第二十七話 姉弟の語らい
「よかったね、お姉ちゃん。里長に認められるの、ずっと夢だったもんね」
「ああ、ありがとう」
「……この里をもうすぐ出るの?」
ローはメルクが里を出て冒険者になりたがっているのを知っているため、このようなことを聞いてきたのだろう。
だがその顔を見れば、どうやらあまり快くは思っていないようだ。
「うーむ、師匠次第だな。私はまだ、師匠に皆伝を認められていない。ただ、前々から言われているからもうすぐだとは思うんだがな」
「そう……」
メルクの言葉に考えるような顔つきとなったロー。メルクは彼らしくない浮かない様子をどうにかしたくて、少々乱暴に肩を抱いた。
「姉ちゃんがいなくなるからって、そんな寂しそうな顔するなよ。別に家や里を出たって、お前の姉じゃなくなるわけじゃないんだから」
「べ、別にそんなことは心配してないし、寂しくもないよっ」
「本当か? ムキになって怪しいなぁ」
メルクの腕から逃れようと暴れるローを抑えつけ、その頬に人差し指を「うりうりー」と押し付けてやる。本気で腹がたったのか、ローはメルクの足の指を割と強めに踏んづけてきた。
「いてぇ?」
「もうっ! 馬鹿じゃないのお姉ちゃんっ。僕はただっ!」
少し怯んでローを解放すると、姉の足を踏みつけた弟は怒ったような表情で指を突き付けてきた。
「僕はただ、ただ……お姉ちゃんのことが心配なんだよ。エルフが人里で居場所を見つけるのは大変だって、お父さん言ってた。だからお父さんも、人里で働いているけど毎日家まで帰って来るんだって」
「……ああ」
「それに、エルフの冒険者だなんて聞いたことがないよ。冒険者ってことは、お父さんとは違って毎日知らない人に会ったり、頻繁に知らない土地に行ったりするんでしょう? そんなの、絶対注目を浴びて嫌になるよ」
「……そうかもな」
怒り顔から徐々に眉が下がって心配顔になってくるロー。彼が何を言いたいのかは分かった。
単純に、メルクの身を案じているんだろう。
ローに言われるまでもなく、メルクだって前世を含めてエルフの冒険者に会ったことなどないし、いると言う話も聞いたことがない。
元来、エルフは里から出ることがほとんどなく、人間よりもはるかに長いその一生を外界へ出ることなく終える者も少なくはないのだ。
仮に出たとしても人間と頻回に会い、いやでも協調や協力しなければならない冒険者になるエルフなどいやしない。
一般的なエルフは目立つことを嫌う。そして視線を送ってくるのが人間であればなおさらだろう。
(まぁ、前世が人間でもない限りは、な)
しかしながら、メルクの意識はエルフではなく人間だ。それも、凄腕の冒険者として場数を踏み、一つの場所に留まるよりもあらゆる土地を廻り見聞を広げたいと思うような。
せっかくの二度目の生なのだ。どうせならば前世では行けなかった場所を目指したり、できなかったことをしたりしたいのだ。
そのための、治癒術であり冒険者なのだから。
「私の心配をしてくれてありがとう。しかしそういうのは覚悟の上なんだ。そう言ったことを覚悟したうえで、私はこの里を出て冒険者になるつもりなんだ」
言い切ったメルクに、ローは目を少しだけ大きくしてから顔を俯かせた。そして、いじけるような声音で見上げてくる。
「……僕や、お父さんお母さんを捨ててでも?」
「おいおい、さっきも言っただろう? 別に家を出たってお前の姉でなくなるわけでも、父さんや母さんの娘でもなくなるわけないんだよ。大体、お前だって「そんな事は気にしてない」って言ったじゃないか」
「――するよ」
「え?」
「気にするよっ! 本当は嫌だよ、お姉ちゃんが家を出るのも里を出るのも遠くへ行くのもっ! 嫌だよ、嫌に決まってるっ!」
ローの大声に、周囲にいたエルフたちが気になったように視線を送ってくるが、メルクは頓着しなかった。
それよりもローの両目に溜まった、今にも零れ落ちそうな涙が痛かった。
「ロー……」
「絶対、ぜったい無理だって思ってたんだ。エルフの里から出るなんて、冒険者になるなんて無理だと思ってたんだ。お姉ちゃんが、いつも……いつも無理を無茶やって乗り越えているのを見てたのに……冒険者になるなんて夢だけは、無理だって、叶いっこないって――信じたかったんだ」
意地なのか、顔を上げて瞬きをしないようにすることで涙を流さないようにするロー。その姿がいじらしくて、メルクは心臓を掴まれたような気分になった。
「ねぇ、やめてよ。冒険者になんてならないで、ずっとこの里にいてよ。みんなで、お父さん、お母さんと一緒に暮らそうよ」
一歩近づいて、メルクが来ている服の右袖を両手で握りしめるロー。まるで、メルクをどこにも行かせないかのように。
メルクは一度目を閉じて、縋る弟の肩に左手を置いた。
「なぁ、ロー。昔した話を覚えているか?」
「え?」
「あれは……三年前だったか。ローがまだ八歳で、私がいつものように木の棒を振って鍛錬してた時の話だ」
突然の昔話に、ローは虚を突かれたように瞬きをした。その瞬間、彼の瞳から溜まっていた滴が頬を伝ってゆっくりと流れ落ちる。
「あの時は珍しくローが私の鍛錬を見学していて……そうそう、実際に木の棒を持ってひっくり返りそうになってたっけ? あれは肝を冷やしたな……」
「そ、そんなの忘れたよっ! それに、今はそんなことどうでも――」
「あの時さぁ。私はお前に聞いたんだ。「強くなってどうしたい?」ってな」
「……うん」
遮ったメルクの言葉に思い出したのか、あるいは覚えていたけれど忘れたふりをしていたのか、ローは小さく頷いた。
「お前は答えなかった。いや、答えられなかったんだな。強くなっても、したいことがなかったから……今でも同じか?」
「それは……うん」
里を出ようとする姉に縋りついてくるローは、まだ十一歳だ。平和に暮らして来た彼に、強くなりたい理由など見いだせないだろう。
「昔も言ったが、強ければ他者に犠牲を強いてでも自分のわがままを通すことができる。なぁ、ロー。お前にはそんな事をしないで欲しいんだ」
「僕はそんなことしないっ!」
「じゃあさ、姉ちゃんを止めないで欲しいんだ」
「え?」
「お前の涙はさ、姉ちゃんにとっては『炎翼狼』よりも強いんだ。そりゃあ卑怯だろう?」
「ぐ……」
メルクの言葉に、込み上げて来た物を飲み込んだような喉音を立てるロー。もはや流れる涙なんて気にしないかのように、メルクの右袖を掴んだまま大きく項垂れた。
「ひ、卑怯なのはお姉ちゃんじゃないか……」
「え?」
涙声で床に向かって放たれたローの言葉は、残念ながらと言うべきか幸いと言うべきか、メルクの耳には届かない。
するとローは乱暴にメルクの袖から手を離すと、顔を上げて彼女から二三歩距離を取った。
「……いいよっ! もう、いいよっ! お姉ちゃんなんてどこにでも行けばいいんだっ!」
「あ、ローっ」
そして癇癪を起こした子供のようにそう言い、心配そうに見たメルクへ泣き笑いの表情を浮かべた。
「うん……どこにでも行きなよ、お姉ちゃん。会いたくなったら、どこにいたって僕から会いに行くから。会いに行けばいいんだから」
「……ああ。それでこそ――私の弟だな」
ローが里を出たメルクに会いに来るためには、生半可な覚悟では無理だ。現実的には困難なことだと言えるだろう。
けれど、彼はやると言った。会いたくなったら会いに行くとそう言った。なら、メルクとしてはローを応援するだけだ。会いたくなった彼が来るのを待ってやればいいだけだ。
(……強く、なったんだなぁ)
零れ落ちる涙を自分の服の袖で乱暴に拭っているローを見ながら、メルクはしみじみと内心で呟く。
気が付けば、弟は自称ライバルであったあの少年と同い年になっているのだった。




