第三十六話 愛の剣聖亭
大災厄――そう呼ばれる存在があった。
それは数世紀を周期に現れ、世界中に甚大な被害を齎し暴虐の限りを尽くす。『仇為す者』と名付けられた、『鬼人』に似た姿の魔物だ。
古くは大国の騎士団が総出でかかり、あるいは一国の兵力をすべて差し向け対峙し、時には異世界より神に選ばれし力持つ者を召喚してこれを倒したと言われている。だがその結果、いずれも大きな犠牲を伴ったうえでの勝利だった。
今から十五年ほど前、現世に現れた直近の『仇為す者』を討伐したのは四人組の冒険者パーティー『一陣の風』である。
勇者フォルディア。
聖女イリエム。
大賢者アスタード。
そして最強の剣士として名高い、剣聖エステルト。
彼ら無くして世界の平穏はなかったと言われ、最小限の被害でもって人間やあらゆる種族を災厄から守り抜いたその功績から、四英雄と呼ばれている。
特に、四英雄の中でも唯一命を落とした剣聖エステルトの人気は根強い。
『仇為す者』討伐のために、ひいてはこの世界の人々のために命を投げ打ったその献身と、「彼がいなければまず倒せなかった」と帰還し証言した勇者の言葉によって、その名は大陸中に轟いた。
今ではエステルトを讃える唄や詩曲が数多く残され、その種類は直接『仇為す者』を討ち取った勇者フォルディアよりも多い。それ故に、彼に憧れて冒険者を目指す者も少なくない――。
――ヨナヒムはエステルトの事をそんな風に語った。
(勘弁してくれ……)
それが、話を聞いたメルクの率直な感想である。
惰性的に生き、深く考えずに死んだ。
そこには「世界のため」だとか、「人々のため」だとか殊勝な理由はなくて、単純に仲間たちを守るためにがむしゃらだっただけだ。
あるいはフォルディアよりも自分の方が、死に役に向いていると思っただけだ。
そんなふうに、後世の人々に持ち上げられるような人間では断じてない。それだけは自覚していた。
「……ヨナヒム、勇者はまだ元気か?」
「師匠か? ああ、師匠はぴんぴんしているぞ。もう四十近いっていうのに、見た目は俺とそう変わらん」
「そうか……」
フォルディアが若作りなのは意外だが、元気だと聞いて安心した。
いつかどこかで会った時は、必ずとっちめなくてはなるまい。「美化して語れ」と言ったのはたしかにメルクだが、いくら何でもこれはひどすぎる。
「ほんと、信じらんないわね。あのエステルト様を知らないだなんて。これだからエルフってのは田舎者なのよ」
「い、いやもうわかったから。頼むからもう言わないでくれ……」
メルクの無知を糾弾するようにエレアがグチグチと言って来る。
それ自体はどうでもいいのだが、彼女が「エステルト様」と言うたびに背筋に泡立つものがあり、どうにもむず痒く居た堪れない。
彼女が責め立てているメルクこそ、その剣聖エステルトであることを知ったら、エレアはどう思うのだろうか?
(これはいよいよ前世を知られるわけにはいかないな)
エステルトを「憧れである」と言ってくれた彼女のためにそう改めて決心し、メルクはヨナヒムに連れられるがまま道を歩いていく。
すでに『迷いの森』をずっと後にしたことで、周囲には少しずつ民家が立ち並び、やがて発展しつつもどこか見慣れた風景が広がるようになってきた。
エンデ市内に入ったのだ。
(へぇ、あの武器屋、まだあったのか。おっ、あの飯屋はたしか美味かったよな?)
十五年以上久しぶりに見る見知った建物や景色に内心で興奮しつつ、メルクはやがて馴染みの宿に辿り着く。
エステルト時代によく利用していた宿だ。
そしてそのこじんまりとした宿、『愛の剣聖亭』を訪れたメルクは、
(勘弁してくれ……)
例によってそう思った。
『愛の剣聖亭』は建物自体はどこにでもありそうな、奥ゆかしい昔ながらの宿と言った風情を漂わせ、それほど規模は大きくない。
それはメルクの覚えている姿そのもので、十五年の時を経てもあまり変わらない佇まいに何となくほっとする。
しかし、問題があった。
入り口にはでかでかと『愛の剣聖亭』と名が記され、そしてその傍には立派な像がある。
何やら真剣な顔つきの男が、天へ向けて勇ましく二振りの剣を向けている像だ。
明らかに美化され、表情もかつての自分ではどうやっても創り出せない凛々しさだ。だが、いくつかの特徴から、その像がエステルトを模した物であることは察せられた――勘弁してほしい。
(えぇ……俺、今からあんなところに入らないといけないの?)
あまりの衝撃に、メルクの中にあるエステルトの部分が強い拒絶反応を示している。入口の前に置いてあるあの像を擦り抜け宿に入るなど、一体何の罰ゲームなのか。一体、メルクが何をしたと言うのか?
「何してるんだ? 早く行こう」
「え……あ――わかった」
メルクの気持ちなどお構いなしに、宿の扉を潜ったヨナヒムたちが促してくる。その怪訝そうな顔つきに逃げ出すわけにも行かず、メルクは観念して扉を潜る。
(あの野郎め……とっちめるだけじゃすまさねぇ。一発は確実に殴ってやるっ!)
エステルトの像とすれ違う際に、メルクは強く強くそう思った。
「あら、ヨナヒムじゃない。依頼は無事に終わったの?」
宿へ入ると受付カウンターの中から女性が声を掛けてくる。その聞き覚えのある声に記憶を巡らし、メルクは彼女がこの宿で仲居をしていた娘であることを思い出す。当時は成人したばかりで初々しかった彼女も、今では立派な貫禄があった。
冒険者であるヨナヒムたちを相手に気さくなその姿は、場馴れした風情を漂わせている。
(あれか十五年だもんなぁ……そりゃあ美しくもなるか)
十四で小動物的な可愛らしさがあった仲居も、今では「美人なお姉さん」と言ったところだ。これでもう少し胸が大きかったらメルクの好みど真ん中であっただろう。
仲居の胸をそれと無く観察しながらカウンターに近寄ると、仲居が興味深そうに視線を送って来た。
「うん? 知らない娘さんがいるわね……また、美人な娘さんだこと」
エルフの特徴である尖った耳は金色の髪で隠れているため、仲居もメルクの事を単に美しい娘としか見なかったようだ。
メルクは軽く会釈した。
「どうも、メルクと言う。縁があって、彼らと同行している」
「そう。ほんと、ヨナヒムの周りには奇麗な娘ばかり集まるわね……あんた、何か変な匂いでも放っているんじゃない?」
「何? 俺って臭いのか?」
仲居の言葉に慌てて自分の腕の辺りを嗅ぐヨナヒム。馬鹿丸出しである。
「まぁいいわ。えーと、メルクさん? 私はこの宿で女将をしているルゼイよ」
「ああ――」
――そんな名前だったな。
そう言いかけて、メルクはすんでのところでその言葉を飲み込んだ。
「うん? どうしたの?」
「あ、いやっ! それより宿の主はどうした? ビナードの親父さんは?」
「え? ビナードを知っているの? あの人なら食材の買い付けに言っているけど」
「うっ」
慌てて話を誤魔化そうとして、墓穴を掘ってしまったメルク。しかし、メルクがエルフであることを知らないルゼイは、特に疑問に思わなかったようだ。すんなりと話を戻す。
「驚いたな。メルク、ビナードさんを知っていたのか?」
反対に、当然だがヨナヒムたちは不思議に思ったようだ。訝しむように三人ともこちらを見てくる。
「その……あれだ。里の知り合いがここを利用した時、「ビナードさんに世話になった」そう言っていてな。なんとなくこの宿屋の主人かと思ってそう言ってみただけだ」
苦しい。
あまりにも苦しいその言い訳は、突けばいくらでもボロが出るだろう。だが、人を疑うと言うことを知らないのかヨナヒムは納得したように頷いた
「なるほどなぁ。さすがビナードさんだ。良い旦那さんですね」
「もう、褒めても何も出ないわよ?」
ヨナヒムの言葉に嬉しそうな顔をするルゼイ――ちょっと待って欲しい。
(あれ、ビナードの親父は当時で三十超えてたよな? てか、四十近かったよな?)
「る、ルゼイさん。もしかして、ビナードさんと……」
「うん? ビナードは私の旦那よ」
「そ、そうなのか……」
愛に歳の差なんてないのかもしれない。
十万字の壁を超えた……。




