第五話 彼女と弟
ルゾーウルムから「治癒術を教える」と言われてから翌日。
今日はルゾーウルムのもとへ修行に行く必要はないので、メルクは朝から木の棒で素振りをしていた。
基本的に指導してもらえるのは二日に一回だ。空いた日は、剣や魔力操作の自主練習を繰り返している。昨日薪を多目に割りすぎたので、今日は薪割りの必要もなかった。
「お姉ちゃん、それ楽しいの?」
素振りをしていたメルクが一息つくと、見学していた弟が不思議そうに聞いてくる。名をローと言い、メルクを一回り小さくしたような容姿で、幼い子ども特有の中性的な顔立ちをしていた。
そんな弟は地べたに腰を下ろして膝を抱き、つまらなそうにメルクのことを見上げている。
「おお、ロー。これは楽しいとか楽しくないとかの話じゃないんだ。戦士として鍛錬の一環なんだ」
「戦士? お姉ちゃんは戦士なの?」
「厳密に言えば剣士だったが……戦う者は皆戦士さ。まぁ、まだ八歳のローには難しいか」
「そんなことないっ! 僕もやるっ!」
いつもであればメルクが棒を振っていようが薪を割っていようが無関心なはずのローが、今日は妙に積極的だ。
教師を志した時から、メルクの素振りを見学するのだってやめていたはずなのに。もしやすると剣に興味を持ち始めたのかもしれない。あるいは、昨日遅くに帰って来た姉に対して、何か思うところがあるのかもしれない。
「ほら。怪我するんじゃないぞ?」
「うん……重たい」
メルクから木の棒を受け取ったローは、その重さに顔を顰めたようだ。中に鉛を埋め込んでいるので、見た目以上に重さがあったのだろう。
「どうしたっ。そんなへっぴり腰じゃ紙切れ一枚満足に斬れんぞ。っておいっ!」
ローが木の棒を振り上げた時、その重さで頭からひっくり返りそうになったので慌てて支える。そして何とか事なきを得ると、メルクはローから木の棒を取り返した。
「やっぱりだめだ。お前にはまだ早い」
「で、でも、お姉ちゃんは五歳の時からこんなことしてるってお母さんが」
「私は相応の修行から徐々に負荷を強くして今の鍛錬をしている。お前もどうしても剣を振りたいのであれば、軽い木の枝から始めるんだ」
「木の枝? それで強くなれるの?」
「さぁてな。そもそも強くなってどうするつもりだ?」
メルクの問い掛けに、ローは窮したように黙り込んだ。おそらく小さな頃にありがちな、目的もなく漠然と強くなりたいと考えただけなのだろう。
それで失敗した人間を知っている身として、メルクは片膝を突いてローと向き合った。
「いいか、ロー。強くなれば大抵のことができる。できてしまうんだ。気に入らない相手を殺したり、他者に犠牲を強いてでも自分のわがままを通したり……そうしたことができてしまうんだ」
「僕はそんなことしないっ!」
メルクの言葉が気に障ったのか、強い口調で否定するロー。してやったりとばかりにメルクは内心で笑う。
「ならいいじゃないか、強くならなくても。お前は強くなる必要はないよ」
「えっ?」
真っ直ぐに見つめて言ってやれば、ローは驚いたように目を見開いた。言われた言葉が意外だったようだ。
「ロー、お前の夢は何だったっけ?」
「夢……お父さんみたいに、立派な教師になる?」
「ああ、ならそれでいいじゃないか。お前の望みが剣を振ることではなく教鞭を振るうことなら、そのための努力をしろ。剣士とは違う強さを身につけろ」
「……お姉ちゃんは――」
「うん?」
ローは逡巡するように視線を泳がした後、やはり覚悟を決めたのかメルクと視線を合わせる。
「お姉ちゃんは強くなってどうするの? お姉ちゃんの夢は治癒術師じゃないの?」
「……そうだ、治癒術師だ」
「なら、強さなんていらないでしょ? 戦士じゃなくていいんでしょ?」
全く以ってその通りだ。
ローに言ったことは全て、メルクにだって当てはまる。なのに何故、メルクが剣を振るい治癒術だけではなく魔法まで習おうするのか。
「簡単なことだ。治癒術師は自分の身を守る力が必要だからな」
「身を守る力?」
「ああ。優れた治癒術師ほど、降りかかる危険は大きいし多い。当然、冒険者パーティーに加入すれば戦闘へついて行かなければいけない。その時に、戦えないからと言って誰かに守ってもらうばかりじゃ駄目だろう?」
「……うん」
「それに治癒術師はしがらみも多い。以前知り合いの治癒術師に聞いた話では、その才能を見込まれて幼い頃、貴族に誘拐されたことがあったらしい。幸い何とか逃げ出せたが、それから彼女は身を守るために戦う術を身に着け、いつしか俺に聖女と呼ばれるまでになった」
(まぁ、あの女は聖女と呼んだら無茶苦茶嫌そうな顔してたっけ。それが楽しくて呼びまくってたけど……)
「聖女? 知り合いの治癒術師? ねぇ、何の話? 誰の話? 僕も知っている人? 今、自分のことを俺って言わなかった?」
少し昔のことを思い出しすぎたのか、今のこの姿では整合性のとれない言動をしてしまったようだ。頭上に無数の?を浮かべている弟に誤魔化すための笑みを作って頭を撫でてやった。
「いや、悪い。何でもないんだ。ただ、治癒術師にはそういう危険もあるから、自分を守る力が必要なんだ。教師は別に、そんなこともないだろう?」
「うん……」
「現に、父さんだって母さんに腕力でも勝てないし口でも勝てない。腕っ節の強さは必要ないのさ」
「そう……だね。でも、やっぱり少しは強くなりたい」
「うん? なんでだ?」
納得したと思いきや、浮かない顔でローが立ち上がったメルクを見上げる。
「だって、お父さんみたいになりたくないんだもん」
「あ……」
メルクの余計な一言が、母に言い負かされたり腕相撲で惨敗したりする父親を想起させてしまったのだろう。
父親の威厳を徒に傷つけてしまったことを、メルクは申し訳なく思った。