ね」
「ふーむ。この時代の三等級がいても、やはり『黄級』は厳しいのか?」
最終試験で現れた『土竜』相手に、逃げを打つほかなかったトトアラやザァールを思い出して何気なく聞いた。
「そりゃあ、どの時代でも厳しいでしょ。あの『土竜』は『橙級」の『巨土竜』に近かった。もう少し小柄なら、並みの三等級が三人いれば倒せるはず。けどあのサイズとなると限りなく二等級に近い三等級でもなければ太刀打ちできないわ」
「四等級のトトアラは?」
「歯が立たないわね。私はもうすぐ三等級に上がれるはずだけど、それでもお話にならない」
「そういうものか」
トトアラの返答に納得しつつ、メルクはちぎったパンを頬張った。最近は狩った獲物の肉ばかりが腹を膨らませていたので、やはりこう言った食事は有難い。
「そう、そういうもの……だから私、すごく楽しみなんだ」
「うん?」
「冒険者になる前に、独力で『土竜』を倒したあなたが一体どんな存在になるのか。きっとこんなこと、勇者の弟子にだって無理だったと思うから」
「……」
たしかに、今の『暴火の一撃』ならいざ知らず、駆け出しの頃であれば彼らとて苦戦を強いられたはずだ。そんな相手に対して一人で完勝したこの少女がいったい何者なのか。
トトアラが不思議に思うのも無理ない事だろう。
何と答えていいか分からずトトアラの視線を避けるように黙々と料理を平らげるメルク。そんな彼女にトトアラの苦笑が聞こえ、探るような気配が引っ込んだ。
「十四歳かぁ。若いわね。あなたの活躍はきっと、今後数十年は続くんでしょうね」
「……かもな」
もっとも、メルクは長寿で知られるエルフ族だ。下手したら百数年……いや数百年まで現役の冒険者であり続けるのかもしれないが。
そう言えば、自分がエルフであることをギルドにもトトアラたちにも黙ったままだ。しかし今さら言ったところでどうなるとも思えない。気付かれたときに話せばいいと、メルクは簡単に考えた。
「ねぇ、パーティーを組む心当たりってあるの?」
「パーティーか……」
そんなメルクに、トトアラが興味津々と言った様子で聞いてくる。
その質問を受けて最初に以前の仲間たちの顔が思い浮かび、メルクは内心で首を振った。もう十五年も経つのだ。彼ら、『一陣の風』だってエステルトに代わる仲間を見つけたか、あるいは三人だけの戦い方と言う物を身に着けたはずだ。もしくは現役を退き各々好きな事をしているか……どちらにせよ、今さらメルクの出る幕はないだろう。
なら、最近知り合った冒険者たち――『暴火の一撃』はどうだろうか? 彼らは近距離の剣士と中距離の槍遣い、さらに後方支援の魔法使いがいてバランスはとれているが、治癒術師がいない。きっとメルクの需要はあるだろう。
だが――どうにも気乗りしない。
傍から見た時、彼らはすでに出来上がった連携を持っていた。『暴火の一撃』は各々の実力もさることながら、上手くバランスをとることで強さを増しているような気がする。
そこに、メルクが入ったらどうなるか……下手をすれば彼らの持つ強みを潰しかねない。それはメルクの本意ではなかった。
「――心当たりはないな」
少し考えてそう言ったメルクに、トトアラは「じゃあさ、じゃあさ」と身を乗り出してくる。
「私たちのパーティーなんてどう? 今、けっこう勢いあるしさっ」
「う、ち、近い近い」
テーブルに両掌を突いて迫ってくるトトアラの顔の近さに、思わずメルクは身を縮める。正確には彼女の顔の下にあるたわわな胸に畏怖を覚えただけだが、トトアラはそんなことを気付きもしないだろう。
パーティーを売り出す気満々の陽気な笑顔でメルクと視線を合わせようとする。
「どう? ねぇ、どう?」
「どうもこうも……どうどう、落ち着け。まず、私はあなたたちのパーティーを知らん。それに、それはギルドの規約的にどうなんだ?」
「へ?」
「試験に受かった者を試験官が勧誘して即加入させるなんて……何か裏がありそうな気がするんだが」
「あ……」
メルクの言葉に、トトアラはすごすごと腰を椅子へと戻した。後ろ指差される可能性に、今頃になって気付いたらしい。
パーティーに加入させるために、試験官がわざと受験者の採点を甘くした。あるいは、採点を甘くしてもらった代わりに受験者が試験のパーティーに加入する。
そんなことがまかり通れば――たとえ真実ではなくともそんな噂が流れてしまえば――冒険者試験の価値が揺らいでしまう。それはギルドの意図するところではないだろう。おそらくはそれを阻止するための決まりなどがあるはずだ。
「……「試験官はその試験の合格者と、今後五年間はパーティーを組んではならない」――そう言う決まりがあるんだったわ」
「やはりか。じゃあ悪いが無理だな。諦めろ」
「くぅ。けど五年辛抱すれば……」
「その間に私が他とパーティーを組んでいるだろう」
「がくっ」
落ち込んだように顔を下に向けてしまったトトアラ。しかし、自分の口で効果音を発する当たりあまり落ち込んでいるようには思えなかった。
「しっかりしているように見えて、トトアラも意外と抜けているな」
メルクは苦笑を浮かべながら、残っていたデザートに取り掛かる。
デザートはゴザの実と呼ばれる紫色の小さな果実で柔らかい皮に包まれている。種類によって甘かったり辛かったりするため、デザート以外にも酒の肴として出されることも珍しくない。
通常はナイフとフォークを上手く用いて皮を剥くのだが、メルクは昔からこれが苦手だった。
前世以来、久しぶりに挑戦するもやはり加減が難しい。
薬の調合で鍛えた手先の器用さなど、ゴザの実の皮の前では無意味なのかもしれない。
「う……この……あっ!」
力加減が上手く行かずにテーブルの下へと飛んで行ってしまったゴザの実。メルクはそれを呆然と見送り、対面のトトアラは呆れたようにメルクを見た。
「……よくそれで、人の事を「抜けている」なんて言えたわね。今日日、子どもでもゴザの実なんて上手に剥けるわよ――」
『――呆れました。不器用な方だと思っていましたが、ゴザの実一つ満足に剥けないなんて』
「――っ?」
「へ? な、なに?」
トトアラの言葉と被るように聞こえたいつかの声とその言葉に、メルクはハッと彼女を見た。
当然、当り前のことを言ったつもりのトトアラは虚を突かれたような顔になっている。メルクが怒ったと思ったのかもしれない。
「……いや、何でもない。はは。相変わらず、私は不器用なもんだ」
久しぶりに昔の夢など見たからだろうか?
手厳しくも何故だか心が満たされるような、そんな幻聴が聞こえたのは。




