第三十話 師弟の語らい
「メルク。もっとも魔力を消費し得る術が何かわかるかい?」
「え?」
ルゾーウルムの昔話が始まるものだと耳を傾けていたメルクは、突然そんなことを問われて少し悩んだ。
(もっとも魔力を消費……『極限魔法』か?)
直ぐに思いついた答えは、それぞれの属性の最大級魔法だった。だが、それでは明確にどれが一番魔力を消費するかなど分からない。そんなあやふやな答えの質問を、ルゾーウルムがするとは思えなかった。
(あやふや……待てよ? そもそもの問いが「もっとも魔力を消費し得る」なんてあやふやなものじゃないか。それに師匠は「魔法」ではなく「術」と聞いてきた……)
「……そうか。治癒術――ですね?」
「ふふん、ご名答。そう、治癒術こそが場合によっては一番魔力を消費する。もちろん、人間達が使う『簡易治癒』ではなく、私やあんたが使う『治癒』の話だがね」
「師匠、改めて教えてください。『簡易治癒』と『治癒』の違いは何なのです? もちろん効能は段違いですが、『治癒』が危険とされ、『簡易治癒』がそうではない理由とは何なのですか?」
メルクの言葉に、ルゾーウルムは自分の左掌を上へ向けた。
「視な、これが『簡易治癒』で消費する魔力だ」
そしてその左掌に、球体の魔力の塊を出現させる。その光を帯びた魔力は少しその場にとどまった後、空間に溶けるようにして消えた。
「そして、これが『治癒』さね」
再び、ルゾーウルムの左掌から魔力が出現する。しかし今度は球体になることはなく、そのまま掌から上へ向かい、柔らかな光の粒子として放出され続ける。そしてそれと同時に当然だが、ルゾーウルムの体内からは夥しいまでの魔力が消費されていく。
「し、師匠?」
自分の掌から放出される魔力を呆けた様に見つめていたルゾーウルムを心配してメルクが声を掛ければ、彼女は少しだけ目を細めて――魔力の放出を止めた。
「……とまぁ、これが『簡易治癒』と『治癒』の違いさね。『簡易治癒』は元々、消費する魔力が決まっていて、『治癒』のように出しっぱなしになることはまずない。魔力操作が苦手な種族が使ってもね」
「なるほど……けれどその代り、治せる箇所もその消費した魔力分ってことですよね?」
「まぁ、個人の能力次第で多少は変動するが、そうだと言えるね。おまけにこの『簡易治癒』は、一度使用した相手には、時間を置かないと効果が無くなるのさ。軽傷なら完治もするだろうが、致命傷かそれに近い重傷なら、応急処置にもならないだろうね」
だがそれでも、骨折やある程度の怪我を治療することができるので、『簡易治癒』しか使えない治癒術師も重宝されている。
と言うより『治癒』が使える人間などまずいないので、冒険者たちの間で治癒術師と言えば『簡易治癒』が使える者に限られるのだ。
「反対に『治癒』は、治療する分には大きな効果を発揮するけど、何度も言うように場合によっては術者を殺すのさ。これまで『治癒』に殺される者たちを何人か見てきた――私が最初にとった弟子も、その一人さね」
「……お弟子さんが、治癒術で亡くなったんですか?」
「ああ、いい娘だったんだがね――元は、口減らしに人里を追われた人間だった。それがエルフの里に迷い込み、偶然私が拾ったのさ」
「人間? 人間を弟子にしたのですか?」
ルゾーウルムの口から飛び出した言葉に、メルクは目を丸くした。
前世が人間であるメルクが思うのも変ではあるが、ルゾーウルムが人間を弟子にしている姿が想像もつかない。いや、そもそも彼女がメルク以外を弟子に取った姿すら考えつかないが。
「まぁ、正直興味本位だったのさ。あの頃は私もまだ若くてね……二百をようやく超えた所だった」
「……若いとは?」
「黙ってお聞き。当時の私は、人間とエルフとの魔力操作の違いを知りたかった。実際に人間とエルフの魔力操作を比べて、どのようにエルフ側が優れ、人間が劣っているのか……そして、人間がエルフのように魔力を扱えることがあるのか」
「つまり、実験体だったんですか?」
前世が人間だったと言う事もあり、あまり気持ちのいい話ではない。だが、それ以上にルゾーウルムがそんな非道とも呼べる行いをするのか疑問だった。
「有り体に言ってしまえばそうとも言えるね。ただ、私は決してその弟子をぞんざいには扱わなかったよ。なんせ、私の初めての弟子だったんだ。最初は打算があったかもしれないが、すぐに情が移ってしまってね……柄にもなく愛情って奴を注いで育てたよ」
「ああ、そうだったんですか」
少しだけほっとしたが、しかし解せない。
いくらとるのが初めてだったからと言って、彼女が弟子をみすみす死なせてしまうなんて信じられなかった。
それも、彼女が何よりも精通している治癒術の行使によってだなんて――にわかには信じがたい話だった。
「……浮かれすぎてたんだろうね。言っちゃあなんだが、その娘は天才だったよ。教えれば教えただけ、知識を技術をあらゆるものを自分のものへしていった。こと魔力に関する造詣はエルフ以上のものがあった。魔力操作だって、未熟ながらもエルフを超える伸びしろがあった。だから私は……私は人間だったあの娘に『治癒』を教えてしまったのさ」
普段以上にしわがれた声が、普段以上に皺が目立つような気がする口元から発せられた。その様子を見て、メルクは彼女と出会って初めての『老い』と言うものを意識した。
意識してしまった。
いつも泰然とし、一種の神秘性を滲ませていたルゾーウルムは確かに、今この時は、どこにでもいる老け込んだ老婆にしか見えなかった。
「不幸な事故だった。あの日、あの娘は友人と山に登っていてね、少し険しいところまで行ったんだ。そこで足を滑らせた友人が滑落し、大怪我を負った。おそらく、『簡易治癒』では助けられない程のね」
「……お弟子さんは『治癒』を使ったんですね?」
「ああ。まだ魔力操作も不完全で、何より魔力の量だって通常のエルフの半分もない。そんな状態で『治癒』を使った……修行してきたあんたなら分かるだろう?」
「――はい」
それははっきりと言って自殺行為だ。
『治癒』はルゾーウルムが『もっとも魔力を消費し得る術』と称したように、行使する時間に比例して必要なる魔力量が増える。
つまり、相手が大怪我であればあるほど、魔力を消費するのだ。
術者の魔力全てを使っても癒せない場合であっても、魔力操作に慣れた者ならば自分の限界を見極めやめることができる。
メルクが幼い頃から魔力を増やす特訓の一環として、枯渇ギリギリの魔力量を体外に放出しているように。
だが魔力操作が不完全だったその弟子は、きっと自分の限界を見誤ったのだろう。
友人を助けることに意識を裂きすぎて、自分の魔力が空っぽ寸前になっていたことに気付けなかった。
結果――魔力欠乏症となって死に至った。やりきれない話だ。
「あんたはあの娘とは違う。最初から魔力操作はできていたし、『治癒』を使っても自分の限界を見誤ることなんてないだろう。それは分かってる。分かっているがね……二度と他者を助けるための術で、私の弟子に死んで欲しくはなかった」
「師匠……」
視線を落とし、呟くようにそう言ったルゾーウルムに身を近づけ、それでもかける言葉が見つけられなかったメルク。少しだけ辺りが静寂に包まれ――。
「――まぁ、それも今日で終わりだ。今日からはもう、好きにやんな」
「え?」
――突然、俯き加減だったルゾーウルムが、明るく笑い飛ばすようにそう言ったのでメルクはつんのめりそうになってしまった。
あまりにもいきなりな変わり身だ。
「いや、「え?」じゃないよ。最後の修行が終わったんだ。あんたはもう、私の弟子じゃない。治癒術でも魔法でも何でも好きにやりな。もともと、そのために教えて来たんだしね」
「い、いや、ちょっと待ってくださいよ、師匠っ!」
「誰が師匠だって? あんたと私はもう対等だよ。そうだろう? メルクさん」
「し、白白過ぎるっ! 何言ってるんですか、師匠はいつまでも師匠ですよ。そして弟子はいつまでも弟子です」
「ほう? なら、今後も治癒術は禁止にしようかね。ついでに、この里から出るのも駄目だ」
「ぐ……」
とんでもないルゾーウルムの要求に、メルクは言葉を飲み込んだ。
ルゾーウルムが師匠でなくなるのも嫌だが、この里を出て治癒術師になりたいと願うメルクにとって、その言葉は受け入れられなかった。
「ふん、冗談さね。あんたが私の事を師匠と呼びたいのなら、そうすればいい。ただ私にはもう、あんたに教えられることは何もないよ。この里を出て冒険者になったあんたに、会いに行くこともできない」
「構いません。その時は私から……ええ、私から会いに行きますよ」
(会いたくなった会いに行けばいい――ローだってそう言っていたのだから)
弟にできるのであれば、姉であるメルクにできない道理はない。ルゾーウルムが望むなら、そしてメルクが望んだなら、その時は会いに来たらいいのだ。
「……師匠、今までありがとうございました」
万感の思いを込めて頭を下げると、その頭を軽く小突かれた。
「己惚れるんじゃないよ? あんたはまだ十四歳なんだ。失敗して、挫折して、妥協して成長していくのが当たり前なんだ。己を過信せず、けれど疑わずに生きていくんだよ」
「――はい」
師匠お決まりのその言葉は、けれどらしくもなく――優しさに溢れているのだった。




