第十八話 治癒
「……そう言えば、慣れているのかい?」
待ち受けていた『翼狼』たちを倒し、さらに上へ向かっていると唐突にヨナヒムがメルクにそう言った。
「うん?」
「いや、あの数の『翼狼』だ。素人なら守られていても不安に感じると思うんだけど、メルクさんにはそんな様子はなかったからさ。魔物に慣れているのかと思って」
「へぇ、見ているものだな」
あの数の『翼狼』相手に、どうやらメルクを観察する余裕まであったらしい。たしかに、護衛対象が余計な真似をして戦いを邪魔したら事だろうが、それでも実際には様子を見るなんて真似は難しいはずだ。
意外と抜け目ない男である。
「……私も将来はこの里を出て冒険者になるつもりだからな。心構えだけはいつもしている」
嘘ではないがあまりにも言葉足らずなメルクの言葉に、しかしヨナヒムは何の疑問も抱かず「そうか」とだけ頷いた。
まぁ、普通に考えれば「こいつ、前世冒険者だったな?」などとこれだけのやりとりでは思わないだろう。
「あんた、冒険者になるつもり? ちょっと肝が据わってる程度じゃ、合格したところですぐ死ぬわよ? 危険のない簡単な依頼ばっかり受けてたって、長くは続けられないし」
メルクの言葉を聞いていたらしいエレアが例のように突っかかってくる。ただ、今回は単に難癖が付けたいだけではなく、女性冒険者としての忠告のようなものも感じ取れた。
(うん? 合格したところで?)
しかしそれとは別に、エレアの何気ないように言った言葉が妙に引っ掛かった。『合格』とは、一体何の話だろうか?
それを深く考える前に、ヨナヒムがエレアを諫める。
「よさないか、エレア」
「ヨナヒムは黙っていてちょうだい。あたいはこの冒険者を舐めてる女に、ガツンと言ってやらなきゃ気が済まないの」
「舐めてるって……」
前世で嫌と言うほど冒険者の大変さや苦労を身に染みて感じてきたメルクとしては、エレアのあまりにも的外れな言葉に鼻白んでしまう。
(いや、でも木の棒を携えただけの十四の小娘が軽々しく言えば、反感を買うのも当然か)
だがすぐに、エレアの言い分ももっともだと理解した。
自分が何も知らないエステルトであれば、「冒険者になりたい」と言うメルクを見て鼻で笑うか、本気で諫めていたかもしれない。
それだけ冒険者の世界はシビアであり、本来であればヨナヒムのように聞き流す方が妙なのだ。
「大体、あんたに何ができるの? もしかしてその木の棒を使って棒術でもするつもり? 剣士ならぬ棒士ってわけ?」
「いや、私が目指してるのは治癒術師だ。この木の棒はさっきも言ったがあくまでも護身用。冒険者パーティーに入れば治癒術師をやるつもりさ」
「……治癒術師?」
「はぁ?」
驚いたように目を見張るヨナヒムと胡散臭げな目で見てくるエレア。
メルクはその二人よりも、今まで他人事のように聞いているかも分からない様子だったルカが、一瞬だけ視線をこちらへ寄越したのが気になった。
それは本当に一瞬で、すぐに何事もなかったように視線を外すが、だからこそわずかに見せたルカの挙動に注意がいったのだ。
「治癒術って、たしか魔法よりも難しいんでしょう? うちのルカだって、治癒術だけはちっとも使えないのに」
「……使える。苦手なだけ」
メルクを訝しむように見つめながら言ったエレアの言葉に、ルカがぼそりと抗議をする。しかしその抗議を無視することにしたのか、エレアは歩きながらメルクに詰め寄りさらに言い募った。
「あんたは知らないでしょうけど、治癒術って言うのは魔法が使えればすぐに使えるってものでもないの。そりゃあ、あんたたちエルフは魔法が得意なんでしょうけど、治癒術は一朝一夕で――」
「――『治癒』」
面倒になったメルクは、右手を翳して治癒術を行使した。
呆けた様に立ち止まって固まったエレア包み込む柔らかな光。そしてその光に覆われたエレアは陶然とした表情を浮かべ、光が消えると我に返ったようにハッとする。
「い、今のはっ!」
「治癒術だよ。悪いが既に習得済みだ」
先ほどの戦闘でエレアが手傷を負った様子はない。ただ、やはり肉体的あるいは精神的な疲労は戦えば必ず生じるものである。
メルクの使った治癒術は、それらを一切消し去る類いのものだった。
「な……な……」
「そうだ。師匠には安易に使うなと言われているんだ。黙っておいてくれよ」
何も言えずに固まっているエレアの額を人差し指で突いて、一応口止めをしておく。そのメルクの伸ばした腕を振り払い、エレアはたじろぐように一歩も二歩も後退った。
それを無視してメルクは再び歩きだす。すると、すぐにエレアは追いかけて来た。
「い、今のが治癒術ですって? 嘘よっ! 時々ルカがかけてくれる治癒術とは、全然別物だったわよ?」
「……格が違う。今のが本当の治癒術。私が使っているのは、真正の治癒術師が使うものを簡易化したもの。魔法使いなら大抵使える。けど、そのぶん効果は薄い」
メルクの代わりに、寡黙なはずのルカが長々とエレアに説明する。心なしか、治癒術を行使したメルクを興味深そうに見つめている。
「エルフは魔法だけでなく治癒術にも長けている。けど、彼らの知識や技能はほとんど人間には伝わらない……伝わっても、人間にはほとんど使いこなせない」
「へぇ、じゃあ今まで治癒術だと思っていたのは、本当は違ったのか」
ヨナヒムが感心したように頷くが、それも無理からぬことだ。
メルクだって、人間とエルフの治癒術に違いがあるなんて、ルゾーウルムに教えられるまでは知らなかった。
人間が使う治癒術は人間用に改められ、使いやすいものとなっている。人間の冒険者や治癒術師たちが使う治癒術は全てこれだと言ってもいいだろう。
例外的にエステルトが聖女と呼んでいたイリエムは、エルフの使う治癒術に近いものを行使していたが、それでも厳密には違っていた。エルフの治癒術と比べるとやはり数段に効果が劣る。
ただ一方で、エルフが使う治癒術は強力だが、魔力操作を間違えれば術者の命に危険が及ぶ。おそらくはそれがあってエルフよりも魔力操作が拙い人間のために、簡易な治癒術が開発されたのだろう。
「……治癒術、教えて欲しい」
何度か逡巡する様子を見せた後、ルカが硬い声でメルクを見上げながらそう言って来た。少しだけ考えて立ち止まり、メルクは首を横に振る。
「私はまだ修行の身だ。誰かに教える資格はない。それに――そろそろ私語は慎んだ方がいいと思うぞ」
「……近いのか?」
山の頂上方向へ視線を向けたメルクの言葉に、即座に反応したのはヨナヒムだった。足を止めて剣の柄を握り前を見る。
次いでエレアも槍を構え直し、少し未練がましそうにメルクを見た後ルカが帽子をかぶり直した。
そう、一行の目的地である『畏れの洞窟』は、すでに目と鼻の先に迫っていた。




