第三十五話 剣聖
「おお、メルクじゃねぇーか」
「どうも」
「聞いたぜ? 里長に認められて成人前に『帯剣の儀』を済ませたんだってな? 渾名はなんて言ったか?」
「『翼狼殺し』。メルク・ヴェルチェード」
「そうだ、それっ!」
関所に着くと母テルーゼの同僚である男のエルフが、メルクに向かって気さくに話しかけてきた。嬉しそうに話しかけてきた当たり、どうやら誰も来なくて暇だったらしい。
そもそもこの関所を普段から通るのは、里と取引している馴染みの商人か、あるいはメルクの父であるオロンぐらいだ。
これでは関所の番が暇を持て余していても仕方ないだろうし、むしろ暇であるのは喜ばしい事なのである。
「あー、残念だったなメルク。テルーゼなら今日は非番だぜ?」
「そりゃあ一緒に暮らしてるんで知っていますよ。別に、母に用があってきたわけではありません」
「なに? じゃあ俺にか? まったく、モテる男ってのは辛いな」
「あ、そう言うのは求めてないので」
わざとらしく髪を掻き上げて見せたエルフを一言で切り捨て、メルクは背後で様子見をしている冒険者たちを紹介した。
「冒険者パーティー『暴火の一撃』の面々です。私は今日は、彼らと一緒にこの里を出るんです」
「どうも」
「ああ、『炎翼狼』を討ち取った冒険者殿らか。こりゃどうも――はぁ? あ……そうか。『帯剣の儀』を済ませたってことは、成人と同義。里を出たって何ら可笑しくはないのか」
軽く会釈したヨナヒムに片手を上げ応えた関所のエルフは、メルクの言葉に一拍置いて反応した。
少し声を荒らげた辺り、あまりに予想外な一言だったのだろう。
「そうか、つまり人里で暮らすってことだろう? 寂しくなるな。だが、それがお前の夢ならだれにも止められんな。まぁ、行って来るといい。行って、外の世界を見てきたらいいさ」
「ふふ、言われなくても。では、お元気で」
「ああ、お前もな……冒険者の皆さんも、どうぞ里の娘をよろしくたのんまぁ」
「はい。メルクの事はお任せください」
お節介にも冒険者たちにメルクのことを頼んだエルフに、これまたお節介にもヨナヒムが真剣な面持ちで頷いた。
(いや、お前……そんな娘を父から任される婿じゃないんだからさ……)
生真面目と言うか堅苦しいと言うか……だが、そう言った謹厳な人柄に惹かれる者も多いのだろう。例えば、エレアのように。あるいはメルクだって、ヨナヒムの事は一目置いていた。
もう少し、いや、ヨナヒムよりもずっと軽佻浮薄ではあったが、彼はどことなく勇者と呼んでいたフォルディアと似ている。
なんだか昔から知っているような気がするのは、きっとそのせいなのだろう。
(そういや、あいつの弟子なんだっけか?)
やはり、弟子と言うのは師匠に似るのだろうか? だとすればメルクもルゾーウルムに似ている事になるのだが――まぁ、それは考えないようにしておくのがいいだろう。
少し上の空になったメルクより十歩近く先へ進んだところで、ヨナヒムたちが困惑したように振り返った。
「おい、メルク? どうかしたのか?」
「いや、何でもない。今行く」
こうしてメルクは感慨も何もなく、森の関所を後にしたのだった。
関所を抜けしばらくは、細い砂利道とその端に多種にわたり雑草が生えている風景が続く。
無論、メルクにとっては初めての光景だ。
「メルクはエルフの里を出るのは初めてだったな? つまり、エンデ市の宿屋なんて知らないだろうな?」
「あー……まぁ、そうだな」
エステルトであった前世に何度か訪れ、行き付けの宿屋だってある。しかしそれを馬鹿正直に話すほど、メルクは馬鹿でも正直者でもない。
それに当時から十五年だ。馴染みの宿屋が今でもあるか分からない。仮にあったとしても、メルクが気に入っていた雰囲気そのままというのは難しいだろう。
ならいっそ、新規を開拓してみるのも一興ではなかろうか。
「せっかくだからヨナヒムたちと同じ宿を取ろうかな? お前たちはどこに泊まるんだ?」
「エンデ市に来たら、俺たちは『愛の剣聖亭』に泊まっているぞ」
「あ、『愛の剣聖亭』……」
(うわ、何という名付けの壊滅さ……あんまり泊まりたくねぇ……)
ヨナヒムからその宿の名を聞き、メルクの脳裏は一瞬にして拒絶の色に染め上げられた。おそらくはそれを察したのだろう。
エレアが鋭い目つきで睨んでくる。
「ちょっと、今あんた……『愛の剣聖亭』のことを馬鹿にしたでしょう?」
「へ? あ、いや……」
「ふん、引き籠りのエルフには分かんないでしょうけどね? 『愛の剣聖亭』は、あの剣聖エステルト様が贔屓にしていた由緒正しい――」
「ぶっ?」
「ちょ、汚いわねっ!」
「ごふっ、ご、ほっ! ごほごほっ」
エレアの口から突如として飛び出した言葉に、メルクは思わず唾を噴き出してしまった。それだけにとどまらず、唾液が気管に入り込み、無様にも盛大に咽てしまった。
「ああ、もう。ちょっと何してんのよ」
咳こむメルクの背中をエレアが擦ってくれるが、それどころではない。先ほど聞いた言葉が、全く理解できなかった。
(剣聖、エステルト? な、なんだその滑稽な尊称は……)
「ごほ、ごふ……だ、誰が何だって?」
「え? あんたを引き籠りのエルフだって言ったけど」
「いや、そうじゃなくて。誰が剣聖なんだって?」
「もちろんエステルト様よ……あんた、もしかしてエステルト様も知らないの?」
まるでメルクの事を汚物でも見るように蔑んだ視線を向けた後、エレアは彼女から距離を取った。
「それはいくらなんでもおかしくないか? メルクは俺の師匠、フォルディアのことを知っている口ぶりだったよな? 同じ『一陣の風』のメンバーで、英雄同士だっていうのに知らないはずはないんじゃないか?」
「い、いやエステルトって言う名前は知っている。けれど、なんで剣聖なんて大層な名前を戴いているんだ?」
「大層ですって?」
メルクの不用意な言葉に激高したように、エレアが取った距離を一歩で潰して睨み付けて来る。
その迫力と言えば凄まじいものがあり、思わずメルクをして気圧されてしまった。
「エステルト様が剣聖に相応しくないと言うつもり? 勇者のために『仇為す者』討伐への活路を見出し、四英雄で唯一世界のために殉じられたエステルト様を――あたいのこの世で一番の憧れを――あんたは貶めるって言うつもりなの?」
「え……」
(えぇっ? 私ってそんな扱いになってんの? ちょっと……えぇっ?)
たしかに命を賭して『仇為す者』へ突撃した際、フォルディアに自分の事を美化して語れと言った覚えはある。
しかしこれは――もはや美化とかの問題ではなかった。




