第三話 彼女と師匠
メルクの師匠であるルゾーウルムという老女のエルフは、里で一番の高齢だった。
噂ではエルフ種でも珍しいほどの長寿で、一つの国が興って大国となり、そして衰退し滅ぶまでを見届けたこともあると言われている。
そのルゾーウルムだからこそ魔法や薬術、あらやる物ごとに関する知識は並大抵のものではない。
剣術以外の技能を身につけたかったメルクは、八歳の時に無理を言って弟子にしてもらったのだ。
剣術に関しては、前世のエステルトという最強の剣士が、つまりは自分自身が指導してくれる。けれど、魔法や薬術に関しては全くの門外漢。その道の専門家に一から習うのがやはり良いだろう。そう考えたのだ。
ただ問題があった。ルゾーウルムは薬術ばかりメルクに教え、魔法や治癒術などをすぐには教えてくれなかったのである。来る日も来る日も薬草の作り方や種類などの勉強が続き、さらに「勝手に魔法を使うな」とまで言われている。じれったくてしょうがなかった。
「師匠、そろそろ治癒術を教えていただけませんか?」
ルゾーウルムのもとへ訪れたメルクは、さっそく薬作りを命じられたのでそう返した。弟子入りしてもう三年が経つというのに草いじりばかりしていては、貴重な修行時間を無駄にしているような気になってしまう。
今日は来る前から、薬作りを命じられた時は直談判しようと思っていたのだ。
「治癒術? あんたにはまだ早いよ」
「そればっかりじゃありませんか。私は一人前の治癒術師になって人々を癒したいんです。別に薬術師になりたいわけじゃありません」
メルクは前世が魔物や敵対する人間を斬殺せしめてきた剣士である。それしか自分が生き延びていく道がなかったせいではあるが、やはり負い目に感じている部分もあるのだ。
毎日のように魔物や人を斬って斬って斬りまくり、信念や夢なんて何一つ持ってはいなかったのに気付けば最強の剣士なんて呼ばれるようになっていた。他者を斬り伏せるのが宿命と言わんばかりの存在になってしまっていた。
だからこそ魔法が使える今世では、この力を人々のために生かしたいと思ったのだ。
メルクだって薬草などを調合して様々な薬を作り出す薬術師を軽んじるつもりはない。庶民や貧しい暮らしを送る人々が真っ先に頼るのは彼らで、彼らのおかげで少なくない命が救われているのは事実なのだから。
ただやはり、せっかく魔法を使うことができるのであれば、より多くの人を癒すことができると言われている治癒術師を目指したいのだ。
ルゾーウルムはメルクの言葉を受けて自分の額に掌を当てた。そして何やら小さく息を吐き出してからメルクに視線を向けてくる。
「はぁ。いいかい、メルク。あんたは私が誰かに治癒術を使っている姿を見たことがあるかい?」
「え? あ、そういえば一度もありません」
言われるまで気付かなかったが、ルゾーウルムがメルクの前で治癒術を使った姿を見たことは一度もなかった。
時々、病気や怪我をした者たちのもとへ同伴を許されるが、その際もルゾーウルムは薬草などを調合した薬を使い治癒術は使ってこなかった。
今にして思えば、何度も定期的に使用しなければいけない薬を与えるよりも、治癒術で一度で完治させた方が楽なものもあったように思う。
「治癒術は耐性ができる。何度もかけられているうちに、効果が薄くなってしまうんだよ。ただの擦り傷や時間が経てば治る骨折なんてものにホイホイと使っていれば、本当に急を要する時、困ることになるよ」
「ですが、少しくらい耐性ができたところで支障はないのでは? 治癒術が何度も必要なほど病気や怪我をする者はそれほどいないと思いますが」
「そうかもしれないねぇ。けど、そうじゃないかもしれない。それに治癒術を使うにも、相手がどういった症状で、どのような働きの薬を使うか知っておいた方が感覚として術を行使しやすいんだよ」
「うん? でも、薬術の知識がなくとも治癒術は使えるんですよね? レゾン先生が言っていましたよ?」
エルフの里で一番腕利きの治癒術師の名を挙げれば、メルクの師匠は眉をしかめる。
「……まぁ、使えなくはないね。巷では薬術を習わずに治癒術だけで世を渡り歩いている治癒術師もいることだし、今の若い者はそう考えるのが一般的なのかもねぇ」
嘆かわしそうにルゾーウルムは一度目を閉じた後、首を横に小さく振った。
「でもねぇ、治癒術は安易に使ってしまっていいものではないんだよ。時として治癒術は、術者を殺すことだってあるのだから。それを戒めるためにも大した病や怪我でなければ、普段から薬を使う癖をつけておいた方がいいのさ」
「……術者を殺す? 何故、治癒術が術を行使した者を殺すのです?」
手遅れによって治癒術を使ったところで命を落とす者もいるだろう。だがそれは、術を使われる側の話であって、行使する者は魔力を消費するだけのはずだ。
命を落とす心配など必要はない。
「……少し話し過ぎたようだね。とにかく、今はあんたに治癒術を教える気はないよ。さっさと言われた通りに薬を調合しな。今日は庭で育てている植物から、『血止め薬』を作ってもらおうか?」
「そんな……」
まだまだ聞きたいことはあったし、治癒術を教えてもらえないことに納得したわけではない。
しかし、これ以上質問を重ねてもいたずらにルゾーウルムの機嫌を損なうだけだろう。なによりも、『血止め薬』という物には興味があった。
メルクは今日のところは治癒術を諦め、薬草作りに勤しむことにした。
「師匠、『血止め薬』はどのようにして作るんですか?」
「割と作り方は簡単だよ。今まで教えてきた知識を使って、今日中に調合して持ってきな。できなきゃ破門だよ」
「……わかりました」
なかなか無茶と思える条件を突き付けてきたが、これがルゾーウルムの教え方でもある。できなければ毎日毎日「破門にする」と言われるので、もうすっかり慣れてしまった。
ようは、今日中に作って持ってこられたらいいのだ。ルゾーウルムはメルクにそれができると考えているのだろう。
融通の利かない師匠ではあるが、決して無茶な条件を提示したりはしない。
「師匠、『血止め薬』を調合するのに、チオの葉は使用しますか?」
「ほう……どうしてそう思ったんだい?」
「チオの葉は以前、経口摂取した場合は人体に悪影響を及ぼすと教わりました。けれど同時に、血液を凝固させるともおっしゃっていましたので」
「覚えていたんだね? だが、それは飲み薬には使えないよ」
分かっているだろうに意地悪く笑う師匠にげんなりしつつ、メルクは首を横に振った。
「そうではありません。『血止め薬』はその用途から考えて飲み薬ではなく塗り薬。チオの葉も口から取り入れない方法でならば、使用できるのではないかと考えました」
「ふーん、まぁいいだろう。そう、『血止め薬』はチオの葉を使う。後は何をどのようにして調合するかは自分で考えるんだね」
「はい」
ルゾーウルムはなんだかんだ言って、一つくらいはヒントをくれる。仮にメルクの考えが間違えていればそれを指摘し、正しい素材をさり気なく教えてくれたはずだ。
だが逆に言えば、これ以上の助言は望めないと考えた方がいいだろう。ここからは教わった知識をフル動員して自分なりに考えなければいけない。
「庭に行ってきますっ」
「できた薬は試してみる前に見せにきな。毒薬作って傷口に塗り込んだらシャレにならないからね」
「はいっ」
今日が終わるまであと半日と少し。それまでに何としてでも『血止め薬』を完成させなければならなかった。