第三十一話 申請と許可
ルゾーウルムの修行を終えた翌日、つまり『帯剣の儀』がなされて二日後の事だ。メルクは里長の屋敷を訪ねていた。
「やぁ、メルク。里長に何か用かい?」
「ヨナヒムっ! お前まだいたのか?」
屋敷の門を叩こうとしたところで、その門が外側へ開き冒険者のヨナヒムが現れた。その姿は平服に剣を帯びただけの簡素な恰好で、『炎翼狼』を討伐した際に身に着けていた皮鎧はなかった。
しかし、二日前に祝いの宴をしたと言うのに、何故彼がここにいるのだろうか。
「いやぁな? 昨日、念のために山へ狩り残しがいないか確認に行ったんだ。結局、残っている『翼狼』はいなかったんだが、里長にもう一泊してくれと招かれて――お言葉に甘えてしまったと言うわけだ」
「……じゃあ、今日帰るのか?」
「ああ。正午にはここを発つよ。貰えるものは貰ったし、これから里の様子を見物すれば心残りもない」
「そうか……」
どうやらヨナヒムは、これから里の様子を見て回るらしい。彼の恰好を見ればなるほど納得だが、仲間の女性陣はどうしたのだろうか?
「エレアとルカか? エレアは昨日も酒を呑んでなぁ……まだ寝てる。あいつ、弱いくせに酒好きなんだ」
「ほう」
(あんなにデカくてすぐ酔うなんて……けしからんな)
メルクの脳裏に先日の上気した頬と白い肌がちらつき、少しばかり邪な気分になった。幸いにも反応する部分は今世の身体にはないが、気まずさから咳払いをする。
「コホン。なるほど? そのエレアに合わせて正午に出発と言うわけか」
「ああ」
「では、ルカは何をしてるんだ?」
「ルカは……まぁ、なんだ? あいつのことは良しとしよう。気にしないでくれ」
「はぁ?」
言いかけて、何故か無理やり言葉を飲み込んだように黙り込んだヨナヒム。その様子を見れば、どうやらあまり言いたくないことらしい。
(なんだ? 昨夜はお楽しみで、まだ疲れて寝ているとかそんな破廉恥な理由か?)
咄嗟にそんなことを思い浮かべた辺り、どう考えても破廉恥なのはメルクの脳内だ。とは言え、馬鹿正直にそんなことを聞くわけにもいかない。
気になったものの、ヨナヒムの意思を尊重して尋ねないことにした。
「なぁ、ヨナヒム。一つ頼みがあるんだが」
「お、なんだ? メルクは俺たちの恩人だからな、できることはなんだってするぞ」
「大袈裟な奴だな……だが、頼みを聞いてくれると言うのならありがたい」
安請け合いしたヨナヒムに少し呆れたあと、メルクは真剣な表情で頭を下げた。
「里を出るとき、私もいっしょに連れて行って欲しいんだ」
「――里を出る、か」
「はい」
ヨナヒムと別れたメルクは、里長の屋敷にて、出郷の旨を告げていた。
成人前であれば門前払いもやむなしであったが、現在は里長自身が認め、簡略的であったとは言え『帯剣の儀』も済んでいる。
里長に止められる道理はない。
「お主が里を出たがっているのは聞いていた。しかし、よもやこれほど早くとは……」
止められる道理はないはずだが、それでも里長は少し渋い顔をする。
「『炎翼狼』を倒したことで、お主は武を示した。外の世界でも十二分にやっていけるだろう。しかし、お主の精神はまだ十四……エルフで言えば子どもだ。降りかかる甘言や邪念に、振り回されないとは言い切れん」
(精神が十四、か。前世含めればもういい年もいい年なんだがなぁ)
そんな風に内心で苦笑を噛み殺し、メルクはやんわりと首を振った。
「里長、私はそう言った自分の心の弱さを鍛えるためにも、ルゾーウルム様を師と仰いで修行を積んできたのです。そして昨日、師より皆伝を言い渡されました」
「なんとっ! あの『仙女』ルゾーウルム様がお主を認めたのであれば、儂が言えることは何もない。じゃが、家畜たちの診療はお主の仕事だったのでは?」
「あれはもともとする者たちがおります。師匠の言いつけで、その方々から仕事を少し分けていただいただけです。私が抜けても、特に問題はないかと」
「そうか」
メルクの言葉に偽りはない。
里で飼われている家畜たちは、里の治癒術師や薬術師がエルフたちを診療する合間に診ていた。それをメルクがルゾーウルムに言いつけられる形で引き受けて、今日までやっていたに過ぎない。
なので、メルクが抜けても里の治癒術師たちの仕事量が元に戻るだけで特に問題はないのだ。まぁ、多少はあるかもしれないが。
(もともとやっていた仕事だ。また、頑張ってもらうとするさ)
メルクは他人事のように思った。
「……ふむ。まぁよいじゃろう。そもそも、成人を迎えたお主を止めることなど、余程の理由がない限りは里長とてできん。よろしい、出郷を許可する」
「ありがとうございます」
「それで? 出立はいつ?」
「はい。聞けば冒険者殿らは本日の正午出立との由。それに同行させて頂こうかと」
「そうか――はっ? つまり今日の正午に出ると言う事かのう?」
「はい」
さすがに急な話で、里長は目を見張るように驚きを露にする。メルクとて、本来であればもう少し準備に時間をかけて出ていくつもりだったが、冒険者パーティー『暴火の一撃』がこれから出ると言う事で、同行したくなったのだ。
何せ、人間の世界に飛び込むのは随分と久しぶりである。慣れている彼らと一緒の方が心強いと言う、そんな打算が生まれてしまった。
「やれやれ、突飛な娘じゃ。まぁ、そもそも里を出て冒険者になりたいなど、まともなエルフでは思わんか。よろしい、行ってきなさい」
「ありがとうございます」
許可を貰い、退出しようとしたメルクに里長が声を掛けてくる。
「ああ、そうじゃ」
「はい?」
「冒険者殿らと行動を共にするのであれば、魔法使い殿に言ってもらえんか?」
「魔法使い? ルカ……殿のことですか?」
「ああ。彼女に「里の者に奇妙な物を売りつけて回るのは、今後はやめて欲しい」そう、伝えて欲しいのじゃ」
「……はぁ」
「彼らは里の恩人。儂からはとても言えんが、再び訪れるとも限らない……頼んだぞ?」
「あ、え、はい……」
(あの娘、何してんだか……)
何となく、ヨナヒムが口籠った理由がわかった気がした。




