第二十三話 打倒
先ほど不用意に噛みついて、自慢の牙を折られたことを気にしているのか中々かかってこない『炎翼狼』。どうやらメルクを見た目通りではない相手として警戒しているようだ。
「どうした? 来ないならこちらから行くぞ?」
足の裏に纏っていた魔力を地面に向かって放出し、その反動で一気に『炎翼狼』との距離を詰める。
『グゥ?』
木の棒を振り上げ、突如として迫ったメルクに対し『炎翼狼』は目を見開き――しかしすんでのところで右に避けて躱す。そして鋭い爪を露にした左の前足を振るって来る。
メルクはその攻撃に対して、一瞬だけ反応しなかった。
なにせ、相手の牙はこちらに傷一つ付けられなかったのだ。『炎翼狼』は一般的な魔物や生き物同様、爪よりも歯の方が鋭く攻撃力も高い。つまり牙を防いだ以上、今さら爪に脅威を抱く必要はなく、避ける必要すらないとそう考えたのだ。
一瞬だけ。
「な?」
あることに気付いたメルクは、無理やり身体を捻って『炎翼狼』の爪から逃れる。
そして軽く爪が掠めた頬に痛みが走り、自分の迂闊さを呪った。
「……魔力硬化には魔力硬化か……そんな芸当までできるとはな」
メルクが『炎翼狼』の爪を躱すことにしたのは、その爪が魔力で覆われているのが視えたからだ。よもやと思えばやはりそれは、メルクの全身を包んでいるのと同じ、硬化された魔力だった。
同じく硬化されているのであれば、人間の肌よりも魔物の爪が勝るのは道理だ。
ただ幸いな事に、掠めただけとは言え頬に薄く血が滲んだ程度である。
どうやら魔力硬化の熟練度で言えば、メルクの方が数段上のようだ。これならば、直撃を受けても軽傷で済むだろう。もしもの場合も、攻撃を受ける部位の魔力を増やして硬化すれば問題はないはずだ。
(だが、油断は禁物だな。なるべく受けない方がいいだろう)
メルクは相手の攻撃が自分を傷つけることができるのだと意識を改め、注意深く出方を窺う。
すると、自分の攻撃が通ることに調子を取り戻したのか、今度は『炎翼狼』の方から積極的に攻撃を仕掛けてきた。
地を蹴って素早くメルクに迫り、右の前足を振り上げる。一般的な冒険者であれば反応できない速度で行われたその一連の動作は、しかしメルクには完全に目で追えていた。
たしかに速い、速いのだが――。
――そんな速度の攻撃は、メルクは前世の頃から見慣れている。
「おらぁっ!」
こちらへ振り下ろされた『炎翼狼』の爪を躱しながら、カウンター気味に硬化した魔力で覆った拳を鼻面へと叩きつける。
『ギャン?』
強かに顔を強打された『炎翼狼』は仰け反るように吹き飛び、ゴロゴロと地面を転がる。が、すぐに起き上がって態勢を整えたあたり、そこまでダメージは入らなかったようだ。
おそらくメルクの拳が当たる直前で、自ら上体を引いたのだろう。『炎翼狼』が硬化しているのは爪先だけのはずだが、鼻先に拳が当たった感触も今一つのものだった。
「魔力硬化をしていると、感触が曖昧になるのが難点だな……うおっと?」
自分の拳へ少し視線を落としたメルクは、『炎翼狼』の喉元に魔力が集まるのを感じて右へ跳ぶ。
『炎翼狼』が口を開けた途端に放たれた炎の球がメルクが先ほどまでいた場所に直撃。一瞬でそこを焼け野原へと変えてしまった。
地面すらもドロドロに溶かすその威力。直撃していれば魔力硬化をしているとはいえただではすむまい。
『グルゥゥっ!』
そしてメルクが避けたのを見て、『炎翼狼』は追撃を仕掛けてくる。
自身の背中から生える炎の翼から噴流を生み出し、推進力を底上げしているようだ。先ほどの動きも俊敏だったが、今回は一層速くなっている。
「まぁ、見える、が」
猛然とこちらへ迫る『炎翼狼』の動きはまだ目で追える。しかし、見えているのとその攻撃を実際に躱すのとはまた別の話だ。
右、左と連続して振るわれる前足の爪を、辛うじて避けていると言うのが実情だった。先ほどのように、カウンターをお見舞いする暇がない。
さすがは上位の魔物と言えるだろう。
(舐めるなよ?)
こちらが反撃できないのを良いことに、一度も休むことなく攻撃を続ける『炎翼狼』。メルクは振り下ろされた右の前足に対して、躱さずに今度は自分から前へ突っ込む。
『グゥ?』
本来であれば『炎翼狼』の硬化された爪が当たる距離から、メルクが踏み込んだことで爪のない前腕がメルクの頭へと直撃した。
無論、そんな衝撃は硬化した魔力に包まれているメルクにとっては屁でもない。むしろ『炎翼狼』の方が自分の前腕を、強く石に叩きつけたような衝撃を受けているはずだ。
それはたしかな隙となり、メルクの反撃の糸口となる。
「らぁっ!」
『ガァっ!』
持っていた木の棒で横っ面を殴れば、『炎翼狼』は再び地面へと転がった。今度は身を引いて勢いを殺す余裕はなかったのだろう。真面に喰らい、なかなか起き上がれそうにない。
「効いたろう? 今のは」
ようやく起き上がって来た『炎翼狼』は、しきりに頭を振って気合を入れ直しているようだが、その視線はどこか不安定だ。
完全に衝撃から立ち直れてはいないのだろう。
(今が好機だな)
メルクは相手の目の焦点が合わない内に決着を付けようと、一瞬で間合いを詰める。そして木の棒を振り上げた瞬間、泳いでいたはずの『炎翼狼』の視線が真っ直ぐにこちらへ向くのに気付いた。
「――っ!」
『グアっ!』
『炎翼狼』の喉元に集まっていた魔力が一気に口元から溢れ出し炎の海を創る。
その海の真ん中で取り残されたメルクは、なす術もなく火に巻かれることになるが、構わず振り上げていた木の棒を『炎翼狼』の頭へと振り下ろした。
『ギャウっ?』
攻撃を放ったことでメルクが回避すると思ったのだろう。
全く予期していなかったのか、『炎翼狼』はメルクの一撃を無防備に受けて地面へと沈み込んだ。
「こほっ……やはり、少し熱いな」
辺りを包み込んでいた炎はやがて弱まっていき、完全に消えるとメルクがそこから無傷で現れる。
少しだけ頬に煤が付いていて、服の袖とズボンの裾が焦げ付いていたが、それ以外はぴんぴんしていた。
「咄嗟に体を覆う魔力を増やさなかったら不味かったな。だが……」
メルクは地面に身体全体を投げ出すように突っ伏す『炎翼狼』を見る。
口からだらりと舌を出し、メルクの一撃をまともに受けた頭部は陥没。
背中から噴き出していた炎の翼もしぼみ、赤い小さな根元を残して無くなっていた。
一目見て分かる――『炎翼狼』は完全に息絶えていた。
「『炎翼狼』を討ち取った。私の勝ちだな」




