第百二十六話 疑問
バザルとネッドにより村で泊まるための家を用意してもらったメルクは、そこで一晩過ごして朝を迎えた。
「さて、まずは……」
用意されていた食料から適当に朝食を摂り、隣の民家へと向かう。その民家には、フォルディアとスウェイミルが宿泊しているのだ。
泊まる場所が違うのは、(見かけは)男女と言うこともあり、バザルたちが気を遣って分けてくれていたためである。
「よぉ、メルク。おはよう」
「うむ、お互い元気そうで何よりじゃな。どうやら、『黒痣病』とやらにはお互い罹っていないようじゃのう」
「ああ、二人ともおはよう。バザル先生の予防薬が効いているんだろう」
出迎えてくれたフォルディアたちに挨拶を返し、メルクはスウェイミルに頷いて見せた。
「それで? これからどうするんだ?」
「私はこれからバザル先生と患者たちから血液を採取して回る。数日は掛かるだろうが、年代ごとに彼らの症状が異なる理由が知りたいんだ」
「ふーん、そうか。俺たちが手伝えることはあるか?」
「今は特にないが……そうだな。できればネッドさんや動ける人たちを手伝ってやって欲しい。少人数で畑仕事や家畜の世話を続けていたら、病気にならなくとも倒れてしまうからな」
「ああ、わかった」
「うむ」
フォルディアとスウェイミルに村仕事を頼むと、メルクはバザルの研究室へと向かった。
「おーい先生、起きているか?」
研究室の窓を叩いて呼び掛けると、少しの間があって慌てたようなバザルが顔を出す。
「め、メルクさん。驚くじゃないですかっ。玄関から声を掛けて下さいっ!」
「ああ、悪い。研究室にいるのなら、ここから声を掛けた方が聞こえやすいと思ってな」
「そうですが……少しお待ちください。今、出ます」
「玄関が開いているなら私がそちらへ行こう。患者から検体を採取するのであれば機器も確認したい」
「……わかりました」
メルクの言葉に急いで窓から顔を引っ込めたバザルを怪訝に思いながらも、メルクは玄関へと回る。
そして施錠――どころかそもそも鍵の付いていなかった家の玄関を開け、研究室へと足を運ぶ。
「やぁ、改めておはよう。バザル先生」
「ええ……しかし、朝早くから熱心ですね」
「治療すると決めたからには、全力を尽くしたいしな。それに治療が遅れて手遅れになる患者もいるかもしれない……うん?」
研究室で出迎えてくれたバザルとそんなやり取りをしていれば、彼の背後にある机の上に置かれた小さな石が目に入った。
まるで水晶の様に奇麗に磨き上げられたその石からは魔力が漂っており、それが魔石であると容易に知れる。
特段、バザルが持っていてもおかしくはないが、昨日はなかったように思え気になった。
「えっ? ああ、これですか」
バザルはメルクの視線の先にある魔石を、苦笑しながら研究室の戸棚に仕舞った。
「この石は、この村に来る途中で拾ったんですよ。奇麗だから時々こうやって眺めているんです」
「……先生の石集めの趣味に口出しするつもりはないが、それは魔石だ。魔力を放っている。どんな石か知らないのであれば、手放した方がいいかもしれない」
「おや、魔石なんですか? 知りませんでした。そうですね、騒ぎが治まったらどこかへと捨てることにしましょう」
メルクの言葉に意外そうな表情を浮かべ、バザルは大きく頷いた。どうやら特に執着はしていないらしい。
「ああ、そうしてくれ。それよりも、患者の血液を採取して免疫や抗体の有無、違いを調べたいんだが……できるだろうか?」
「それなら器具はありますよ。ちょっとお待ちください」
そう言ってバザルが棚から取り出したのは、どれも比較的新しいものと思える検査用の器具だった。たしかにこれならば十分に調べられるだろう。
「……すごいな。この村にはたまたま立ち寄ったんだろう? いつもこんな研究器具を持ち歩いているのか?」
「いや、まさか。偶然にもチュリセ帝国で研究しようとこれらの器具を持ち歩いていたんです。そしてこの村に立ち寄った際に『黒痣病』の流行に気付いて足止めを喰らったと言うわけですよ」
「ふーん、帝国で研究ねぇ……」
現在、もっとも大陸で薬や医療が発達しているのはチュリセ帝国だ。そのため、バザルがそこで研究しようと思うのは不自然ではない。むろん、他国の人間が帝国に入るのは容易ではないが、優れた薬剤師であれば伝手くらいあってもおかしくはない。
それは別として、メルクにしてみれば『帝国』と聞くだけであまりいい気はしない。思わず眉根を寄せてしまう。
「ど、どうかされましたか?」
「いや……それよりさっそく調べに回ろう」
少したじろいだ様子のバザルに軽く首を横に振り、メルクはさっそく『黒痣病』との戦いに乗り出した。
それからメルクとバザルは精力的に村を回り、数日かけて必要な検体を集め、その間にフォルディアとスウェイミルは村のために働いた。
幸いだったのは、バザルがその場しのぎとして作り出した治療薬がそれなりに効果を発揮し、『黒痣病』での死者が未だ出ていないことだろう。
無論、どうしても危ない者にはメルクが『真正治癒』を施し命を救ったが、その数はごくわずかだ。おおむね、バザルの薬がぎりぎりのところで死に繋がる重篤化を防いでくれていた。
「しかし、やはりキリがないな。先生の作った薬で一時的に回復が見られても、すぐに病が強くなって従来の薬では効果が薄くなってしまう……」
苦しむ患者にバザルの手で薬が投与されるのを見ながら、メルクは深刻な顔で眉根を寄せる。
「……ええ。けれど完全な特効薬が完成するまでは、こうやって急場をしのぐ他ありません」
メルクの呟きに、投与を終えたバザルも同意するように頷いた。
「村人たちの検体も採取し終わったことですし、調べれば『黒痣病』に関してこれまでより深く知れるでしょう。そうなれば、もっと有効的な薬が開発できるはずです」
「ああ、そうだな……ところでバザル先生、先生の研究室で薬を見た時から気になっていたんだが――聞いてもいいか?」
「……なんですか?」
「先生が四番目に作った治療薬――なぜ、アゼノアの実の汁を使わなかった?」
「……はい?」
腕を組んで首を傾げたメルクに、バザルは一拍の間を空けて間の抜けたような声を出した。
「いや、純粋に疑問に思ったんだ。先生は二番目に作った治療薬で、抗菌作用のあるアゼノアの葉の汁を使っているな? 三番目の薬にもだ。つまり、アゼノアは『黒痣病』に有効だと思ったんだろう?」
「……ええ」
「なら、四番目の薬でなぜ実の汁ではなく花の汁を使った? 実の汁の方が、花の汁よりも抗菌作用は強い――アゼノアの汁が効果的であるとわかったなら、一足飛びでも実の汁を使用した方が確実だったんじゃないか?」
「それは……一気に薬を強くすることで、患者への副作用を気にしてしまって――」
メルクの疑問に対し、バザルが少し迷うようにしながら呟く。
たしかに強すぎる薬は時として悪影響を及ぼすこともあるが、『黒痣病』は生半可な薬ではかえって乗り越え進化してしまう。事実、バザルは五番目以降の治療薬でアゼノアの実の汁を使っているが、徐々に進化した『黒痣病』にはもはや大した効果もないようである。
未知の病気である『黒痣病』を本気で根絶しようと思うのなら、多少過剰であっても完全に抑え込める薬を試すべきだ。
「バザル先生の言いたいことも分かるが、消極的すぎるんじゃないか。アゼノアだけじゃない。他の調薬素材にしても、不自然に少しずつ効き目が強いのを使っているようにも思える。副作用を怖れる以外にも、何か意図があるのか?」
「いえ、そんなことは……」
「なら、次に作る薬は、できうる限り強い効果を発揮する素材を使ってくれ。たとえ副作用が出たとしても、今なら私の『真正治癒』でどうとでもできる」
「そう、ですね……わかりました」
少し強めに頼んだメルクに、バザルはぎこちなく首肯した。
今章の題材が題材だけに世の中が落ち着くまで投稿しないつもりでしたが、さすがにこんなに続くなんて……。
お待たせしてすみません。
感染症の話題が出てこない拙作『百聞は一見に『シーカーズ』』もおすすめですっ!