第三十九話 相談窓口
「次の方、どうぞ」
前にいた男、レフレンと話している間に列は少しずつ消化されていき、やがて、メルクの前には彼を含めて二人だけとなった。
「どうされました?」
「あの、冒険者試験を受けたいんですが」
「『推薦状』をお持ちですか?」
「はい」
レフレンの前にいた冒険者志望の青年が紙を差し出すと、受け取った妙齢の受付嬢は少し眉根を寄せた。
「……シェルノフ様の『推薦状』ですか」
その意外にも呆れたような声に、メルクはあまり良いことではないと思ったが、彼らの会話に耳を澄ませる。
「ちなみに、この『推薦状』にはあなたのお名前が書いていないようですが?」
「あ……そ、それは。書き忘れたみたいで」
「そうですか。シェルノフ様とあなたの御関係は?」
「し、師匠と弟子です。いろいろと教えていただきました」
「そうですか。シェルノフ様は火属性魔法がお得意でしたね? あなたもそうなのですか?」
「いや俺は……俺は水属性の魔法に適性があったみたいで。もちろん、師匠には火属性魔法も教えてもらいましたけど、並み程度にはならなかったです。はははは」
「そうですか……魔力解析の結果、シェルノフ様の御署名で間違いありません。では、注意事項が書かれたこちらをお読みになり、この書類に必要事項をご記入ください」
「はい」
受付嬢から差し出された紙に、カウンターで黙々と何事かを記入している青年。その青年を見ながら、レフレンが肩を震わせ必死に笑いを堪えている。一体、何がおかしかったのだろうか?
「書けました」
「……はい、たしかに。では、受験料として銀貨一枚前払いでお願いします。なお一度支払われますと、いかなる場合もご返金できませんのでご了承ください」
「えーと……はい」
青年から銀貨を渡されると、受付嬢は確認しカウンターの引き出しの中へ入れた。そして小さな紙切れを『推薦状』と共に渡した。
「試験は三日後に行われますので、八の刻までにギルドへお越しください。その際、必ずこちらの受験票と『推薦状』をご持参ください」
「わかりました」
試験の受付が終わったことにほっとした顔つきとなる青年。そして頭を下げて窓口から離れようとした彼に、受付嬢が声を掛ける。
「最近何かと物騒です。人気のないところでは十分にご注意ください」
「へ? あ、はい……」
そんな脈絡のない注意を受けた青年はきょとんとし、良く分からないと言った顔で小さく頷いた。それっきり受付嬢が何も言わないので、首を傾げながら去って行く。
「では、次の方どうぞ」
「おう、俺だ」
声を掛けられたレフレンがにやけ面を引っ提げて、受付嬢と相対した。
「おいおい、ナーノさんよぉ。さっきの新人虐めは酷いんじゃねぇーか?」
「……何のことでしょうか?」
「惚けるなよ。あの坊主が師匠だって言ったシェルノフの奴は、魔法使いじゃなくて剣士だろうが。試験受付時の虚偽報告で、減点するつもりだろう?」
「当然です。彼は虚偽の報告をしたのですから。そうでなくとも最近、シェルノフ様の自称弟子が多くて迷惑していると言うのに……本当に、シェルノフ様には困ったものです」
「……なぁ、どういうことだ?」
何故、さっきの青年がわざわざ嘘をついたのかが理解できずにメルクが問いかけると、レフレンは面白そうな顔で青年が去って行った方へ視線を送る。
「あの坊主、シェルノフって冒険者から『推薦状』を買ったのさ。楽に小金を稼ぎたい四等級以上の冒険者がよくやるんだ」
「……それはつまり、知り合いでも何でもないのに推薦しているってことか? いいのかそれ?」
思わず呆れた声が出てしまったメルクに、答えたのはレフレンにナーノと呼ばれた受付嬢だった。
「現在の規定では、特に禁止されていません。本当に購入した物かどうかの区別も付けられないので、ほとんど野放しですね」
「そうか……なんだかなぁ」
「ただし、疑わしい『推薦状』を持参した志望者にカマをかけて、虚偽の報告をされた場合は受付の裁量で減点します――それで、レフレンさん。本日はどのようなご用向きですか?」
「おう、借りてた金を返すぜ。金貨三枚。利子の青銀貨一枚もきっちり耳そろえて返してやらぁ」
ナーノに目を向けられたレフレンが、懐から金をとりだしカウンター台に小気味いい音を立てておいた。
(金貨三枚……そんなに借りてたのかこの男)
金貨三枚と言えば平民が三人、慎ましく生活すれば一年間働かずに暮らせる額だ。上級の冒険者であれば吹けば飛ぶような額ではあるが、そもそも上級冒険者なら借りる必要もないだろう。
メルクはレフレンの思い切りの良さに、偏に感心してしまった。
「……たしかに、お貸ししていた金貨三枚と利子分を確認しました。お預かりしていた借用書をお返しします。それと領収書です」
「おお、悪いな」
「いえ。また困った時はいつでもご相談ください」
「へへへ。今は懐があったかいんでなぁ。そりゃあ当分先の事になるだろうぜ。なんなら世話になってるあんたにも、たまにはご馳走してやってもいいぜ」
「そうですか。次の方」
いやらしい笑みを浮かべたレフレンに、ナーノが素っ気なく対応しメルクの方へ視線を向ける。
話を打ち切られた形になったレフレンは少し苦笑しながら、「愛想のねぇ女だ」などと小さく呟き、窓口から離れて行った。
「あ、そうだ。ねえちゃんよ。俺はよく『赤の雄牛亭』ってところで飲んでんだ。会いたくなったら来てくれよな」
去り際にそんなことを言って来た彼に、メルクは小さく笑みを作った。
「ああ、会いたくなったら行かせて貰おう」
つまり、そこには行かないと言う事だ。
そうとも知らずに笑みを向けられたレフレンはだらしなく頬を緩ませ、下手くそなウィンクを見せつけ去って行った。実に気持ち悪い。
「どうも、メルクと言う」
レフレンが去ったのを確認し、メルクは一歩進んでナーノに話しかけた。彼女はちらりとメルクを見上げ頷き、「ナーノです」と返す。
「それでメルクさん。本日はどのような御用ですか?」
「冒険者試験を受けたいんだが」
「『推薦状』はお持ちですか?」
「これだ」
メルクが封筒を差し出す、彼女は「拝見します」と言って中身を確認する。
「これは……なかなか斬新な文言ですね」
少し眉根を寄せて呟いたナーノは、署名がされた箇所を見て目を見開いた。
「――ヨナヒム。そうですか、ヨナヒム様のご推薦ですか」
「ああ。もしそこに書かれた文言が不適切なら書き直してもらうが」
「いえ、構いません。ちなみにこちらの『推薦状』、メルク様のお名前が書かれていませんね」
「そうだったか? そこにいるんだ。ちょっと書いてもらおうか?」
「え? いえ、それには――」
「おーい、ヨナヒムっ!」
メルクが声を上げると、達成報告窓口に並んでいた『暴火の一撃』の面々がこちらを一斉に見た。いや、それだけではなくギルド内のほとんどの人間が名を呼ばれたヨナヒムと声を上げたメルクの方を交互に見ている。
「なんだ? どうした?」
列の順番をエレアやルカに任せたヨナヒムが、人混みを掻き分けてメルクの方へ不思議そうな顔をしてやってきた。
「この『推薦状』、私の名が書いていないようなんだ。悪いがちゃっちゃと書いてくれないか?」
「おや、忘れていたか? ナーノさん、悪いがペンを貸してもらえないか?」
「あ……あ、はい」
突然の事態に、今まで冷静そのものだったナーノの表情に焦りのようなものが見えた。もしかしたら受付中に、『推薦状』に書き足すなんて事態は初めてなのかもしれない。
(けど、私の名前が書いてないと言う理由で減点されたら敵わないからな)
事前に受付時点で減点の可能性もあることを知ったメルクは、万全を期すことにしたのだ。この『推薦状』がきちんとメルクのためにヨナヒムが書いた物であることを証明したかった。
「よし、これでいいかな? メルクの名前には俺の魔力は入っていないけど、受付の目の前で本人が書いているから問題ないよな? ねぇ、ナーノさん」
「は、い。問題ないです。ありがとうございます」
「いや、こちらこそ抜けてて悪いな。別に贔屓してくれってわけじゃないけど、メルクの事、よろしく」
「……はい」
ナーノにペンを返し元の列に戻ったヨナヒム。彼を見送ってナーノは小さく嘆息した。




