第五十九話 最終試験
『剛猪』
それは猪と呼ばれる動物によく似た、しかしそれよりも二回り以上大きな魔物だ。
硬い毛皮に覆われ、口の両端には魔力をため込んだ鋭い牙を生やしている。
ギルドが掲げる危険度で言えば『緑級』。一対一で臨むのであれば、戦いの心得がある者でなければ厳しいということだ。
人の住む地域で見つかった場合は、冒険者ギルドに依頼しての駆除、討伐が推奨されている。
「……『剛猪』か」
「ええ、知ってるかしら? まぁ、それなりに数が多くて有名な魔物だし、名前くらいは知っているかもね」
なにやら得意気に話すトトアラには悪いが、名前を知っているどころか前世では嫌というほど彼らと戦っていた。
なにせ『剛猪』と言えばそれなりに繁殖力が高く、山や森林地帯に数多く生息しているのだ。食料の少ない冬の時期など近くの里や村に出没し田畑を荒らすので、冒険者たちにはよく討伐依頼が出されることになる。
冒険者だったエステルトが討伐してこなかったわけがなかった。
(しかし、『剛猪』か。思ったよりも簡単な試験だな)
正直な話、メルクとしてはその「今さら」とも思える相手に対し、拍子抜けにも似た感情を抱いていた。
『剛猪』と言えば『黄緑級』であった『翼狼』と比べても危険度は一段下。戦いに油断は禁物だが、どうしても手古摺るような相手とは思えない。
とはいえ、あくまでもこれは冒険者を志望する者たちへの試験だ。前世ですでに冒険者だったメルクの事を考慮したわけでもないだろうし、妥当かつ適正な試験難易度なのだろう。
「大丈夫よ、ちょっと図体の大きいだけの猪と思えば。出るのはまだ先に行ったところだし、今のうちに倒す算段でも考えておけばいいわ」
メルクの何とも言えない表情をどう読み取ったのか、トトアラが的外れな勇気づけを行って来た。それを乾いた笑みで受け流す。
「その『剛猪』の討伐だが……トトアラも手伝ってくれるのか?」
「もちろん、私はメルクの補佐役だから手伝ってもいいけど――本当に必要? 私の見立てでは、あなたが苦戦するとは思えないんだけど」
「奇遇だな、私もだ。というより、トトアラの持っている武器では毛皮の厚くて硬い『剛猪』は厄介だろう。遠慮せず傍観しておいてくれ」
トトアラが見せてくれたナイフ。
刃渡りが短いあのナイフでは、どれだけトトアラの腕が良くても『剛猪』を相手取るのは苦労するはずだ。
「え? あ、そっか。そう言うことにしたんだっけ?」
彼女を慮ってそう言ったメルクに対しトトアラは不思議そうな顔をした後、思い出したように両手を打ち合わせた。
「え?」
「いやぁ、これさぁ。実はナイフじゃないんだよねぇ」
そう言ってトトアラは最初に見せてくれた時と同じように、服の下から武器を取り出す。
少し幅広の柄が特徴的な、だがやはりそれはどう見てもナイフに思えた。
「私、実は暗殺者じゃないんだ」
「いや、最初から知ってるが」
そもそも冒険者だと打ち明けられたばかりである。
「だからこれ、ほら――伸びるんだ」
その言葉通りトトアラの持っていたナイフの刀身が大きくなり、通常の剣ほどにもなった。
横も縦も厚みも増したその剣ならば、ナイフの際に感じた柄の不自然さも感じさせない。
「……迷宮剣か?」
「ええ。『伸縮剣』って言うの。さすがに一介の受験者が持っているのは不自然だから、ナイフってことで誤魔化したけどね。珍しくてけっこう便利なのよ」
仕組みは『暴火の一撃』のメンバー、エレアが持つ『水燃槍』と同じなのだろう。
彼女の体内から流し込まれる魔力によって、その伸縮を自在に変化させている。これならば、広い場所でも狭い場所でも戦闘時に武器が一つですむ。無論、不意打ちができるなど利点はそれだけではないが、なかなかに有用な剣だと言えるだろう。
「……しかしいいのか? その剣の効果を私に見せびらかしたりして。私と戦う事になったり、私がその剣を欲したりするとも限らないぞ?」
「いやぁ、そんな気遣いをする時点でそれはないでしょ。合格目前の試験を蹴ってまで、伸び縮みするだけの剣をあなたが欲するとは思えないし、そんなに見境がないとも思えない。それにメルクと戦う日を想定したこともないし、する必要もないと思っているわ。メルクは違うの?」
「私は……まぁ、私もトトアラと戦うなど御免被るが」
「ならそれでいいじゃない。メルクは少し、難しく考えすぎ」
「……そうなのだろうか」
どちらかと言えばトトアラが考えのなさすぎるのような気もするが、それは結局個人の生き方の違いなのだろう。
メルクとしては、トトアラのようなある種の楽観的に近い生き方はできないが、それでも尊重したいという思いはある。
「つまりさぁ。私も戦おうと思えば『剛猪』と戦えるけど、どうする? って話なの」
「うーん、そうだなぁ。やはりに任せてくれないか? 志望は治癒術師だが、私は『戦える治癒術師』を目指しているんだ。『剛猪』くらい、一人で討伐できなくてどうする?」
「……ふーん、なるほど、なるほど」
メルクの言葉にトトアラは目を細め、納得したように頷いた。
「なんだ?」
「いえ、最初から治癒術師にしては腕が立つと持っていたけど――あなた、聖女様を憧れとしてるのね」
「へ? 聖女……イリエムの事か?」
突如トトアラの口から飛び出した言葉に面食らえば、ますます彼女は面白そうな顔つきとなった。
「あらら、呼び捨てなんて不敬ね。けど、それだけ身近に感じていると言う事なのかな?」
「身近って……」
(そりゃあ、パーティーを組むくらいには身近にいたけどな)
まさかそれをトトアラに言うわけにはいくまい。この際、彼女が何か妙な勘違いをしていたとしてもだ。
(そう言えば、聖女も治癒術師にしては強かったな。なるほど。つまり現代において戦える治癒術師を目指す者は、冒険者たちにとっちゃあ「イリエムの後追い」ってことになるのか)
そう考えると少し面白くないが、仕方ない事だろう。
先駆者の名が知れ渡っていれば、その者と多少似ているだけで人々は真っ先に先駆者を思い出す。それは人の心理から言って避けようのないことだ。
勇者フォルディアの弟子であるヨナヒムが、『勇者の後継者』と言われているのに少し似ている。もしかしたらメルクが実績を積んでいけば、人々は『聖女の後継者』なんて言い出すのかもしれない。
そうやって無意識に、勇者や聖女とヨナヒムやメルクを比べるのだ。メルクだって、それは仕方のないことだと分かっている。が、納得できるかと言えば難しい。
(ふん、今はそれでもいいさ。いずれイリエムと私を比べる者など、いなくなるに違いないからな)
いつでも飄々(ひょうひょう)として、何でも悟ったような顔で語る馴染みの聖女の顔を思い浮かべたメルクは強く決心した。
――どうでもいいが久しぶりに思い浮かべた彼女の顔は、相変わらず小憎らしいほど美しかった。
歩き続けた二人が昼頃に小休止をしていると、メルクの感覚に引っかかるものがあった。これは――魔力反応だ。
どうやらこちらに向かってきているようだ。
「おい、トトアラ。例の最終試験の場はここなのか?」
「いいえ。たしかに近いけど、もう少し先に行ったところ。だからここで英気を養ってから――って、何か来たようね?」
メルクから少し遅れ、トトアラもこちらへ接近する気配を察知したようだ。直ぐに立ち上がり、気配が向かって来る方を睨み付ける。
そして徐に、服の下に手を突っ込んで小さな石を取り出した。それは、昨日の晩にメルクが目撃した通信用の魔石だった。
「はい、トトアラよ。下らない用なら後にしてちょうだい。こっちになんか向かって来るところなんだけど」
『――げろ』
魔石から聞こえてきた声は傍にいるメルクにも聞き取りづらく、トトアラも眉を顰めて首を傾げた。
「はい? 移動中なの? なんか息荒いし聞こえづらいんだけど。ていうか、もしかして向かって来るのって『剛猪』? ちょっと、早すぎ――」
『逃げろっ! 猪のおまけに、とんでもないものが引っ付いてきやがったっ!』
「――?」
ほとんど絶叫に近い声が魔石から響き、トトアラが驚いたように持っていた魔石を取り落とした。
そしてそれと同時に、メルクたちの目の前に大きな猪が現れた。口の両端に魔力を宿した牙を生やしている辺り、『剛猪』で間違いない。
その『剛猪』は一心不乱にこちらへ向かって駆けてくる。だがそれは決して、メルクたちを害そうとしての疾駆ではない。
彼は逃げているのだ。自身に襲い来る――化け物から。
「な、なんなのあれ?」
落ちた魔石を拾う事もせず、いや、拾う事もできずにトトアラは前方を見て呟いた。それも致し方ない事だろう。
こちらへ迫る『剛猪』の背後。そこには猪を二回り以上大きくした『剛猪』すらも一呑みにできそうなほど巨体の――蛇に似た姿の魔物が地面を抉りながら接近しているのが見えるのだから。
「――『土竜』か。こんなところで出るなんて珍しいな」
メルクはその姿を認め、呆然とするトトアラを背に置くように一歩出る。そして全身を即座に硬化した魔力で包むと木の棒を構えた。
(単独では初対戦だな。まぁ、ともかくあれだ――全力の本気をお見舞いするとしよう)
最終試験に相応しいその威容を前に、メルクは自身を鼓舞するように獰猛に笑った。
改めて参考までに
冒険者ギルド制定の危険度
脅威の順で
『赤級』
『橙級』――『炎翼狼』
『黄級』
『黄緑級』――『翼狼』
『緑級』――『剛猪』
『青級』――『犬鬼人』
『紫級』――『角兎』『魔馬』
ちなみに非公式ながらもう一つ別の級があったり。




