第六十話(終話) 金と翡翠の冒険者
「……逃げるわよ」
前に出たメルクの肩に手を置き、トトアラが鋭くそう言った。メルクが視線だけを向けると、彼女は迫り来る『土竜』にのみを見据えている。
「逃げる? トトアラはあのデカブツから逃げ切れるつもりなのか?」
「少なくとも、戦うよりも逃げた方が生存の確率は上がるわ。ほら、はやくっ!」
横合いから突如として飛んできたナイフが、『土竜』の前を走っていた『剛猪』に突き刺さり、『剛猪』はバランスを崩し転倒した。
もちろん、それだけで済むはずがない。
直前まで『剛猪』に迫っていた『土竜』は哀れな獲物に欠片の慈悲も見せず、あるいはそれこそが慈悲だと言わんばかりに一呑みにする。それはほとんど一瞬の出来事だった。
だがその一瞬。
その一瞬はたしかにメルクやトトアラたちが逃げを打つには絶好の機会で、『土竜』が二人の存在から意識を外した瞬間でもあった。
「ザァール、いい仕事するわねっ! メルク、行くわよっ!」
無論、冒険者として実績を積んでいるであろうトトアラがこの隙を見逃すはずがない。
メルクの腕を掴んでその場から離脱しようとする。
しかし、メルクは足を踏ん張らせて彼女の引っ張る力に抵抗した。
「メルク?」
「まだだ。まだ私の試験は終わっていない」
「はぁっ?」
メルクの言葉に口を大きく開けたトトアラが、信じられないとばかりに何度も首を横に振った。
「ちょ、ちょっと待ってよ。いい? あなたの試験は『剛猪』の討伐なの。もう『剛猪』は食べられちゃったからいいじゃないっ。さすがにギルドだって受験者に『土竜』を狩れだなんて言わないわよっ!」
「それは分かっている。しかし、私が納得できないんだ。どのみち、『黄級』の『土竜』に背を向けていれば、冒険者として未来はない」
「ふざけないでよっ! あれが『黄級』だって分かって言ってるわけ? それもあの巨体なら、橙よりの黄色なのっ! 下手したら三等級パーティーが全滅しかねないのよ?」
「……ああ、分かっているさ」
この時代、冒険者たちはメルクが知っているよりもずっと腕は良くなっているはずだが、ギルドの定めている危険度は変わっていないらしい。
分かりやすくていいがそれはつまり、今でも『土竜』が厄介な敵であるという認識なのだろう。
『キュォォォっ!』
「ほ、ほらっ! こっちに来ちゃうじゃないっ!」
『土竜』特有の甲高い声に貫かれて、トトアラが今にも駆けだしそうな動きでメルクの腕を引っ張ってくる。しかし、メルクはビクともしない。
「私の事は気にせず一人で行ってくれ」
「ばっ! そんなことできるわけないでしょっ! あなたがここを動かないと言うのなら、私だってここを動かないんだからっ!」
それは試験官としての意地なのか。
あるいはこの数日共にしたことで、トトアラなりにメルクへ情が湧いたのだろうか――メルクと同じように。
「ふっ」
「な、なによ?」
迫ってくる『土竜』を覚悟を決めたように見据えながら、震える手で『伸縮剣』を構えるトトアラ。
その必死な様子が可愛らしくて、メルクは小さく笑ってしまった。当然、八つ当たりするように睨まれてしまう。
「いや……あんた、いい女だなぁ――と思ってな」
「ぶっ? い、今言うこと? なんかおっさん臭いし」
思わず漏れたメルクの言葉に、気勢を削がれたような顔つきになったトトアラ。そんな彼女を横目に、やはり小さな笑みが浮かぶ。
「ふふ、それは失敬。それより、ここから動かないって言ったな?」
「え? ええ」
「じゃあちょっと行って来るからさ。ここで待っていてくれ」
「――へ? それって――」
言うや否や両足から魔力を放出し、メルクは自分の身体を一気に前へと飛ばす。
メルクと『土竜』。
お互いがお互いに向かって進むのだ。当然、先ほどよりも接敵の時は近くなる。
『キュォォォっ!』
久しぶりに間近で見る『土竜』は、やはり竜と言う名に似合わず蛇に見える。
細長い図体に、隠れるように小さく生えた目立たない手足。
肌を覆う鱗の色は茶色がかっており、通常の竜種と違い翼もない。
だがそれでも、最強の種族であるとされる竜の名が与えられているのだ。手強いのは確かだ。
「せあぁぁっ!」
『土竜』と接敵したメルクは先制攻撃とばかりに、振り上げていた木の棒を勢いよく振り下ろす。
無論、木の棒も硬化した魔力で覆っている。
『ギョェ?』
メルクの小さな体から放たれるその一撃を気にも留めていなかったのか、まともに受けた『土竜』は間抜けな声を上げて前につんのめった。
「はぁっ!」
地面に顔から突っ込んだ形となった『土竜』の上から、メルクは後頭部目掛けて木の棒を突き込み――だが、それは『土竜』の鱗を剥がす程度にとどまった。
(やはり硬いなぁ。真剣なら良かったんだが……それは今さらだな)
どれだけ硬くしたところで木の棒は木の棒。物を斬ることや突き刺すことには向いていない。
それは最初から織り込み済みのはずだったが、こういった事態になって鈍らでも真剣を欲するのは、未熟の証拠だろうか。
「うん?」
メルクの木の棒による突きは刺さらなかったが、それでも多少は効いたらしい。
『土竜』は素早い動きで地中へと潜り込んでいった。
「そうそう、こいつはこれが厄介だったんだよなぁ……」
『土竜』はその名の通り、地中を自在に動くことが可能な魔物だ。それゆえに地中に潜られてはなかなか手を出すことができず、さらに思わぬところから思わぬタイミングで現れるものだから不意打ちを警戒する必要がある。
以前、エステルトとして戦った時は『一陣の風』の面々が傍にいてくれた。
魔法使いのアスタードが正確に位置を読み取り、『土竜』の出現に合わせて総攻撃を行うことで難なく倒すことができた。
今回はどうだろうか?
(エステルトが一人なら、苦戦してたのかもな)
魔力を操作できず、もちろん他者の魔力反応など察することができないエステルトであれば『土竜』は脅威となり得ただろう。
だが、今戦っているのはメルクと言うエルフの少女だ。
そしてその少女は魔力操作に秀で、『土竜』の居場所を魔力から正確に探知できる。
「――そう来るか。見えてるぜ、モグラ野郎」
メルクが魔力を探れば、『土竜』は彼女から離れトトアラへと目指していた。どうやらメルクを難敵だと判断し、トトアラから仕留めようという算段なのだろう。
無論、そんなことはさせないが。
「はあぁぁっ!」
再び、魔力を足元から放出してトトアラの元へと一足飛びを行えば、彼女は驚いたような顔をする。しかし、一瞬でメルクの真意に気付いたのか、その場から一気に離脱した。
そしてその瞬間、今まさにトトアラがいた場所へ地中から『土竜』が顔を出す。
「『雷球っ!』」
『――キュゥゥ?』
そこに、メルクが放った雷の球が直撃し、真面に喰らった『土竜』は感電したように無防備となって巨体を晒す。
「てやぁっ!」
ぴくぴくと痙攣する『土竜』へ、再び上段から全力を込めた振り下ろし。
鱗を、そしてその奥に守られた頭蓋をも叩き割る感覚。間違いなく、それは命に至ったはずだ。
『ききゅ……』
空気を漏らす様な音を口から吐き出し、『土竜』の巨体は地面へと地響きを立てて崩れ落ちた。もう、動き出す気配はない。
「……た、倒したの?」
「ああ。これで生きてたら、さすがに私も自信を無くす」
恐る恐ると言った形で近づいて来たトトアラは、口から長い舌を出して白目を剥いている『土竜』を食い入るように見つめている。
不審な点があればすぐにでも逃げ出すつもりなのだろう。
「……まさか本当に、一人で『土竜』を倒しちゃうなんて。それもあの高威力の無詠唱魔法……」
「うん? はは、尊敬してくれてもいいぞ」
何とも言い難い顔つきとなったトトアラを茶化そうと陽気にそう言えば、彼女は狙い通り眉を寄せて肩を落とす。
「もう、調子に乗らないの。メルクの言う通りにその場にとどまっていたら、今頃私、『土竜』の腹の中なんだから」
「あ、いや。まさかあそこでトトアラを狙うとは思わなくてな。悪かったよ」
「……助けてくれたからいいけどさ。さぁ、それよりも……先に進みましょうか」
未だ『土竜』に視線を送ったまま、トトアラがその場から一刻も早く立ち去りたいと言わんばかりに歩き出す。
さすがにメルクも待ったをかけた。
「いや、このままこれを放置していくのか? これだけの大きな魔物の死骸があれば、別の大物が引き寄せられるかもしれないぞ?」
人里から一日程度の近い場所に『土竜』がいたことすら珍しいが、このままでは再び厄介な魔物が現れかねない。それを心配したメルクに対し、トトアラは小さく笑った。
「心配ないわ。ドジを踏んだ試験官が何とかするから……そうでしょ? ザァールっ」
『……へいへい、了解』
そして持っていた魔石に叩きつけるように告げると、その魔石から気だるげな声が響く。どうやらザァールと言うトトアラのパーティーメンバーが、あとはどうにかしてくれるらしい。
「ドジを踏んだって……そう言えば、トトアラも私に正体がバレたし、ザァールと言う試験官もあわや大変な事態を引き起こしそうになったな……ギルドからペナルティーはないのか?」
歩き出しながら聞いたメルクに、トトアラが軽く首を横に振った。
「そんなのないわよ。ギルドから低賃金で依頼された、ほとんどボランティアみたいな仕事なのよ? これでドジ踏んだからってペナルティーがあったら、誰も試験官なんてやらないっての」
「そうなのか? 受験者の命を危険に晒しても?」
「そのために、受付の時に「いかなる損害も――」なんて条項があるのよ。試験官のミスで受験者が死傷しても、責任は感じるでしょうけど責任はないの」
「……そう言うものなのか」
「ええ、そう言うものよ。みんなそう言う試験を受けて、冒険者やってるの。だから、ね」
『土竜』から距離を取ったことを確認すると、そこでトトアラは立ち止まった。
そして、メルクの方へふわりと笑いかけてくる。
「おめでとうメルク。そしてようこそ、冒険者の世界へ」
差し出されたトトアラの右掌。
メルクはその掌に反射的に手を伸ばそうとして、苦笑した。
「少し、気が早すぎはしないか?」
「そう? 最終試験をパスした以上、ログホルトの支部で冒険者証明書が発行されるのを待つだけ。別に早すぎるとは思わないけど? 文句なく、あなたはすでに立派な冒険者よ」
「……なんだそれ?」
トトアラの奇妙な言い分に仏頂面になったメルク。しかしそれも長く続かず、思わず失笑してしまう。
「ふっ。トトアラが言うと、なんだか説得力があるように思えるから不思議だ」
「ふふ、でしょう?」
微笑む彼女につられ、やはりメルクも笑いながらトトアラの掌をしっかりと握り返す。
――雲のほとんどない、昼過ぎの空の下。
金髪と翡翠の双眸をした冒険者の誕生を讃えるかのように、陽光はただ優しく降り注いでいるのだった。
展開の遅い拙作にここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました。
活動報告にあとがきと今後の予定を乗せていますので、宜しければご覧ください。




