第五十三話 詐病の老婆
「実は、儂の家内が病魔に侵されておる。その病を取り除くためには、森の奥深くに生える薬草が必要なんじゃ。どうか、どうか採ってきて下されぃい」
麓の廃村で出会った老爺に懇願するようにそう言われ、メルクとトトアラは再び顔を見合わせる。
どうにも話が見えないのだ。
「ご老人。失礼だが、森とはあそこに広がる森の事か?」
メルクが集落の右手側に鬱蒼と生い茂る木々を指させば、老爺は両掌を強く握り合わせて何度も頷いた。
「ああそうじゃ。あそこに、家内を助けられる薬草があるんじゃ。どうかお前さん方、採ってきてき出されいっ!」
その必死な様子に気圧されたのか、トトアラがメルクの背後へさっと隠れた。まったく、頼りにならない年上だ。
「……ご老人。あなたは奥方と一緒に暮らされているのか? また、奥方が病に侵されたのはいつ頃の事だろうか?」
「わ、儂と家内は同じこの家で暮らしておる。家内にあの忌々しい青い痣ができたのは、三日前からじゃ」
「青い痣……取りあえず病人の元へ案内を頼みます」
「あ、ああ」
老人が背後の家へ引っ込むと、メルクもその後に続こうとする――が、何を思ったのかトトアラがメルクの服を掴んだ。
「なんだ?」
「ねぇ。助けてあげるつもり? この集落、なんだか不自然だし、さっきのお爺さんも胡散臭いし……おまけにその奥さんの病気が私たちにうつるかもしれないわ」
いつになく真剣な顔のトトアラが言う事は、いちいちもっともだ。彼女が安全を気にしてメルクに進言したことは何も間違ってはいない。
しかし、だ。
「すぐ傍に病人がいるんだ。そして助けを求められてしまった。そこで診もせず逃げ出してしまうのは、どうも私の主義じゃない」
エルフの里で培った病人や怪我人に対する考え方が、ここでメルクに退くという選択肢を選ばせることはない。
まず容態を確かめ、どういった状況であるかを確認しなければそれ以上の判断はできないのだ。
「な……ば、馬鹿じゃないの? 格好つけてるつもり? 単純にダサいだけだからっ! ログホルトに行くのが遅れるかもしれないっていうのに……」
「ああ、そうかもな。トトアラはここで待っていてくれてもいいぞ。何なら先にログホルトに向かっていてくれても構わない。場合によっては長引くかもしれないからな」
「う……」
淡々としたメルクの言葉に唸り声を上げて、何も言えなくなるトトアラ。
そんな彼女に肩を竦めて見せてから、メルクは老人の後を追って家の中に入る。
「失礼する」
「旅人殿、こちらじゃ」
家に入ったメルクは、老爺の声に従って一つの部屋に辿り着く。するとそこには粗末なベッドの上に横たわる老女の姿があった。
この者こそが老爺の言う、「病に侵された家内」なのだろう。
「旅人殿。これ以上は近づかれるな」
老女に近づこうと部屋に一歩踏み入れた時、老爺にやんわりと止められてしまった。
「お主にうつるといかん。それよりもこの病はじきに死に至るものじゃ。一刻も早く、薬草が必要なんじゃ」
「しかし容態を確認しなければ、一体何が原因の病か分からないが」
「病の原因?」
メルクの言葉に虚を突かれたような表情になった老爺。だが、すぐに何事もなかったように首を横に振った。
「そんなものは分からなくて結構じゃ。とにかく、森で薬草さえ手に入れば家内は治る。どうか、採って来てくれ」
「ご老人。なぜそんなことが分かる? その薬草さえあれば、なぜあなたの奥方を治療できると知っているんだ? 奥方の病に心当たりがあるのか? 仮に心当たりがあるのなら、話してもらえなければ協力できない」
「……そうか」
毅然としたメルクの態度に、老爺は少し考えるような顔つきになり、やがて諦めたように肩を落とした。
「よかろう、手短に話すとしよう。家内の病気は『青痣病』じゃ」
「『青痣病』……」
「ああ。ある日突然、身体中に青い痣が無数にでき、やがて全身を覆うようになる。そして痣が頭の天辺から足の爪先まで覆ったが最期……感染性の高い、死に至る怖ろしい病気じゃ」
「……」
「今から十年前、突如この村で『青痣病』に罹患した者が出た。そして瞬く間に村人全員に感染し――やがて儂ら以外は死に絶えたのじゃ」
「……貴方たちはどうして助かったんだ?」
「儂等は運が良かった。森で見つけた青い葉の草が、『青痣病』を癒す力を持つことに気付いたのじゃ。それを磨り潰して飲むことで、儂と家内は助かった。しかし、他の者たちはすでに手遅れじゃった……」
その老爺の話を聞けば、なるほど。この村が廃村になった理由もわかると言う物だ。
死に至る病が蔓延り、村人のほとんどを殺し尽してこの老夫婦のみとなってしまったのだろう。
――ただし、この話が「本当なら」である。
しんみりと、己の無力を噛み締めるように語る老人を前に、メルクはただただこう思った。
(なんだそりゃあ……)
一気に脱力し、崩れ落ちそうになる膝を何とか支えて立った姿勢を維持する。しかし心情としては、そこらへんで不貞寝したいほどのやるせなさだった。
「最近、森には『犬鬼人』を始め、手強い魔物が出るようになった。とても儂一人では行けないのじゃ。だから頼むっ! お主らの力で――」
「はぁー……本当に私はダサいな」
「た、旅人殿?」
これ以上は馬鹿馬鹿しくて聞いていられない。
トトアラに言われた言葉を思い出しながら、メルクは一つ溜息をつく。そして老爺の制止を押し切って、横たわる老女の傍へと近づいた。
「『治癒』
そして皮膚の至る所に見える青い箇所を観察し、メルクは投げやりに呟いた。和かな光が老女を包み、その心地よさに閉じていた目を驚いたように開かせた。
そして、メルクと目が合う。
「気分はいかがかな? 奥方。私の『治癒』で、病気は治ったはずだ」
「え? あ……す、すっかり元気です。あ、あははは」
微笑姿のメルクに治癒術を掛けられたことを察したのか、老女も曖昧な笑みを浮かべて乾いた笑い声を上げた。
ちなみに元気になったという老女の身体には、今も無数の青い『塗料』が付いたままだ。
「それは良かった。では」
飛び切りの笑顔を浮かべて、部屋から出ていくメルク。
「ま、待ってくれ」
「……なにか?」
部屋を出たメルクに老爺が慌てたように話しかけてきたので、首を捻って目だけを向ける。そんな彼女の対応に、愛想笑いのような表情を老爺は浮かべた。
「あ、あんたたち、この先を行くんじゃろう?」
「ああ」
「この村から二三日行った先にある橋が、古くなって崩落してしまった。多少時間はかかるが、遠回りしていった方が早いぞ」
「……そうか。それはどうも」
形ばかりの会釈をすると、メルクは今度こそ立ち止まることなく家の出口へ向かう。そんな彼女へ老夫婦の戸惑ったような視線が向けられるが、頓着などしていられなかった。
(なにが『青痣病』だ。『青痣病』が人にうつってたまるかっ)
メルクも最初、老爺が「忌々しい青い痣」と言った時点で『青痣病』の可能性を考慮していた。
生まれつきなる者が決まっていると言われる『青痣病』は、他者にうつる病気ではなく、そもそもそれを知っていたからこそあれほど迷いなく家の中に入れたのだ。
ところが老爺が語ったのは頓珍漢な作り話としか思えないような『青痣病』の伝染性と摩訶不思議な青い薬草の話。
そして実際に老女の身体を診れば、明らかに青い塗料が付着しているだけ。これでは近寄らせられないのも納得だ。
「メルクっ? どうしたの? そんな顔して」
不機嫌さを隠しもせずに外へ出ると、トトアラが驚いたような顔をして立っていた。どうやら待っていてくれたらしい。
「いや、トトアラの言う通り、私が間違っていたようだ。先を急ごう」
「え? あの、奥さんは……」
「治った。もう心配いらん」
「あ、そうなんだ……へぇ」
先を目指してずんずんと歩き出したメルクに、戸惑ったような顔をしつつもついてくるトトアラ。
何か言いたげな雰囲気が彼女から発せられていたが、結局トトアラがメルクにそれ以上聞くことは何もなかった。




