第百二十四話 バザルの研究室
「特効薬を作るといっても、そう簡単にいかんのでは?」
「……ああ」
スウェイミルのもっともな言葉に対し、メルクとしても頷く他ない。
たしかに未知の病を治す薬を作り出すのは至難の業だ。
ルゾーウルムに指南を受けたメルクと言えど、これまでしてきた薬の調合はすべて用途や調合法が確立されたものであった。これからやろうとすることは、それらと比べて難易度は桁違いとなるだろう。
「だが、幸いまるっきり一からだと言うわけじゃない。難しいだろうけどバザル先生が調合した薬がある。完治はできなくとも一定の効果が見られたその薬なら、特効薬を作るヒントになるはず……そうでしょう、先生?」
「……まぁ、そうでしょうね。ただ、やはり時間はかかるでしょうしあなたたちも感染しかねない。やはり、あなたたちは一刻も早くここを立ち去るべきだ」
メルクの問い掛けに少し眉を寄せて、バザルはやんわりと首を横に振った。
「そいつは手遅れだぜ、先生」
それに対しフォルディアが、小さく笑みを浮かべて割り込んできた。
「なにせ俺たちは、すでにこの村に入っちまった。なんならすでに感染している可能性もある。そんな俺たちをここで放り出すのは、少しばかり危なくはないか?」
「それは……」
フォルディアの言葉に言い返せず、バザルはますます左右の眉根を近づける。笑みを強めたフォルディアとは対照的だった。
(こいつ、まさかそれを狙って……)
メルクが胡乱げな視線を彼に送れば案の定、フォルディアはこっそりと目で合図してくる。
ただまぁ、それだけを理由に彼がエディンやスウェイミルを巻き込んでここまでの無茶をするはずがない。おそらくメルクの言い付けを破った理由が他にもあるのだろう。
「……まぁいいでしょう。しかし、あなた方が罹患しても責任は持てません。むろん、現時点での治療法がメルクさんの『真正治癒』しかない以上、治してもあげられません。それでも構いませんか?」
「もちろん構わないぜ」
「ふむ。儂も気になって自分の意志で村に入ったからのう。一蓮托生といこうかのう」
「家族が心配なエディンはともかくとして、スウェイミルさんまで……物好きだな。ただ、元気な体でここにいるからにはこき使わせてもらうぞ。なにせ、私たちはスウェイミルさんが言ったように一蓮托生。それこそ薬が完成しなければこの村から離れられないんだからな」
実際には、メルクが『真正治癒』を使えば冒険者たちは村を離れることはできるだろう。だが、今さらそのように提案をしたところで、冒険者たちは到底納得しないだろう。もちろんメルクだって、そんな目覚めの悪いことはできない。
「バザル先生。とにかく『黒痣病』について分かっていることを全部教えてもらいたい。もちろん、先生が調合した全ての薬の作り方や効能もだ」
「……薬術師には、自分で発見した調薬の秘匿が認められているんですが……そんな場合ではないですね」
メルクの言葉にわずかな逡巡を見せたが、バザルはやがて頷いた。
「仕方ありません。皆さんを、私の研究室にご案内しましょう」
エディンは妻であるデネミスの傍を離れようとしなかったため部屋に残し、彼以外のメルクとフォルディア、そしてスウェイミルは先導するバザルについて行く。
辿り着いた村の集落から外れるように建てられた家が、どうやらバザルに与えられた住まい兼研究室のようである。
彼はこの民家の一室で『黒痣病』の研究をし、治療薬の開発に取り組んでいるとのことだ。
「つまり、現段階で実際に『黒痣病』で死亡した者はいないものの、このまま進行すれば時間の問題ということか……」
バザルの研究室で薬品や雑多な物品に囲まれながら説明を受けたメルクは、眉根を寄せながら頷いた。
何度か聞いたが感染すると様々な症状が見られ、さらに感染経路は判然としないものの、どうやら人から人へうつってしまうらしい。
「拡大の状況からみても、おそらくは飛沫による感染ではないかと思います」
「感染経路は飛沫……咳やくしゃみによるものだとして、大元となる感染源は本当にわからないのか? こんな病が突然生まれるはずがない」
「……先ほども言いましたが、現状は不明としか……」
メルクの鋭い視線から顔を背け、バザルは苦虫を嚙み潰したように首を横に振った。
この村で病の研究をしながら、感染源を見つけることもできない自分を恥じているのかもしれない。
(バザルが来た時にはすでに発症者もいたらしい。無理もないかもな……)
「『黒痣病』については大体わかった。次は、バザル先生の調合した薬を見せて欲しい」
「それならそちらの棚に」
バザルの示す先の棚には、ガラス扉に仕舞われたいくつもの容器があり、それらすべてに調合の材料と方法が書かれたメモがあった。
メルクは遠慮なく、そこに書かれたメモに目を通す。やはり同じ病の治療薬と言うこともあり、使われている材料はほとんど同じものである。どうやら数種類だけ毎回使用が固定されており、それと組み合わせる形でいくつかの薬剤が思考錯誤されているようだ。
「……うん?」
それらに目を通していたメルクは、微かな疑問を覚えて首を傾げる。するとメルクのそんな仕草に気付いたのか、バザルが窺うようにメルクの手元を覗き込んできた。
「どうかしましたか?」
「いや……」
メルクは浮かんだ疑問を掻き消しやんわりと首を振ってから、薬剤を戻して棚から少し距離を取る。そしてバザルに視線を向けていよいよ切り出した。
「おおむね『黒痣病』については理解出来た。次に申し訳ないが、我々に予防薬を投与した後、隔離されている患者たちの容態を見せてもらってもいいだろうか?」